鷺は戻ってくるか
足を止めて、浅瀬に目を凝らす人がいる。視線の先には、気配を消して獲物が流れてくるのを待つ鷺。彫像のように微動だにせず立つ姿は凛々しく美しい。しかし姿だけに見とれているわけではない。
待っているのである。
梨木香歩さんのエッセイに、蓮池でアオサギが鯉を口にくわえたものの、大きすぎてついに飲み込むのを諦めるまでの苦戦ぶりが、無性に好ましくて目が離せなかった、とあった。解る、と共感。
でもなかなかその瞬間はやってこない。
すぐ前が川なので、鷺の姿はよく見かけるけれど、獲物を捕らえるのを一度も見たことがない。
今日は獲物にありつけたのか、寝ぐらはどこにあるのか、待っているヒナはいるのか。夕刻に見かけると、とりわけ気が揉める。
呑み込んだ魚がするする降りて行くあの白鷺の伸ばした首を 朝日歌壇 2020. 11. 1
こんな歌をわたしも一度は詠んでみたい。
今年、下流からの護岸工事がこの辺りまで伸びてきて、川辺の生き物が姿を消した。
橋の上から投げられるパンくずを期待して集まる鯉、数羽で川面を滑る鴨、そして白やグレイや青の、首の長いのや短いのや色々な種類のサギ。
散歩中、目ざとく見つけた保育園児達の歓声も。
一昨年秋の台風では、すぐ下流の地域に避難指示が出た。ここら辺りの雨量がさほどでない時でも、上流からの水が集まってすぐ前の橋桁に届きそうに流れる時は、目にも耳にも恐ろしい。
気候変動で増える雨量を受け止めるために、必要な護岸工事だ。
それにしても、このコンクリートで固めた、趣のない水路。もはや川とは呼べない。両岸の歩道の下に遊歩道。これ必要? 住民には不評である。
生き物達は戻ってくるだろうか。
江戸期には、土手を固めるために川岸に桜を植えて人に踏ませるという、素晴らしい治水事業の知恵があった。なのに現代の技術をして、もっと生態系に配慮した、かつ景観に馴染む姿はなかったかとがっかりである。
前期の工事日程が一旦終わって2ヶ月の今朝、久々にベランダの向こうを白鷺が飛んで行く!!!
買い物の道すがらキョロキョロすると、白鷺がいたのは、護岸工事がまだ手付かずの橋の上流側。
やっぱりこっちがいいよなあ。
草の陰にもう一羽。獲物がいそうなのはこっちだよなあ。
秋には赤い曼珠沙華が数十メートルに渡って点々と顔を出す、この土手沿いを歩くのが大好きだ。来年にはここもコンクリートで覆われてしまうなら、今年が見納め。重ねてうらめしい。
さて、鷺は戻ってきてくれ るだろうか。
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