ドブさらいは臭いから出ていけ!その2臭いからやりがいがあるのだ。

車谷氏の解任についての続編。

さて車谷氏が向き合っていた相手とは何だったのだろうか?

それは「時間」である。

ビジネスではしきりに「チャンス」という言葉を使う。それは好機を待つのではない。時間を手球にとって好機を招き寄せる。この立場に立っているのがかっこいい言葉の「戦略的スタンス」である。しかし車谷氏が東芝に来たときは東芝の暖簾が倒れそうになっていた。加えてまずかったのは、一過性のものだから景気が回復すれば何とかなる。という「風が吹けば桶屋が儲かる」の発想が蔓延していた。

誰も傷つきたくない。自分も傷つきたくない。そういう思いは車谷氏もあったと思う。冷血な人間は景気がいい時にクビを切る。どういうこと?というと、切っても誰かが受け入れてくれるからだ。それで恨まれることも半減する。活躍の場を設けたのだからと弁も立つ。しかし不況や危機的状況でクビを大量に切るというのは、行き場を失うことになるのだからその人の人生を狂わせる。冷血な人間はその立場から逃げる。何せ自分が可愛いから。

車谷氏は大規模なリストラを敢行したが、それは人から恨まれることぐらいは知っている。この先の経営再建での足かせとなるのも重々承知してのことだ。

恐らく車谷氏は自分が「ドブさらい」とみなしていたのではないだろうか。大量に出てくるドブを、さらってさらってその源を封じ込めて、当たり前に供給される清潔な水を流させる。

ドブをさらうのは時間との戦いである。ヘンテコな構図になるのだが、ドブをさらって生物を届ける役目を負っているのが車谷氏であった。

「とにかく新鮮で生きのいい食べ物を届けるためにはこの道が一番短い。新鮮さを失わないためにも。」と彼は次々とさらってさらって途中の行商人に買ってもらった。

ドブさらい人間は多くの人間から「汚いものを扱う醜い人間」と蔑まされる。しかしドブさらい人間はグローバルなシステム観察をしている。共通して言う言葉は「誰かがやらなければいけない。」である。またドブさらいとはマゾ的な要素がある。石が飛んできたり、やじが出てきたりすると「嫌だな。」ではなく「ああ、俺認められているんだ。あいつらを元気にしているんだ。」なのである。だからちっとも怖気づかない。むしろ自分の目標が達成された瞬間、いじめた人間が自分を踏みつけられて進んで清い水を通してくれればそれでいいのである。極めつけは人が忌み嫌うものを扱っている実感である。数字が飛び交う世界よりも実を感じているから達成感はある。そして極めてワールドビジネスにこだわっていた。

というのも新しく返り咲いた社長の自宅を褒めていて、車谷氏の住む場所が都心の一等地で気に入らない。というような記事を目にした。確認するとなるほどと頷けた。ところが車谷氏の住んでいるところから本社と羽田空港を結びつけると、断然アクセスがいい。例えば「リーダーとダイレクトでお話したい。」なぁんて外国から要請を受けたとする。車谷氏は会社からちょっと自宅へ引き返して着替えを入れて空港へ行っても、何分単位である。だが新CEOの場合は下手すると1時間の大差がつく。つまりこのことから言っても、車谷氏は「いざ本社、いざ羽田」の臨戦態勢を築いていたといえる。都心から離れているから庶民的。というのは車谷氏がこだわる時間とビジネスの関数からすればナンセンスなことであり、タイムロスこそが東芝の命取りになりかねないのだ。(まあ私も貧乏人なんで比較したい気持ちはわからなくはないが)

体についたドブはいつでも水できれいに洗い落とせる。しかし時の流れだけは元に戻せない。私は車谷氏がようやく石鹸で洗い落としてスタートラインに着いたと思ったら、さらったドブだめに東芝幹部が集団で突き落としたとしか思えない。

しかし車谷氏はこう思うようになるかもしれない。「未来に向かって走ろうとしているんだからいいだろう。所詮俺は外様なんだし。」と。


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