公開相談会 Part2 第二回(ゲスト:影山知明氏)レポート - 五藤真(鳥公園お盆部)
演劇はえてして儲からないと言われますが、鳥公園の場合もやはりお金稼ぎから遠いところにいます。社会を志向したり実験的な創作を行う場合には一般的に助成金がよく活用されますが、助成金を歯車の中心に置き続けるサイクルにしんどさを感じて一度離れているターン。しかし、私益より公共に意識が向いていることには変わりない。
さて、活動を続けるため、何か新たな収益の種を見つけ、事業と公共性をともに育てられないだろうか…
という悩みを、公開相談会第2回「営利事業から生まれる公共性」で、影山知明(クルミドコーヒー/胡桃堂喫茶店 店主)さんに聞いていただきました。というのも、国分寺エリアで地元に根差した事業を行っている影山さんは、お金という主語と人という主語をそれぞれ行き来しながら、大きすぎる公益でも自分だけの私益でもない地に足の着いた公共性を、経営を通して目指されているように感じたからです。
その中で、しっかり端的なキーワードをいくつもいただきましたので、紹介しつつ悩んでみます。
「幹と枝」
影山さんは本の出版も自ら行っていますが、それ単体では付随費用をまかなえず、幹となるカフェ事業があってはじめて枝としての出版事業が成立しているとのことでした。
カフェ事業を幹に持つことで、出版事業単体でなく経営全体で採算を考えることができます。また、出版イベントをしたいと思ったらカフェの空間を使えるなどリソースを活用できます。カフェ事業側からみても、クルミドコーヒーや胡桃堂喫茶店では数多くの書籍(出版した本や選書された本)があちこちの本棚に陳列されており、それは空間の魅力を高めているように感じます。そして手に取ってもらえるそれらの本が、来客者の層を深くも広くもする媒介になっている印象を受けました。
幹の事業と枝の事業をバランスよく持つことで、お互いに支え合い、経営全体に厚みを持たせられるということでしょうか。
では鳥公園の場合…
影山さんから鳥公園の活動の仕方について、「様々な活動を行っているが、幹となる事業がない点に危うさを感じた」と指摘をいただきました。
幹を育てるには、限りあるリソースの大きな割合を、継続的に投下し続ける必要があるんだと思います。
以前、西尾さんと、「進行中の企画数があまりにも多い。かつどれも気持ちを抜かない。そりゃ身が持たない。企画を何本か減らすか、延期するかして、同時進行の本数を減らさないといけないかもね…」と話したことがあります。ですが、それらは相互に文脈が根底で結びついていて、その総体として鳥公園の創作活動が形作られているなとも、そのとき思ったのです。
鳥公園の本質に、いろんな文脈を同時に考える全方位的な複雑さがあるとしたら、特定の枝を太い幹にすることはなかなかできないのでは…?
と理屈だけで投げ出さずに。まずは太い枝があると良いよね。キーワードはあと三つあります。
「特定多数」
販売先を考えるとき、不特定多数のお客を想定すると、コスパ重視でわかりやすい商品をつくらないと競合に勝てない。一方で、特定少数の身内向けのハイコンテクストな活動にすると、幅が広がらず、コストが回収できず経営が回らない。
そのどちらでもない「特定多数」に目を向けるという考え方。
そもそも演劇は不特定多数向けには適していないかもしれません。事前に内容がわからず、後にも残らず、手にとることもできない。
特定少数(知り合いにチケットを売る)からスタートして、いかに特定多数に展開できるかを、界隈のみなが試行錯誤しているのだと思います。演劇コミュニティは狭くて身内ばっかり…なんて話もよくされるけど、裏返せばその中では濃厚で生々しい情報交換がされている、それは強みとも考えられる。
では鳥公園の場合、今周りに直接見えて会える人たちの延長上で、どんな特定多数が想定できるだろう。思うに特に今は、特定少数の輪が多数ある、という感じかもしれない。そのどの輪の中にも西尾さんがいて、少しずつ重なっている。
そのどの輪の人にも、価値を届けられて、お金を受け取れるような!作品・商品・サービスがつくれるといいのかな?すぐにはそんな都合よくいかないと思うが、まずその共通部分があるなら捉えたい。
「コミュニティのコア」
影山さんはコミュニティの作り方について、テーマ型とローカル型に区分したうえで、直接日常的にローカルで接する人たちの方が熱が伝わりやすく、コミュニケーションの密度が高いという実感を話されていました。たしかに…!?
「特定多数」へ声を届ける上で、ローカルによるコミュニティ内での熱伝導は大きな軸になるんだろうと想像しますが、鳥公園は、どこかの場所に根付いた活動をしているわけではありません。上記の区分で言うとテーマ型。さらに、強い熱を一方的に中から外へ伝えるというよりは、各々、自身のペースでゆるやかに熱を伝え合う場であることを志向している。
思考実験をするのに良い場だと思うと同時に、今は、そもそもその場を大きくすることも強くすることも求めていない…?
コミュニティの構成要素として、参加する人自身に着目して、もう一つ挙げられていたのが次の「社会関係資本」です。
「社会関係資本(ソーシャルキャピタル)」
自己決定に基づいた主体的なアクションを通して、他者を活かしあう土壌をつくる。その繰り返しで、共通言語と信頼関係が根付いていく。こうした社会関係資本が、コミュニティ内の繋がりを活き活きと支える力になる。
(という解釈で正しいか不安ですが。)
鳥公園はまさにそういうプロセスを大事にしている気がします。鳥公園から生まれる社会関係資本。鳥公園に関わると、一歩進んでは立ち止まることを経験する気がする…ので、積み編まれる共通言語として「悩むこと」はありそう。はて、悩むだけだと、事業としては推進しないですね。でも悩むことがひたすら尊重される場というのも必要ではあると思う。
*
振出しに戻るじゃないけれど、ローカルの場を持たず(熱が即時的には伝わらず)、生活もライスワークも共有せず(同じ時間を共有することが強制されない)、具体的な期日もゴールもない鳥公園。
わかることは、鳥公園「単体」では、全てをうまく満たす事業はつくれないということかもしれません。でも、いろんな人の公共に触れる鍵にはなりそうな。であれば、他の誰かと幹(でなくても太い枝)の事業を一緒に育てる。コミュニティを、誰かと一緒に育む。そもそも公共が単体で作れないのは字義通り。
メンバーの鈴木くんが「オルタナティブな公共」という発言を以前していたのをふと思い出しつつ。一つ一つ小さな公共を誰かと一緒につくっていく、作品づくりを通じてそれをやる、その一つ一つを仕事にする、ってことでしょうか。道のりは遠いですが、少しずつでも歩を進めていかないとな。
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