消滅世界

 イギリスの詩人フィリップ・ラーキンは「性交は1963年に始まった」と述べている。1963年は若者の反乱が世界中で巻き起こった年である。性の抑圧が非人間的な産業社会を生み出したと考えた若者たちは、婚姻制度に縛られることのない、性交の自由を主張したのである。1963年以降、セクシュアリティの問題は隠すべき私事ではなく、公共の場で語られる主題となった。ラーキンのことばは、こうした事態を言い当てている。

 コロナ禍の中で「濃厚接触」が重大な禁忌となった。感染症の専門家でしかない医師たちは、「濃厚接触」を避けるための「新しい生活様式」を国民におしつけている。食事中にも会話をするな、対面するのではなく、横並びになって食事をとれ。パブリックスペースだけではなく、家庭内の、それこそ箸の上げ下げにまで口出しをしてくる。会話を交わすこともなく、ただ黙々と食べる。まるで中世の修道院。食事の楽しさのみじんもない。

 60年代の若者たちがその価値を称揚した、性交こそが「濃厚接触」の極みなのではないか。何しろ性交においては、個体間の距離はゼロどころかマイナスになるのだから。コロナ以降の世界で、性行為はもっとも忌むべきものとなるに違いない。結婚式で新郎は、「生涯新婦と、2メートルのソーシャルディスタンス保ちます」と神の前で誓うようになるのではないか。後世の詩人はこういうであろう。「性交は2020年に終わった」と。

 『コンビニ人間』で知られる村田紗耶香に『消滅世界』という作品がある。人類が「交尾」をやめて、人工授精で子どもを作り、夫婦間の性交渉が「近親相姦」として指弾される、パラレルワールドの日本を舞台にした作品である。濃厚接触を忌避する心性の高まりは、この作品で描かれたディストピアへの道を開くものではないのか。それにしても人類の性交の歴史は、わずか57年で終わってしまった。その短さに対して驚嘆する他ない。

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