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第8回「ナイチンゲール」を読む(後編)

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 ここで物語世界の構成をもういちど確認しておきましょう。宮廷の中の世界は皇帝の支配の下に置かれた人為的制度の領域で、廷臣や従者たちはその秩序に従って生きています。その支配を象徴する文明的な装置が、整然と設計された巨大庭園です。世界の諸物を集約し人びとに誇示するという、近世以後のヨーロッパにみられたコレクションの欲望を具現化したこの庭園は、皇帝の支配領域の広さを示す指標になっているのです。
 ナイチンゲールの生きる森の世界は宮廷的秩序の外側に広がる自然の領域で、そこには漁民をはじめとする土着的な生活者が住んでいます。外国の博物誌的な書物を通じてはじめてナイチンゲールという鳥を知った皇帝は、帝国内に自分の支配の及ばない未知の領域があることに衝撃を受けます。それはまるで、陶器を敷き詰めた宮廷建築が脆くも崩れ去るような動揺をもたらしたでしょう。
 ナイチンゲールを探しに「宮中の半分の人数」が森に出かけたという記述に注目しましょう。作中の宮廷社会を同時代のコペンハーゲンの都市社会のメタファーとして読むならば、この未知の動物が物語中の中国社会で喚び起こした関心は、1843年にコペンハーゲンに開設されたティヴォリ公園の大衆的人気と共鳴しているようにも読めます。都市社会の内部の秩序が外部領域の刺戟によって運動性を与えられ、既存の伝統秩序を動揺させるプロセスは、童話世界と同時代のコペンハーゲンにもみられた現象です。王立劇場監督ハイベアのもとで規格化された喜劇とは異なる祝祭的マーケットの見世物やパリの消費文化に混合体であるティヴォリは、コペンハーゲン市民に「民衆」と「ヨーロッパ」との出逢いを促す契機となりました。童話世界の森に住まうナイチンゲールも、やはり外国のメディアを通して宮廷社会の知るところとなった「外なる民衆世界」の象徴です。

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 ところで、この未知なる鳥の探索が、廷臣たちの人知を超えた難業で、宮廷外に踏み出た彼らは道々滑稽な失敗を演じることになります。牛やカエルの声をナイチンゲールの歌と混同する場面は、ナンセンスな挿話にみえて、ナイチンゲールが都市的日常に慣れきった人たちの想像を超える芸術美の象徴であることを暗示しています。ただひとり、賄い娘だけが、この自然のもたらした奇跡の歌声を他と区別する感性を有しているのです。
 俗物めいた宮廷人たちは豪奢で神秘的な鳥を想像していたものですから、ナイチンゲールの灰色の羽毛をみて拍子抜けします。あるがままの自然を故郷とするナイチンゲールが、華美と人為を尊ぶ宮廷社会とは相容れない素朴さを体現することへの違和は、近代ヨーロッパ世界が理想化してきた自然観の矛盾を戯画化しています。ところが従者は、その歌声を聴いたとたん、「玻璃の鐘を振るような」この世ならぬ美しさを嘆賞します。宮廷での「大成功」を見込んでナイチンゲールを晩餐会に招こうと目論む従者は、まるで見世物興行師です。
 野外で歌うことが自分の資質の活かし方としていちばんふさわしいと信じるナイチンゲールを、わざわざ「ぴかぴかに掃除がなされ」、「壁も床も陶器でできていて、幾千もの黄金のランプに照り輝いて」いる城に連れ帰ることは、皇帝の掌握する文明の領域内に自然美の象徴を取り込み、支配下に置こうという企てにほかなりません。文明と自然を往還する中間的存在だった娘も、「本物の賄いさん」の称号を与えられ、宮中の位階秩序のもとに組み込まれてしまいます。
 ちなみにナイチンゲールには金のスリッパが授けられますが、これはグリム童話のひとつ「柏槙(ねず)の木の話Von dem Machandelboom」のパロディと考えられています。継母に命を奪われた少年の遺骨を庭の木の根元に埋めたところ、そこから一羽の鳥が飛び立ち、金細工師や靴職人のもとで少年の死の真相を歌にのせて触れ回るという話です。上手に歌ってみせた鳥が金細工師から金のくさりを、靴屋からは赤い靴をもらう場面があり、アンデルセンはそれを創作童話で借用しているのでしょう。
 ナイチンゲールに12人の世話係がつけられ、「日に2回、夜に1回散歩に出る自由」が与えられましたが、この「自由」という言葉に込められた皮肉な響きに注意すべきでしょう。「籠」の中で生活することになったナイチンゲールにとって、皇帝の意志で隅々まで統御された宮廷の中で認められた「自由」とは、「自然」の剥奪を経由した拘束・幽閉の言い換えにすぎません。

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 そうした日々を送る中、日本の皇帝から「ナイチンゲール」と記された贈り物が届けられます。筥を開けるまで、皇帝はその贈り物をナイチンゲールについて記述した書物と思い込んでいる点に注意しましょう。ナイチンゲールを宮廷に招く前の場面でみたように、皇帝はあくまで文字のメディアに執着し、帝国の博物誌的な情報が世界の知の体系の中にどのように位置づけられているかによって支配者としての威信を確認しようとします。この点、前回のコラムでも名前をあげたグロントヴィが「声の文化」への回帰を主張しフォークロアや神話に共同体の根拠を求めたのとは対照的です。
 ところが、贈り物の中身は案に相違して機械仕掛けのナイチンゲールです。日本のナイチンゲールはあくまで模造であり中国のナイチンゲールこそ真正であると認める添え書きにもかかわらず、中国皇帝は種々の宝石で飾られた作り物の鳥にいたく驚喜します。このように外の世界から持ち込まれた新奇な品物や情報に動かされがちな皇帝の姿は、同時代のコペンハーゲンのエリート市民とも通じるところがありそうです。というのも、皇帝が生きたナイチンゲールと作り物のナイチンゲールを並べて歌わせたさい、灰色の冴えない羽色をして即興的に歌う森のナイチンゲールよりも、きらびやかな貴石に飾られ何度でも規則通りに歌う作り物の方が高い評価を受けるのですが、この判定に決定的な影響を与えるのが、途中で登場する「音楽教師」なのですが、この人物のモデルは第3回コラムでも紹介した王立劇場監督のJ・L・ハイベアと考えられています。ハイベアはヘーゲルの美学を学んでパリのヴォードヴィルをコペンハーゲンの演劇界に持ち込んだ喜劇詩人で、彼の主宰する文芸批評誌はアンデルセンやウーレンスレーヤのようなロマン派詩人の活動を抑え込みにかかる権威的なメディアでした。即興を許さず一定の規則に沿って歌を披露する作り物のナイチンゲールを推奨する音楽教師の「流儀」は、外来文化をバックに理論武装したハイベアの教条的性格を戯画化しているといえます。
 宮廷の評判が作り物の鳥に集まりだすと、それまでの人気を喪ったナイチンゲールは人知れず森に帰り、その後「国じゅういたる所から追い払われました」。つまり、制外の異能者、所定めぬ漂浪者に転じるのです。一方、何度でも同じ歌を間違いなく歌うことができるという法則性への信頼を根拠に重く用いられるところとなった機械のナイチンゲールを、宮廷外の庶民も見物することが許されます。ところが、「生きた」ナイチンゲールの声に親しんできた漁民は、人工的に反復される鳥の声に一定の美的価値を認めつつも違和感を拭えません。

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 ここに、同時代コペンハーゲンの都市空間の外部に出現したティヴォリ公園のもうひとつの側面が見て取れます。外部世界にある「本物」の「民衆文化(Folkekultur)」を発見し都市の内部に取り込むための窓口の役割を期待されたティヴォリは、蒸気で動く回転木馬やローラーコースター(Rutschebanen)、東洋風のコンサートホールやバザールが目を惹くエキゾティックな娯楽に満ちていますが、大衆の評判と消費行動の喚起を目論んだイミテーションに過ぎません。童話に出てくる「生きた」ナイチンゲールとその精巧な模造物は、1843年当時のコペンハーゲン市民が日常の都市世界の外部に求めていた「自然」に根ざした「民衆文化」の二重化した状況を映し出しています。真正の「自然」に接触しようと望みながら紛い物に心奪われてしまう人間たち、そしてナイチンゲールの囀り声を真似る婦人たちや歌の才があるわけでもないのに互いを「ナイチンゲール」と綽名して戯れる子どもの邪気のない蒙昧さは、自分の内なる「自然/本性(Natur)」を発見しないまま外部の刺戟に左右されるばかりの多数者に対する諷刺と考えられます。
 「生きた」ナイチンゲールが去った後の宮廷では、作り物が大層な褒美を授かり、「天高き皇帝の晩餐の歌い手」の称号を受けます。皇帝の心臓がついている左を頂点とする位階序列、すなわち支配者の身体をモデルに可視化された階層秩序の中で、人工物のナイチンゲールが最上位を占めることになりました。書物の力で文化的な威信を誇示しようとする皇帝の欲望は相変わらずで、作り物の鳥のために浩瀚(こうかん)な書物を著すという国家的事業を、文字の領域の権威たる音楽学者が司ることになります。人びとは嘲笑と懲罰を恐れ、冗長で晦渋なエリート言語で書かれたその書物の内容を理解しているかのように装います。すでにアンデルセンはこういった虚栄心の滑稽さを、『皇帝の新しい衣裳Keiserens nye Klæder』(1837年)で見事に描いていましたね。
 1年後、作り物の鳥の歌は誰もが誦んじられるほど、帝国の人びとの間で定着していますが、鳥自体は内部構造の劣化が進んだために1年に1度しか歌えないことになります。さらに5年後、今度は皇帝の身体が病に蝕まれ、余命いくばくもない様子に誰もが動揺します。病の床で懊悩する皇帝の上には、現世の勢威をはるかに超越した力を誇示するかのように、皇帝権力のシンボルである冠とサーベルと旗を備えた死神が座っています。死神は皇帝が生涯のうちに行なってきた善事と悪事のひとつひとつについて詮議を始め、今際の際にいる皇帝を戦慄させます。肉体の死を超えた精神の死、このキェルケゴール的な危機に追い込まれた皇帝は、精神の救いを音楽に求めます。帝国秩序の体現者としてあらゆる現象を支配してきた皇帝も、死に面しては無力そのものです。皇帝の言葉を聞きながら「言われたことに中国人がいちいち頷くのとそっくりに」物真似をしてみせる死神の身ぶりは、現世の権力に対する痛烈な嘲弄ですね。精神の危機に瀕したこの重大な場面で、作り物の鳥は何の助けにもなってくれません。あたりを支配するのは、死後の世界を思わせる深い深いしじまです。そこへ、帝国を去ったはずのナイチンゲールが現れ、希望に満ちた歌の力で皇帝を生の世界に引き戻すばかりでなく、死神をも魅了してその魂を浄化してしまいます。

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 皇帝はナイチンゲールをお払い箱にした過ちを詫び、命を助けられた返礼に、作り物の鳥を破壊して「本物」のナイチンゲールをふたたび宮廷のアイドルに返り咲かせたいと申し出ます。ところがナイチンゲールは、この皇帝の意向に異を唱えます。歌い手としてのナイチンゲールの望みは、はじめて皇帝の前で歌を披露し感動の涙が流れるのを見たその瞬間の中で成就しているのであり、以後の地位の安定や栄誉は心の問題から外れた非本質的な事柄なのです。往きて帰らぬ一回性の歓喜のために自己のもてる可能性を捧げるという芸術家の姿は、カーアン・ブリクセン(イサク・ディーネセン)が『バベットの晩餐会Babettes Gæstebud』(英語版1950年、デンマーク語版1952年)で描いた、たった一度のご馳走を振る舞うために富籤で得た巨富を抛つ料理人の姿勢にも通じますね。
 さらにナイチンゲールは、作り物のナイチンゲールもその有限な生涯の中で「できるだけの善いことをしてくれた」無私の芸術家として愛してほしいと擁護しています。人為的な法則のもとに再現された「自然」にどこまで美的価値を認められるかという問題がここに現れてくるのですが、思えばアンデルセンこそ、日常顧みられない諸物に人間同様の生命を見出し、それらが織りなす物語に人びとが愛情を向けるよう促す「無用物の擁護者」といえます。となるとこのナイチンゲールの訴えは、同時代文学の中でたえず周縁に置かれながら独自の童話世界を切り拓いてきたアンデルセン自身の芸術信条を語っているようにも思えます。

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 確実にいえることは、機械技術の発展とともに産業のオートメーション化が進む20世紀になると、『ナイチンゲール』の「作り物の鳥」が同時代的な問題関心を盛る素材としてたびたび参照されたということです。
 たとえば1920年、シュルレアリスムの代表的なコラージュ作家として知られるマックス・エルンストは、アンデルセン童話を元に《中国のナイチンゲールLe rossignol chinois》と題したフォトモンタージュ作品を発表します。胴体が爆弾でできた鳥というナンセンスなイメージは、作家が第一次世界大戦への従軍時に目にした混沌とした光景への応答と解釈されています。科学技術の発展がもたらした破局的事態に対し、このシュルレアリストはロマン主義と科学主義の拮抗した前世紀の状況を背景とする童話に批判の拠点を求めたのでした。
 また、アイルランドの詩人ウィリアム・バトラー・イェイツ(William Butler Yeats 1865-1939)は、「ビザンティウムへの船出Sailing to Byzantium」(1927年)という東方への旅をモティーフとする詩を書きます。老境に至ってイェイツがたどり着いた芸術信条とは、「自然」の領域に詩作の素材を求めるロマン派的態度を拒み、人工的な美の結晶として己を完結させることにありました。

ひとたび自然の外に出たら、私は
どんな自然の事物からも肉体の形を借りるまい。
私が選ぶのは、ギリシアの金細工師たちが、
うつうつと眠る皇帝を目覚めさせておくために、
打ち延べた金と琺瑯引きの黄金で造りあげた形だ。
あるいは、ビザンティウムの貴族や貴婦人たちに、
過ぎ去り、過ぎゆき、来たることを歌い聞かせるため、
あの枝の上に据えられたものの形だ。

 東方の宮廷に用意された「枝の上」で貴人たちを魅了する人工の鳥。「自然」から離反した虚構物であるがゆえのこの世ならぬ妖しげな美を、イェイツはアンデルセン童話に登場する作り物の鳥を素材にして歌い上げたのでした。
 ナイチンゲールは童話の終わり近くで、死神から力の象徴を取り戻した皇帝にひとつだけ願い事をします。それは、自分が皇帝のもとへお話を聞かせにやってくることを誰にも明かさないでほしいということです。書物に記したり興行物にしたりすることで権勢や知的領域の広さを誇示するための道具にされてきたナイチンゲールは、今こそ皇帝の心と直接つながりたいと望んでいます。民衆文化の象徴であるナイチンゲールと皇帝の関係に、それまでデンマーク王宮を動かしていた貴族勢力の意志に代わって民衆と国王の信頼関係に依拠した立憲君主政の胎動を見る研究者もいますが、さてどうでしょう。私には皇帝との再会を約して遠い空へと飛び立つナイチンゲールの飛翔が、国民国家の秩序からもすり抜けようとする自由で孤独な芸術家の姿に重なるように思えてなりません。

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 ナイチンゲールは、自然のポエジーの象徴である自分の声を、不安に満ちたひとりの人間の心に奉献することを約束し、去っていきました。都市や国家といった人為的に画定された領域(実は「自然」もそのひとつですが)に依拠することなく、個々の人間とのオリジナルな関係の中に生まれ出る芸術は、「ピー」としか返事をしない廷臣との関係では得られない生の充足を皇帝にもたらします。ナイチンゲールが皇帝と共有しようと求めたものは、そのような一回きりの瞬間の歓喜だったのでしょう。それはまた、近代の印刷メディアの爆発的発達の中で多くの書き手が見失ったものです。かけがえのない誰かとひとときの心の結びつきを確認する経路であった言葉や歌は、万人に発せられながら誰のためにも捧げられていない広告へと変質しています。私のような研究者も、現代の広告の濁流をアンデルセンならどのように諷刺するだろうかと思いめぐらします。物を書く人間の場合、たとえば自分の出した本を方々の本屋さんに持ち込み、居合わせた人たちと言葉を交わすことが、ナイチンゲールと皇帝の歓喜に近づくひとつの道なのかな、などと考えます。ともあれここまで『ナイチンゲール』を通してアンデルセン童話と同時代社会の関係を扱いましたので、次回はさらにアンデルセンがみた19世紀ナショナリズムに話を進めたいと思います。


参照文献
Brix, Hans: H. C. Andersen og hans Eventyr. Gyldendal 1970[Original 1907].
Bøggild, Jacob: “Arabeske kineserier – en læsning af H. C. Andersens “Nattergalen””. i: Litteraturkritik & Romantikstudier – Skriftrække 26. Aarhus Universitet 2000, s. 1-21.
Grønbech, Bo: H. C. Andersens Eventyrverden. Hans Reitzel 1964.
柿原妙子「機械仕掛けの鳥は歌う― “Sailing to Byzantium”とオートマタの芸術論」、『イェイツ研究』第48号、日本イェイツ協会、2017年、19-32ページ。
溝井裕一『動物園の文化史 ひとと動物の5000年』、勉誠出版、2014年。
Nedergaard, Leif: “H. C. Andersens »Nattergalen« og J. L. Heibergs »Digter-Misundelse«”. i: Hansen, Aage og Dahl, Erik (udg.): Danske Studier 1970. Akademisk Forlag 1970, s. 143-145.
Rowland, Herbert: “The Role of Irony in H. C. Andersen’s Nattergalen and C.M. Wieland’s Der Vogelsang”. i: Anderseniana, Ser. 3 vol. IV.2. Odense Bys Museer 1983, s. 115-130.
Sanders, Karin: “The Romantic Fairy Tale and Surrealism - Marvelous Non-Sense and Dark Apprehensions”. i: Romantik 03. Aarhus Universitets Forlag 2014, s. 33-49.
高松雄一編『対訳イェイツ詩集』、岩波書店、2009年。
『完訳グリム童話集2』(野村泫訳)、筑摩書房、2006年。
Tatar, Maria (red.): The Annotated Hans Christian Andersen. Norton 2008.

著者紹介 / 奥山裕介(おくやま ゆうすけ)1983大阪府生まれ。大阪大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得退学。デンマークを中心に近代北欧文学を研究。共著に『北欧文化事典』(丸善出版、2017年)、訳書にマックス・ワルター・スワーンベリ詩集『Åren』(LIBRAIRIE6、2019年)とイェンス・ピータ・ヤコブセン『ニルス・リューネ』(幻戯書房、2021年)がある。

【お知らせ】奥山裕介先生が『ニルス・リュ-ネ』(写真左;イェンス・ピ-タ-・ヤコブセン著、奥山裕介訳、幻戯書房刊)を上梓されました。イェンス・ピ-タ-・ヤコブセン(1847-1885)は、夭折の詩人で、『ニルス・リューネ』の翻訳は山室静訳『ヤコブセン全集」(青蛾書房、1975年)以来46年ぶりの新訳です。


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