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撮影記3 「無窮の水碧」長野県大桑村の阿寺渓谷と縄文文化

 今回訪れた先は、長野県木曽郡大桑村に位置する阿寺渓谷。日本遺産に選定されたこの地は、静謐な自然美を感じさせ、流れる阿寺川はその美しさから「阿寺ブルー」との名を冠されています。
 その無窮の水碧に時折陽光が反射し、輝く波紋が生まれては消えていく、その姿はまるで大自然が描き出した画布のようでありました。

阿寺ブルー

 さて、大桑村は縄文遺跡の宝庫であり、村のあらゆる場所から土器などが出土していることで有名です。阿寺渓谷から車で10分程度行った場所に「大桑村歴史民族資料館」があり、渓谷で撮影途中、雲に覆われ、天候が回復するその合間に、ふと訪ねてみることにいたしました。

人面装飾付有孔鍔付(ゆうこうつばつき)土器
約4000年から5000年前のものだそう。
   

 何気なく足を踏み入れたその空間ではありましたが、これだけ多くの縄文土器を一度に見たのは初めてのことであります。この機会に、今回は縄文文化について少し掘り下げてみたいと思います。

大桑村歴史民俗資料館

 今から約1万6千年以上の昔、紀元前1万4千年から紀元前3百年までの約1万3千年間にわたり、日本は縄文時代であったと云われています。豊かな自然環境、その中で、人々は様々な信仰や価値観を築いていきました。彼らはアニミズムの思想を基盤とした信仰を抱いていたのです。
 アニミズムでは、動物や植物、さらには岩や水、風といった自然のあらゆる存在に魂と精霊が宿っていると考えます。私たちの祖先はこの地に住み、そしてその厳しくも美しい大自然の向こうに、人智を超えた目に見えぬ力を信じ、それが全ての命を育んでいると感じていました。
 近年、そのような縄文文化の思想、哲学などの評価はとても高いものになっており、現代に生きる私たちに対し、常に新しい視座を与え続けてくれています。

 縄文土器は現在も次々と発掘が進み、日本全土の遺跡の数は9万を超えているそうです。出土品の数も膨大ですが、形状は多様であり、彼らの豊かな想像力をその一つひとつから感じ取ることができます。 

「装飾的な模様には、宇宙観や神秘への憧れ、さらには自然への畏敬が表現されている」とのことでありますが、今回、大桑村のそれら土器を通じて受け取ることのできる、彼らが感じていた世界の捉え方は、なにか、とても親しみやすく、可愛いらしさを感じるものでした。
 私にとって縄文土器との対話は、様々に論じられる民俗学や文化人類学、そのような学術的なことよりもまず先に、心を持った人の温かさや、作品に向き合い、時には格闘したであろうその真剣さなど、「あぁ、縄文時代の人も同じ生きた人なんだ」と、どこか安堵できる、とても身近で人間味溢れるものであったのです。
 社会で求められる合理性、AIをはじめとするテクノロジーで作られているコンテンツがいよいよ主流の現代において、相対的に浮かび上がる手作業の、音楽で言うなら倍音のような魅力と芸術性にすっかり魅了されてしまいました。
 
 翻ってみますと、現代に生きる私たちも未来には発掘される立場に変わります。私たちの生きている時代は、何時代と呼ばれ、何の足跡が遺り、それは一体、どのような評価を受けるのでしょうか。現代では誰も答えを持ち得ない、そんな厳とした祖先、そして私たちの子孫からの問いの答えは、やがて私たちの立場が変わる時、いとも簡単に顕わになってしまうでしょう。申し上げるまでもなく、これは実に、少し恐ろしい気を抱かせます。
 文化人類学的調査によれば 縄文時代の一日の狩猟採集の時間、つまり労働時間は2〜3時間で、あとは集団生活を営んでいたそうです。これは、とうとうと流れていた縄文期の時の流れの中、多くの時間をとても豊かに使っていたということになります。分刻みで行動すること、急速に進歩し発展することが豊かで、幸せだという価値、もしくはそれを強いられてきた現代社会において、近年、多くの方が、この平和で争いのなかった縄文文化に関心を寄せ、自然保護を訴え、研究を重ね議論を深めているのは、縄文時代が遠い昔のおとぎ話でも、別の惑星の人々の話でもなく、同じホモ・サピエンスという命が、今もそのままこうして生きている、そんな単純な理由からなのだと個人的には考えています。

 ふと資料館の窓から空を眺めますと、雲の間から、時折光が差し込んでおります。この資料館ではとても有意義な時間を過ごすことが出来ましたが、このままでは日が暮れてしまいますので、渓谷に戻って撮影を再開することにいたしました。

阿寺渓谷 2024.10

 縄文時代、そして彼らから続く現代の私たちの生きた足跡も、ある日再び陽光に照らされ、そして、この無窮の水碧のその波紋のように生まれては消えていく輪郭となるのでしょう。それを無常と呼ぶのでしょうか。それならば、せめてそれは人間味に溢れた輪郭であって欲しいと、そのようなことを今回の撮影、取材で感じた次第です。

 
 さて、撮影した阿寺渓谷の動画をこちらに貼らせて頂きます。
 また、動画内パート1の最後に、渓谷の入口が出てまいりますが、橋の山側の麓が阿寺遺跡となるそうです。

資料館でコピーさせて頂いた遺跡マップの一部

縄文文化について、今回の動画内では何も触れていませんが、縄文時代に思いを馳せ、是非動画もご覧下さい。(^^)

では、また次回、それまでお元気でお過ごし下さい。ありがとうございました。

2024年 秋涼 阿寺渓谷にて。





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