ドブさらいは臭いから出ていけ!その1愚痴が出るほど心の余裕を産んだのは誰よ

東芝の車谷氏が辞任した。報道は「事実上の解任」というが、本当のところはクーデターではなかったのだろうか?

車谷氏について現時点(令和3年4月15日)でのライブ状況ではいいことが一つも出てこない。「東芝は社外からCEOを招かなくても自主再建できた」とか「車谷は”ものづくり”のことなどわかっちゃいない」とか「外資に媚を売る人間」みたいなことが書かれている。

では聞くが車谷氏が来る時の東芝はどうだった?

あの頃はみっともなかった。決算が株主に報告できないという異常事態である。その根本は「みっともない大赤字でフラれるのが怖かった。」ということだ。こっぴどく言えば巷では魅力のある女を、離したくないからと貢ぎ続けて「俺の女だ!」と豪語した自称貴公子が東芝だったのだ。他にも「縁切っちゃったら?」という女はたくさんいた。プライドが高いくせにズルズルでカード破産もあと一歩のところで、次々と縁切りをして浪費を抑えたのが車谷である。(女とはどこの会社なのか、どこの部門かは伏せる)。

車谷氏はこのどうしようもないボンボンを、3つの方法でましな労働者にしたてた。

1つはカネにならないものは捨てた。それは代々続いて受け継いだのだからと言っても「ゴミ屋敷になって床が崩れたら明日から住めなくなるだろう。」と一蹴した。(利益を産まない部門や画餅のプランをたたんだ)

2つ目はカネになるものを質屋に売ってカネを貯めた。(コストがかかるコンピュータ関係は魅力を保持しつつ、買ってもらった。)

3つ目は履歴書の欄の自己アピール文を魅力あるものにして(今後の経営方針の抜本的な見直し、短期的目標の達成度の報告)自分を世界にとことん売り(外資系からの資本提供)、有望であること(量子暗号技術が優れている)もきちんと説いて、ましな生活のスタートラインに立とうとした。

どうだろうか。クビになっても食い扶持を探すために再就職を目指す人間と何ら変わらないのである。

ところがそれに対して文句を言う人間が出てくる。それは東芝で働く人間である。「昔の東芝は…」と必ず言う。ただ皮肉なことにこの恨み節が生まれるというのは、それだけの心の余裕が東芝で生まれたということになる。一方で車谷氏は、そんなことを言う暇がないほど、明日、一週間、一ヶ月、一年、十年先を見通さなければいけなかったのではないだろうか。

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