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弟ペル・ウーロフにとってのトーベ・ヤンソンと短編「猿」

第11回・第14回・第15回で、『Resa med Tove : en minnesbok om Tove(トーベとの旅:トーベとの思い出の本)』を紹介しました。この本は、トーベ・ヤンソンにかかわりのあった23人が書いた比較的短い文章で構成されており(全編スウェーデン語)、ヤンソンが亡くなった翌年の2002年に出版されました。

本書には、トーベ・ヤンソンの弟、ペル・ウーロフが書いた「Om känlekens vamarkt(愛の無力さについて)」が収録されています。トーベには弟が二人おり、ペル・ウーロフは上の弟で写真家です。末の弟はラルスで、ムーミン・コミックスをトーベと一緒に制作しました。ペル・ウーロフはこの文章で、トーベを撮影した写真の解説や家族のエピソードを綴っています。

ペル・ウーロフは、たとえばヤンソン家の喫煙事情に関するできごとを回想しています。彼はたばこが配給制だった戦時下で、こっそりたばこを育てようとする父ヴィクトル(通称ファッファン)のために自らの配給分を譲ったりドイツ兵からたばこを買ったりました。ペル・ウーロフは父を助けたつもりでしたが、たばこは父の寿命を縮めたので、姉にはたばこをやめてほしいと考えました。ペル・ウーロフは、たばこの危険性をレポートにまとめてトーベに禁煙をうながしたこともありました。しかし姉は「たばこがないと仕事ができない」と言って弟の提案を受け入れませんでした。ペル・ウーロフは、肺を患った姉の苦しみを思い出し、なぜ禁煙をもっと強く勧めなかったのか自問しています。しかし、彼が禁煙をうながしたことで、トーベにたばこを吸い続けることに対する罪悪感を与えただけになってしまったかもしれないとも考えています。

あるいは、三姉弟がそれぞれ島で過ごしていた時のことも書いています。姉弟は無線をつないで定期的にお互いの無事を確認しようと約束しましたが、トランシーバーのバッテリーが切れたり、誰かが約束を忘れたりして、なかなかうまく連絡を取ることができませんでした。無線で連絡が取れないと、ペル・ウーロフがボートでトーベとラルスのいる島を回ったこともありました。結局無線の連絡をやめ、トーベに何か問題があればベランダにシーツを掲げてもらうことになりましたが、ペル・ウーロフはいつもシーツが掲げられていないか気がかりでなりませんでした。彼は、幾度も見たトーベの島の光景が網膜に焼き付いていると言います。

ほかにも、ペル・ウーロフは動物にまつわる思い出を二つ書いています。一つは、トーベとトゥーリッキがアトリエで飼っていた猫のことです。ペル・ウーロフはひどい猫アレルギーがあり、アトリエを訪問する時には薬が欠かせませんでした。彼は苦痛を強いる猫を妬んだこともありましたが、姉に自分か猫かを選ばせることはできませんでした。そこで、猫よりも自分のほうが統計的に考えれば寿命が長いと自分自身を納得させました。このようなエピソードを読んでいると、彼は家族思いであり、家族に関する悩みや苦労が多々あったことが伝わってきて、タイトルの「愛の無力さについて」に合点がいきます。

さて、二つ目の動物の話は、ファッファンが飼っていた尾長猿(オナガザル)のことです。トーベもペル・ウーロフも、この尾長猿に嫉妬心を抱いていました。彼は、人に優しくできない父がいじわるで気まぐれな猿を甘やかす姿を見て、姉が苦しんでいたことを思い出しています。トーベは、ファッファンとこの猿をモデルにしていると思われる短編を書いています。1978年に発表した短編集『人形の家』に収録されている「猿」という作品です。彫刻家と彼が飼う尾長猿が登場するこの短編は、日本語訳では7ページほどの非常に短い作品です。

「猿」の日本語訳は『人形の家』とアンソロジー『トーベ・ヤンソン短篇集』に収録されています。

彫刻家は猿をかいがいしく世話しますが、猿は寒くて彫刻家にしがみつくこともあれば、叫んだり暴れたり、あるいはそっけないこともあり、気まぐれにふるまいます。彫刻家は猿を連れて飲食店へ行き、そこで仲間たちに新聞に掲載された彫刻家の作品評があたりさわりのないものだったことや猿の野蛮さを揶揄され、口論します。そうしているうちに、猿は暴れだしてしまいます。この作品で興味深いことは、トーベが猿に嫉妬する自分自身の視点からではなく、猿を飼う彫刻家(父)の視点から物語を描写したことです。

短編には彫刻家の娘は登場しません。トーベは彫刻家の視点から書くことによって、父を理解しようと試みたのかもしれません。物語の最後に、彫刻家は「このまま続けてもむだかな」と思いながら、寒さに凍えつつも木に登る猿を見つめます。本作は全体的に簡潔な描写で、解釈は読者にゆだねられていますが、この場面で彫刻家は、不利な環境をものともしない猿と自分とを対比し、好ましくない評価を受けた彼自身のあり方を問うているようです。

トーベ・ヤンソンの小説や短編は、老若男女さまざまな人物の視点から語られていることが面白さのひとつです。では、なぜ彼女はどんな人でも主人公にできてしまうほど想像力豊かなのでしょうか。この答えを導き出すことは簡単ではありませんが、ペル・ウーロフが三姉弟の芸術性について述べている内容にヒントがあります。彼によれば、姉弟三人で一緒に遊ぶことはもちろんありましたが、それぞれ6歳の年齢差があるがゆえに、それは必ずしも簡単なことではありませんでした。ペル・ウーロフは、三人とも子どものころに一人で遊んだことで、ひとりで作業をすることの楽しさを知ったのだと言います。また、長子であるトーベが感じた強い孤独は結果的に強い創作意欲につながったのかもしれない、と考えています。

<紹介した本>
Helen Svensson, Resa med Tove: en minnesbok om Tove, Esbo, Schildt, 2002.
トーベ・ヤンソン 『人形の家』冨原 眞弓 訳、筑摩書房、1997。
トーベ・ヤンソン『トーベ・ヤンソン短篇集』、筑摩書房、2005。


著者紹介 / 小林亜佑美(こばやし あゆみ)
秋田県出身。高校生の時に初めてムーミンを読み、大学で文学・文化・表象論を学びヤンソン研究を始める。
2013年山形大学人文学部卒業、2016年法政大学大学院国際文化研究科修士課程修了。
修士論文タイトルは「理解・不理解の主題から読み解くヤンソン作品の変化:『ムーミン谷の仲間たち』を中心に」。
著作物;バルト=スカンディナビア研究会誌『北欧史研究』第37号に「日本におけるトーベ・ヤンソンおよびムーミン研究の動向」を掲載(2020年)。


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