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「オリガ・モリソヴナの反語法」

米原万里のエッセイや、ゆかりの人々が書いた評伝が面白かったので、長編小説の本書はずっと積読のままだった。タイトルが取っ付きにくかったこともある。

反語法?

筆者が小〜中学校の5年間を過ごした、ブラハのソビエト学校の3人の同級生との出会いと再会を綴った「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」のスピンオフのように始まるので、こちらもノンフィクションのように読み進めていく。

反語法の意味は、読み始めるとすぐ分かった。

物語はフィクションであるが、主人公のダンス教師、オリガ・モリソヴナは、著者が実際に授業を受け、強烈なインパクトを与えられた、実在の人物である。

古風でキテレツな衣装。罵詈雑言の表現が豊かという露語でも、あまり聞かないユニークな言い回しでテンポ良く畳み掛け、生徒の意気を瞬時に凹ませる。

生徒達は、これから罵詈雑言が誰かに浴びせられることを、次のような口火で、知ることになる。

📖…ああ神様!これぞ神様が与えてくださった天分でなくてなんだろう!長生きはしてみるもんだ!こんな才能、初めてお目にかかるよ!…

そこの驚くべき天才少年のことだよ!…何をぼーっと突っ立っているんだい!えっ?

(ぼっ…僕の考えでは…)

僕の考えでは…だって。フン。七面鳥もね、考えはあったらしいんだ。でもね、結局スープの出汁になっちまったんだよ。…

ほれ、両目をおっぴろげてちゃんと見るんだよ。ハンガリーダンスの場合はだね、何度も言っているように、右足はこんなふうに弧を描くようにして前から後ろに持っていく。…📖

これが反語法。

おそらく80を越していようかと思われるのに、すっくと伸びた背筋。美しい足。世界のあらゆる音楽のリズムをピアノで弾きこなし、行事での発表に向けて、子供達にダンスを振り付け、完璧に仕込んでしまうので、生徒、職員、保護者達に有無を言わせない、名物教師だった。

物語の語り部、志摩は、面白おかしい学校生活の中でも、聞いてはいけない大人の事情があることを、子供ながら敏感に感じ取っており、それらの記憶の付箋が、物語が進むにつれて、少しずつ回収されてゆく。回想録とも、歴史小説とも、上質のミステリーとも読める、引き込まれるプロットである。

50代半ばで惜しまれて亡くなった米原万里が、亡くなる4年前に書いた初めての長編小説。子供時代に会った、強烈な個性の持ち主への憧憬と、その人生への好奇心が、この物語を書く動機だったのだろうか。それとも、国の政策で、理不尽にも粛清されたり、人生を狂わされた数多の人々の無念への共感、憤りだろうか。

生前、著者は歯に衣着せぬ毒舌で知られていたようだが、筆者が自身を投影していたのは、ダンスの道を諦めて翻訳家になった、年回りも筆者を想起させる語り部志摩ではなく、老ダンス教師オリガなのでは思えてくる。

80年のスパンで語られる物語は、さらに今日につながる。

会議通訳として、また、エリツィンやゴルバチョフら要人に付き添って日露の仲立ちをして、多くの友人知己を得ていた米原万里が生きていたら、長く親しんだ地域の、2022年の現状を見て、何を感じたろうか。キレのある、率直な言葉を聞けないのが残念でならない。

文庫版巻末に載っている、池澤夏樹との対談で、筆者はこんなことを言っている。

📖…スターリン時代のソビエトのような独裁体制の国は、悪い人は絶望的に悪い。その一方で、こんなに人がよくて大丈夫なのかと心配になるほどいい人がたくさんいます。でも、猜疑心を持たないいい人が巨悪を許す、という点では、いい人の罪も重い。…📖

いま、読まれるべき本だと思う。


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