表裏一体について考えてみた
ペップ・グアルディオラは言った。
「攻撃は最大の防御だ」
この言葉は、サッカー界に革命を起こした。
攻撃を続けることで、それは同時に守備になっている、というもの。
まさに攻撃と守備は、表裏一体である。
改めて意味を調べてみた。
生と死は、表裏一体である。
人は生きている限り、いずれ死ぬ。
しかし逆に、死があるから「今」を大事にしようと思うし、「今日」をちゃんと生きようと思える。
死を遠ざけるということは、些細な喜びや幸せを見つけるのは難しくなる。
健康な生活を心がけている人は、健康じゃないと体を壊す、要するに死に近づくことを知っている。要するに、死を意識している。
生と死という、とてもでかいものが表裏一体なんだとしたら、世の中の全てがそうなんじゃないか?と思って考えてみた。
チャンスはピンチ、ピンチはチャンスと言う。
小学6年の時、当時の担任の先生に
「最近コーチに怒られてばかりで、次の試合出れないかも知れないんですよー」と相談したことがあった。
するとその先生は
「ピンチはチャンス。もし試合に出れなかったとしても、そこから見えるものがある。今まで意識してなかったこと、さらにレベルを上げるヒントがあるかも知れないよ」とアドバイスをもらったのを覚えている。
チャンスはピンチの方はどうか?
チャンスだと浮かれていると、その状態は逆にピンチだよ、ということだろうか。
表裏一体だ。
「嫌い」は好きに1番近い感情だと聞いたことがある。
逆に「好き」も、いきすぎると反動で恨みに変わり、嫌いになってしまうこともある。これも表裏一体と言える。
ネガティヴ思考の人が集まってあれこれ言うテレビ番組を見ていた時、あのちゃんが
「何か良いことが起こっても、いずれそれと同じくらい悪いことが起きるんじゃないかと思ってしまって喜べない」と言っていた。
これも、あながち間違っていないのかもしれない。
では「喜びと悲しみ」、「勝利と敗北」はどうか?
喜びは悲しみか?悲しみは喜びか?勝利は敗北か?敗北は勝利か?
いやそんなはずはない。
喜びは喜びだし、悲しみは悲しみでしかない。勝利は勝利だし、敗北は敗北以外の何でもない。
でも悲しみがあるから喜びがあるし、喜びがあるから悲しみがある。
勝者がいるから敗者がいるし、逆もそう。
何か深い関係がある気がしてならない。
一向にまとまらない。
これだと完成する気がしないので、この状態で載せようと思います笑
いい感じにまとまったら、またあげようと思います。
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