曇天のカレー
私の生息地はあいにくのお天気で。気分も少しどんより。せっかく早く起きたけどちょっと残念。
そんなときに限って、モラハラ父がその力を存分に発揮して、私も母もやられてしまった。
母の立場になってみると、子はうつ病だし、夫はモラハラだし、本当に大変だよなぁ……母のことが心配だ。
母は昔から責任感の塊のような人で、仕事も家事も一切妥協しない人である。
姑にどんな嫌味を言われようと、夫にどんなひどいことをされようと、私には決して弱音を吐かなかった。
けれど幼心に、母が背中で泣いているのを感じていた。迷惑をかけまいと家事を率先して手伝い、宿題はいつも完璧にこなした。
まるでギスギスした家庭の潤滑油のように。家族なのに話の通じない人々の翻訳こんにゃくのように。そんなふうに私は育った。
本当は母にもっと甘えたかった。けれどそんな余裕はうちにはなかった。
年老いて頑固さを増していく祖父母、話が通じずすぐキレる父、天真爛漫を絵に描いたような姉。
母にとっては仕事が、私にとっては勉強が、居心地の悪い家庭からの逃げ場であり、心の拠り所だったのかもしれない。
今、私はうつ病になって、ほとんど初めて母と一緒の時間をゆっくり過ごしている。
母親という特別な存在だった母も、一人の人間として多くのことに悩み涙を堪えて生きてきたのだ。
そのことが大人になった今の私にはよくわかる。
病気になり仕事はおろか家事もろくに出来なくなってしまったけれど、彼女のために何ができるだろう。
さて、どうしたものか。とりあえず、生きることはやめてはいけないな。
今日は曇天。母とふたりで遅い昼食をとった。
メニューは、どんよりとした天気も気分も吹き飛ばすかのような激辛のカレー。
からいね、と笑って言いながら、でも心ではつらいねと言った。涙をからさのせいにして。
あんたがいてよかったわぁ、と母が言った。ぐすん、という音がしたけれど顔は見れなかった。
つらさとからさでぐちゃぐちゃの気持ちで、カレーの皿をただただ見つめた。
何もできないし迷惑ばかりかけて情けないけれど、子の存在ってそういうものなのかな。
ほんの少しでも母の生きがいになっているのであれば、とりあえず生きていかなきゃな。やりたいことも希望もないけど、母のためを思ったら早く元気になりたいと思えた。