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俺vs小野賢章


私塾講のバイトをやっているんですが、この前小学6年生の女の子に「この問題解いて」と言ったら何て言われたと思います?

「嫌です、この問題は家で解きます」


最初何を言っているのか全く分からなかったのですが結局その子の言うとおりにしてしまったのです。間違っていて解き方も身についていなかったので一緒にやり方を確認したかったのですが、誰からも嫌われたくない俺の悪いところが出てしまいました。
まぁ優しくしたら優しくしたで
「あのデブニヤニヤしやがって」とか陰口たたかれてんのかなぁ…。小学生相手に何をビビってるんだか。

………。

なんかもっとハッピーになる前書きないかなぁ。模索は続きます。


ところで朝から今日は前の記事の続きを書こうと思ってたんですが、ちょっと休憩がてらチラッとジョジョ黄金の風のアニメを見たらですね、たまってた15話分最後まで全部見てしまいました。いやぁ…なかなかいろいろ思うところがあったので今日はその感想記事書いちゃいます。 


ジョジョの奇妙な冒険 黄金の風

 週刊少年ジャンプで1986年から連載されている『ジョジョの奇妙な冒険』の第5部、3部から始まったスタンド能力勝負がこの部でもメインになっている、主人公は3部のラスボスのDIOの息子、ジョルノジョバーナ。麻薬で汚染されたイタリアの都市ネアポリスの現状を変えたいという夢を叶えるべく、あえてネアポリスを牛耳るギャング組織パッショーネに入団し、そこでボスを倒すという目標に向かって突き進む物語。

あらすじってめちゃくちゃ書くの難しいなぁ。 なんと言っても最初思ったのは設定がいいなってことですね。前の部のラスボスの息子が主人公ってなんか熱いです。
髪色が同じだったりはもちろん、DIOがラッシュの時に言う「無駄無駄無駄無駄!」が受け継がれています。
悪役サイドが無駄無駄言う分には違和感はないのですが、主人公サイドが言うとちょっと違和感ありますよね。無駄って言葉は3部承太郎「オラオラ!」、4部仗助「ドラララ!」よりもマイナスな言葉なので。
あんまりヒーローってマイナスの言葉言わないじゃないですか。言いすぎると正義側がイヤらしく聞こえるというか。
やっぱりヒーローには余裕があって欲しいっていうのは思ってる人多いと思うんです。それだけに面白い設定だなぁと思いました。
違和感というのはもちろんいい意味で、普通のヒーローっぽくないとこ好きってことです。

ところで小野賢章さんの無駄ラッシュかっこよすぎて男の俺でも痺れました。平場の会話から漂うジョルノの知性、落ち着きもうまく表現されてました。ハマリ役ってやつですね。
花澤さんとの文春の記事で名前が出てからずっと何者!?ってライバル意識がありましたが負けましたね、男としてのこの戦いは。顔はとりあえずいいからイケボが欲しい。 



もう一ついいなって思ったのは、チームで行動するということに重きを置かれている部である事です。ジョルノはボスを倒すために2話からチームで行動します。4部は結構個人戦が多かった。(それはそれで好き、ザバンドはもうちょっと使い手が有能だったらチーム戦なってたかな)チーム戦という意味では3部もそうなんですが個々の能力の結びつきが3部よりも強い気がしました。 

ここでジョルノのチームのスタンドを見てみます。

 ジョルノ:物体に生命を与える 
ブチャラティ:殴った物体にジッパーをつけ切断、接着する 
アバッキオ:その場にいる、いた人間の過去の行動をリプレイできる 
ミスタ:弾丸の軌道を制御できる 
ナランチャ:戦闘機で攻撃、周辺の二酸化炭素を探知できる 
フーゴ:殺人ウィルスを周囲にばらまける 

最初ジョルノとブチャラティのスタンド弱くねとか思っちゃったのですがその杞憂は2話で既に消え去りましたね。スタンドの応用がすごい、一見すると単純な能力に見えてこんな使い方もあるんやと驚きの連続でした。
5部はナランチャとかアバッキオはもちろん、主役のスタンドがサポート役になることが多いのが面白いですよね。 強いのは味方だけではなくて敵もそう。5部は頭脳戦の傾向が強かったですね。(特に後半) 

何回ビデオ巻き戻したことか…。「何!?今の何!?」私頭悪いんです。アニメもう100本以上観てるけど理解力は1ミリも身につかないですね。すぐネットとかで解説とか読んじゃうからかな?みんな結構自分で考えてるから理解力あるのかな。 




※ここから軽いネタバレあり。

 

そして!!5部はメッセージ性がめちゃくちゃ強かった。いや他の部もあったのかもしれないけど俺が読み取れてないだけ?でも確実に5部はメッセージはあったよ、鈍い俺でもわかります。 

ラスボスとのバトルは3部も4部も最終話までたっぷりじっくりやるんですが、5部は全39話までありますがラスボスとのバトルは37話で終わってしまい、残りの2話はそのメッセージを伝えるための回想を描いているという構成になっています。

なかなか斬新というか。正直回想はじまったときは、ラスボスあっけなくね?なんかつまんないなくらいまで思ってしまったんですが、終わってみればなかなか強烈なメッセージが伝わってきました。
 

運命より過程が大事」 こんな解釈ですね。死ぬという運命を背負いながらもそれをそのまま受け入れることはせず過程を大事にしたから、ブチャラティチームは勝利を手に入れられた。眠れる奴隷。 

でも正直メッセージは伝わってきたんですがそれを素直には飲み込めなかったです。私の考え方としては過程すら運命づけられてるのではと考えてるからです。過ぎ去った時間はもう元には戻らないとか言いますが、それは人間、ひいては生物が認識できないだけだと考えているのです。
 ソーセージはどこの断面を切っても同じような模様をしているのと同じ。(ジョジョっぽいから褒めて)
そこに時間の前後という概念を勝手に人間が後付けしてるって考え。伝わってるかな?多分伝わってない。もうすでに50億年後の運命だって決まってるような気がするんですよ、生物が見ているものは編集できないビデオを見てるだけみたいな。
今こうしてnoteを書くのも、再来年単位が足りず留年するのもビックバンの時から決められた運命なんです。結局人間の思考って脳波によるものじゃないですか。人間(というかその中の魂)が脳波によって自分に都合の良い解釈で、自分の意思で行動してるように感じてるだけとまで考えています。
なんか悲しい考えですよね。俺の人生というビデオテープを巻き戻しなしで80年間観続けてるだけってことですから。 結局そのビデオを観るという行為に意味づけした方が楽しいよね!!って考えに落ち着いています。
こればっかりは誰の力を借りても答えが出ない問題ですね、死生観の本今度借りてこようかな、他の人の死生観も聞いてみたい。 


思ったこと書いてたら結構長くなったなぁ…。 とりあえずジョジョみんな観て!

おしまい!

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