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なぜ大人がムーミンに魅了されるのか?:青い鳥文庫版ムーミンの作家・芸術家のエッセイから考える

第12回では、ヤンソンが書いたエッセイ「似非児童文学作家」から、ムーミンが大人をも魅了する理由を考えました。今回は角度を変えて、ムーミンの読者たちの言葉をたよりに、ムーミンの物語の魅力を考えてみたいと思います。

トーベ・ヤンソン生誕100周年の2014年頃に刊行された青い鳥文庫のムーミンシリーズの新装版には、作家や芸術家のエッセイが巻末に加えられました。

『小さなトロールと大きな洪水』:末吉暁子(児童文学作家)
『ムーミン谷の彗星』:あさのあつこ(作家)
『たのしいムーミン一家』:角野栄子(児童文学作家)
『ムーミンパパの思い出』:山本容子(版画家)
『ムーミン谷の夏まつり』:乙武洋匡(作家)
『ムーミン谷の冬』:小林深雪(作家)
『ムーミン谷の仲間たち』:石崎洋司(児童文学作家)
『ムーミンパパ海へいく』:森絵都(作家)
『ムーミン谷の十一月』:藤野恵美(作家)

これらのエッセイを読むと、ムーミンが大人の読者にとっても読みごたえのある物語であることがわかります。森絵都さんは、子どもの頃にムーミンに抱いた印象と大人になって読み返したときの印象の違いを書いています。末吉暁子さんや小林深雪さんも、大人になって読み返しても意義深い物語であることに言及しています。あるいは、山本容子さんは、大人になって初めてムーミンを読み、挿絵が文章を適切に補い、また物語に親しみや余白をもたらしていることを感じとっています。

ムーミンが読者の心にどのように響くのか、という観点から見てとりわけ印象的だったのは、児童文学作家の石崎洋司さんが『ムーミン谷の仲間たち』に書いた「捨ててはいけない本」です。石崎さんはムーミンのアニメを見てスナフキンを好きになりましたが、大学生の時に『ムーミン谷の仲間たち』を読んでスナフキンをさらに好きになりました。その理由は、短編「春のしらべ」でスナフキンの気持ちを表した「あしたも、きのうも、遠くはなれていました」というフレーズによって、入院して長い間病室で過ごしていた子どものころのことを思い出し、「幼い日々に漠然と感じていたことがらに、ぴったりの言葉を与えてくれた」と感じたからだそうです。幼い石崎さんは、自分が死ぬかもしれないとお医者さんが話すのを耳にしてしまい、学校のことを考えなくなって身の回りのことに注意が向くようになりました。病室で聞く音や窓から見える景色に感じる「しんみりとした心地よさ」は、まさに「あしたも、きのうも、遠くはなれていました」という感じだったそうです。石崎さんは、もっと年齢を重ねてからのエピソードも紹介しながら、好きなときに拾い読みをすると今の自分や過去の自分が「その年齢ごとに感じていることにぴったりの言葉」を与えてくれる『ムーミン谷の仲間たち』は、「決して捨ててはいけない本」と締めくくっています。

私も日々の生活の中でムーミンの物語の中にある言葉を大切にしています。しばらく前のことを思い出してみると、勉強やアルバイトやそのほか考えなくてはならないことに追われている学生の時、『ムーミン谷の十一月』を初めて読みました。物語の中でミムラねえさんは、「空想して、ねこがいるわ、と思えばいいのよ。そしたら、もう、あんたにも、ほんとにねこがいるのよ」といいます。このセリフを読んで、現実が窮屈になってしまっても、ちょっと空想すれば、状況は変わらなくても自分の気持ちの持ちようを変えられることに気づきました。路地を歩きながら「この塀の上をねこがいるとしたら」と空想してみるだけで、疲れ切って歩く帰り道も少し楽しくなりました(時々本当にねこに出会うことも……)。石崎さんの経験とは違いますが、当時この本とこのセリフに出会うことができてよかったと思っています。

トーベ・ヤンソンの本には、はっとさせられるフレーズがたくさんあります。ムーミンの物語には、うれしさ、さびしさ、もどかしさ、はずかしさ、すがすがしさ、新しい価値観や自然への畏怖など、人の心につながるポイントがたくさん散りばめられています。どの物語のどの言葉が心に響くかは、人によって異なるでしょう。あるいは、同じフレーズを読んでも人によって思い出される経験や気持ちもさまざまでしょう。もしかしたら、同じ人が同じ本を読んでも、心に留まるフレーズはその時によって違うかもしれません。

第12回では、読書は作者とのコミュニケーションであると書きましたが、これは初めて読んだ時だけのことではありません。ヤンソンの本は、手に取るたびに懐かしさや新しさを読者にもたらし、友人のような存在になりうると思います。ムーミンの青い鳥文庫の訳は初出の訳で、新版のソフトカバーのシリーズでは訳が編集されていますが、新版の編集を手掛けた畑中麻紀さんは、「ムーミンは、読みはじめたときから生涯ずっと、ともに過ごしていける物語」といいます(雑誌『MOE』2020年11月号p.36)。
また、同じ本を読んだ人の感想に触れることで、改めて作品や作者や自分自身を考えるきっかけになることもあります。本や作家にまつわるエッセイを読んでみたり、本の感想を語り合ってみたりすることも、間接的ではありますが、作者とのコミュニケーションの方法のひとつなのかもしれません。

<紹介した本>
青い鳥文庫のムーミンシリーズ
トーベ・ヤンソン 作・絵『小さなトロールと大きな洪水』冨原眞弓 訳、講談社、2015。
トーベ・ヤンソン 作・絵『ムーミン谷の彗星』下村隆一 訳、講談社、2014。
トーベ・ヤンソン 作・絵『たのしいムーミン一家』山室静 訳、講談社、2014。
トーベ・ヤンソン 作・絵『ムーミンパパの思い出』小野寺百合子 訳、講談社、2014。
トーベ・ヤンソン 作・絵『ムーミン谷の夏まつり』下村隆一 訳、講談社、2013。
トーベ・ヤンソン 作・絵『ムーミン谷の冬』山室静 訳、講談社、2014。
トーベ・ヤンソン 作・絵『ムーミン谷の仲間たち』山室静 訳、講談社、2013。
トーベ・ヤンソン 作・絵『ムーミンパパ海へいく』小野寺百合子 訳、講談社、2014。
トーベ・ヤンソン 作・絵『ムーミン谷の十一月』鈴木徹郎、講談社、2014。



著者紹介 / 小林亜佑美(こばやし あゆみ)
秋田県出身。高校生の時に初めてムーミンを読み、大学で文学・文化・表象論を学びヤンソン研究を始める。
2013年山形大学人文学部卒業、2016年法政大学大学院国際文化研究科修士課程修了。
修士論文タイトルは「理解・不理解の主題から読み解くヤンソン作品の変化:『ムーミン谷の仲間たち』を中心に」。
著作物;バルト=スカンディナビア研究会誌『北欧史研究』第37号に「日本におけるトーベ・ヤンソンおよびムーミン研究の動向」を掲載(2020年)。

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