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うつ病を受容し適応する。暖かな陽だまりのように。

うつ病を完治させることは可能なのか?

うつ病患者なら誰もが本心では完治を願っているだろう。
しかし実際には寛解という言葉が使われることが多いように、いったん症状が落ち着いて治療が不要になっても、再発することの多い病いであるのが現状だ。

完治、つまり完全に治すのが難しいなら、私たちは何を目標に治療をしていけば良いのだろう。

完治は難しい。では何を目指す?

うつ病の治療の目標。それはうつ病を受容し適応する術を身につけることだと私は考えている。
うつ病を敵とみなして戦い、排除することを目指すというよりは、ありのままの自分を受け入れて、様々な不調をうまくかわしたり、乗り切ったりできるような工夫を見つけること。
そして周囲の人にもありのままの自分を受容して適応してもらえるよう、私たちが感じている世界を少しずつ見せていくこと。

その過程で偶然、 孫悟空の輪っかがポロっと取れることがあるかもしれない。無理やり輪っかを外そうとすると痛いからね。そうなったらラッキー、という感じの気持ちがちょうどいいのかも。

ありのままの姿をポカポカ照らす

北風と太陽の寓話でいう、太陽のような……周りの人に自分の世界を北風のように吹き付けるのではなく、ありのままをポカポカと照らしていくような……。
メンタルが最強な人に全く違う世界を吹き付けるよりは、ネガティブだけどそれなりに居心地のいい世界もあるのだということをポカポカと……。そしたらスッと私たちの世界に入ってくれることもあるのかもしれない。
理解してくれ、と押し付けるのではなく、こんな世界もあるのだよと提示するだけ、という感じ。理解できないけど、ま、いいか。そんな感じでのんびりとやっていければいいのかも。

人間は一人ひとり異なる考えを持っている。うつ病に限らず、他人の感じている世界を理解するなんてことは難しい。だから、北風のように押し付けるよりは、ポカポカとした陽だまりのように、受容と適応をしている自分の姿を見せていくことが大切なんじゃないかな。

人間は賢いけど、結局は生き物なんだもの

私が傾倒していた生物学の専門用語で受容適応という言葉がある。どちらも生き物が置かれた環境でうまく生き延びていくために必要なこと。いくら賢く技術を得た人間もやはり生き物。だから、刺激を受容し環境に適応していく、というのは、本来のあり方なのだろうなぁ。そういう柔軟さが無生物とは異なる、生物の良いところだと思う。

なんだか何が言いたいのかまとまらないけれど……。
他人の世界が羨ましく思えても、自分の世界は自分の世界として半ば諦めて、少しでも居心地の良いように、暖かな陽だまりのようにしていくことができたらいいのかな。

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