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鳥公園WS「演劇を肥す、耕す/演出家の身体と心を、戯曲の延長線上に置くために」レポート

ご無沙汰しています。鳥公園アソシエイトアーティストの蜂巣ももです。みなさま、お元気でしょうか。私はこの一年、本当にいろんな事があり、苦しかったことも多かったのですが、今は日々自分の楽しみを見つけながら暮らしています。

ながらさん、雨林のワークショップレポートに続き、私の行った「演劇を肥す、耕す/演出家の身体と心を、戯曲の延長線上に置くために」のレポートを更新します。
以下、私自身の今後に呼び掛けたい思いで書いたため、固形物のように硬い文体の箇所もあるのですがどうか許してください。


鳥公園WS「演劇を肥す、耕す/演出家の身体と心を、戯曲の延長線上に置くために」

 新型コロナウィルス感染症、またそれに伴う政府等からの緊急事態宣言が発令され、自身の公演が一つ中止になった。
 それまで、私は止まれない汽車に乗っているような感覚で企画・演出を行っていて、この中止に際し、どこかでほっとした自分がいた。このまま上演出来ていたら公演終了後に潰れるかもしれないと思っていた。朝も夜もなく、休日も平日もなく演劇に向き合い続けないと、集団を動かし、演劇を上演することはできないと怯えていた。20代の頃は、ひどく失敗せずにいられるなら潰れてしまってもいいと思っていたが、もう限界、と思っていた矢先だった。

 人と集まれない。
 演出家として、人と集まり、創作するためにいろんな思考を学び、蓄えてきたつもりだったが、今回西尾さんから提案されたワークショップで何をすればいいか全く分からなかった。集まれないから思考が働かない。それまでの蓄積が無意味に思えた。他人のために場を作ることしか考えてこなかったのだなと思う。
 なんだか、身体を動かしたい。ムズムズする。
 コロナがあって、生きて、生活していくことを考え直したいと思った。この鳥公園でのワークショップをどうしたらいいかという問いは、演劇・演出とはなにかという疑問を超えて、私とは何か即答せずに考えることだと思った。

一本の槍になる準備をする

 演劇は、情報が多い。
 作家がいかにしてこの戯曲を書いたのか。文体や想定された条件には、作者のメッセージの器がある。また、それぞれのシーンはどんな意味合いがあるのか。実際の俳優が演じるとなにが起こるのか。どのようにして一つの作品にするか。毎回、そういったことを押さえながらも、情報に飛びつき、追いかけて、振り回され、しっちゃかめっちゃかになる。人の目が気になり、耳がキーンと遠くなって、焦って頭に血が上る。戯曲の情報に悩まされる。
 耳が遠くなるのは、常態とは違う、周囲の音が聞こえない世界に行ってしまう感覚だ。
 それを、私の立っているこの場所、この体に戻してくる。心を静かにしていく、ざわめきを止めて、身体に戻る。
 「戯曲の延長線上に置くために」ではなく、一本の槍になるようなイメージ。この槍は実際に飛ばなくても良い。長い本体部分を手にしながら、矢の先端がどこを向いているか、向いている先を眺める。考える。

時間割、稽古のしおり

 今回のワークショップ期間中行ったことは、このグラフの時間割で動いた。

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<始まるまで>
・起床して、準備をする:朝ご飯を食べ、ゆったりと準備をする
・稽古場へ行く:電車内ではなるべく携帯を使わず、ボーとする

<稽古場に来たら>
・ラジオ体操第一、第二:固まった身体をほぐす
・柔軟、ストレッチ:静かな呼吸で、筋や骨、痛み、関節の動きなど、身体の内側を感じる
・即興での動きのワークショップ:即興は私の中に外の目を作る、重要な一歩目である
・発声練習:身体の響き、負荷なく響く、振動の伝わりやすい声を見つける。考え込み引っ込んだ声をひらき、表現を始めやすくする

<トライ>
1日3ターンほど。
必ず1時間毎に10~15分の休憩を行う。
3段階で時間をすみ分け、ジャンプする機会を狙う。
 
例)
・台詞を覚える。「言う」ことの身体感覚、思考の流れを捉える
・紙に時間を書き起こし、目の前に捉えた成果を出してみる、情報をそろえてバランスをはかり、変なところを探したり、埋めていく
・整理が一通り終われば、ひとつの発見をする
・再度覚えて、ワンシーンを実行する
・戯曲を押さえつつも、自分の実行、身体を重要視し、主体性を持つ

スクリーンショット (54)

書き起こし段階、覚えながらでかい紙に書く

私の中に、一人目の観客を探し、発見すること 

 上記のポイントはなるべく結論を急がないように実行した。
 とくに「台詞を覚える」ことは、戯曲とその周辺にあった多くの情報が集約されて、芯の部分が掴めるようになってくる。それは表面的な情報や見てくれを超えて、演劇になり始めている。
 これは私の中に、一人目の観客を探し、発見することだと思った。私の中に、私とは切り離された一人目の観客を作る。
 演出家にとって台詞を覚えることは必要とされていない。
 そのことが、面白いと思っている。結局、演出とはなんなのだろうか。

 今回のワークショップでは、戯曲に対しての新しいアプローチを発見することを期待していたが、もっとモノになる前の、自分が考える「演出」を確かめることだと感じた。そして、私とは切り離された一人目の観客を、生きている中で非常に必要としていることが分かった。
 西尾さんや他のアソシエイトアーティストとも振り返りの際に共有したのだが、この私が必要とするワークショップの機会を、ほんとうの稽古の際も定期的に導入したいと思う。

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