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トーベ・ヤンソンが読んだ子どもの本

   第11回で、『Resa med Tove : en minnesbok om Tove(トーベとの旅:トーベとの思い出の本)』を紹介しました。この本は、トーベ・ヤンソンにかかわりのあった23人が書いた比較的短い文章で構成されており、ヤンソンが亡くなった翌年の2002年に出版されました。

 今回は、この本の中から、スウェーデン語系フィンランド人の作家ボー・カルペランがヤンソンへの2つのインタビューをまとめた記事を参照し、ヤンソンがインタビューで言及した本や作家を紹介します。ヤンソンは多くの作家や作品を挙げていますが、ここではとりわけ子どもの本の作家を取り上げます。

 カルペランの1つ目のインタビューは、1964年にヤンソンのアトリエで行ったもの、2つ目のインタビューは1987年にスウェーデンのヨーテボリのブックフェアで行ったものです。1987年のインタビューの前に、カルペランは、23年前のインタビュー記事のコピーを添えてヤンソンに手紙を送りました。ヤンソンは返事を書いており、このやりとりもインタビューとともに上記の本に掲載されています。
 最初のインタビューでヤンソンが語る内容は、第12回で紹介したエッセイ「似非児童文学作家」(1961年)の内容に似ています。ヤンソンは作家が子どもの本を書く動機について述べており、ヤンソンが子どもの頃に読んでいた本についても話しています。

 ヤンソンは、幼い頃に好んで読んだ作家として、アロセニウス、トペリウス、ラーゲルレーヴなどを挙げ、ヨン・バウエルの絵が好きであることも述べています。これらの作家の本のいくつかは日本語訳で読むことができます。アロセニウスの『リッランとねこ』、トペリウスの『星のひとみ』『木いちごの王さま』、ラーゲルレーヴの『ニルスのふしぎな旅』などです。ヨン・バウエルのイラストは『北欧の挿絵とおとぎ話の世界』で見ることができます。

 ヤンソンが1977年に出版した絵本『ムーミン谷へのふしぎな旅』を見てみると、ヨン・バウエルの作品からの影響が表れています。薄暗いマングローブの森を歩く少女「スサンナ」の絵は、おとぎ話のアンソロジー『Bland tomtar och troll(トムテとトロールに囲まれて)』でバウエルが描いた王女の絵に似ています。(『ムーミン谷へのふしぎな旅』の6~7ページと『北欧の挿絵とおとぎ話の世界』の167ページをぜひ比べてみてください。)

 また、ヤンソンは好まなかった本として、グリム童話や『もじゃもじゃペーター』、『マックスとモーリッツ』を挙げています。グリム童話は伝承をもとにグリム兄弟がまとめた童話集で、日本でもよく読まれ、研究も盛んです。『もじゃもじゃペーター』(1845)はドイツの精神科医ハインリヒ・ホフマンの、『マックスとモーリッツ』(1864)はドイツの画家であり詩人でもあるヴィルヘルム・ブッシュの作品で、どちらも日本語訳があります。
 ヤンソンはなぜこれらの本を好まなかったのでしょうか。

 ヤンソンが好まなかったとはいえ、具体的に名前の挙がった2冊は不思議な魅力のある本です。まずはこれらの作品を簡単に紹介します。
 『もじゃもじゃペーター』は独立する10編の詩で構成されています。『マックスとモーリッツ』は、本の題名になっている男の子二人の7つのいたずらを軸に構成されています。どちらも子どもへの教育を意図して書かれた本で、悪さをした登場人物がひどい目に遭う内容です。恐ろしい内容でありながらも、簡潔に淡々とテンポよく展開し、軽快に読み進めることができます。さらに、これらの本の魅力は文体にもあるといえるでしょう。『もじゃもじゃペーター』を見てみると、ドイツ語の原文では押韻のある詩の形式になっています。日本語訳では独自の工夫が見られ、語は短く区切られ、音数が整えられています。たとえば、本の始まりは「ごらんよ ここにいる このこを/うへえ! もじゃもじゃペーターだ」となっており、内容だけでなくリズムを楽しめる作品でもあります。

 さて、ヤンソンはこれらの本を好まなかった理由をインタビューでははっきりと述べていません。しかし、ヤンソン自身が子どもの本を書く時には教育のためではなく楽しませるために書いているのだと述べていることから、上記の本の教育的要素がヤンソンの考えと相いれなかったのだと考えられます。たしかに、ヤンソンが児童書の形態で出版したムーミンの物語にもそれ以降の大人向けの本にも、教訓の物語はありません。ムーミンの中には、じゃこうねずみやヘムレンさん(たち)やフィリフヨンカなど、こだわりや思い込みが強くてちょっと付き合い方の難しい登場人物はいますが、彼らは根っからの悪人ではなく、不運な目に遭うことはあれども懲らしめられることはありません。ムーミン物語は全部で9つあります。最初は冒険物語から始まりましたが、次第に登場人物の心情の機微や変化を描く大人向けとも受け取れる内容に変化していきました。それゆえすべての本を同列に語ることは難しいですが、教訓を語っていないことは9冊すべてに共通しています。


<紹介した本>
Helen Svensson, Resa med Tove: en minnesbok om Tove, Esbo, Schildt、2002.
イーヴァル・アロセニウス 作・絵、ひしきあきらこ 訳『リッランとねこ』徳間書店, 2022。
サカリアス・トペリウス 作、万沢まき 訳『星のひとみ』(新装版)岩波書店、2003。
せなけいこ 絵、石井睦美 文、サカリアス・トペリウス 原作『星のひとみ』KADOKAWA、2018。
サカリアス・トペリウス 原作、岸田衿子 文、山脇百合子 絵『木いちごの王さま』集英社、2011。
セルマ・ラーゲルレーヴ 作、菱木晃子 訳『ニルスのふしぎな旅 上』福音館書店、2007。
セルマ・ラーゲルレーヴ 作、菱木晃子 訳『ニルスのふしぎな旅 下』福音館書店、2007。
海野弘 解説・監修『北欧の挿絵とおとぎ話の世界』パイインターナショナル、2015。
トーベ・ヤンソン 作、渡部翠 訳『ムーミン谷へのふしぎな旅』(新版)講談社、2019。
ハインリッヒ・ホフマン 作、ささきたづこ 訳『もじゃもじゃペーター』(新版)ほるぷ出版、2020。
ヴィルヘルム・ブッシュ 作、ささきたづこ 訳『マックスとモーリッツ』ほるぷ出版、1986。
(上記は一例です。複数の翻訳がある本があります。)


<参考文献>
Tove Jansson, Bulevarden och andra texter, Förlaget, Helsingfors, 2017.
(エッセイ「似非児童文学作家」を掲載)
トゥーラ・カルヤライネン 著、セルボ貴子・五十嵐淳 訳『ムーミンの生みの親、トーベ・ヤンソン』河出書房、2014。
(306~307ページにて『ムーミン谷へのふしぎな旅』が他の作家たちから影響を受けていることを指摘)


著者紹介 / 小林亜佑美(こばやし あゆみ)
秋田県出身。高校生の時に初めてムーミンを読み、大学で文学・文化・表象論を学びヤンソン研究を始める。
2013年山形大学人文学部卒業、2016年法政大学大学院国際文化研究科修士課程修了。
修士論文タイトルは「理解・不理解の主題から読み解くヤンソン作品の変化:『ムーミン谷の仲間たち』を中心に」。
著作物;バルト=スカンディナビア研究会誌『北欧史研究』第37号に「日本におけるトーベ・ヤンソンおよびムーミン研究の動向」を掲載(2020年)。

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