人生死ぬまでの充電期間③〜アルバイト期間〜

前回の投稿では、新卒で入社した会社を退職するまでの経緯を綴った。今回は、そのあとどうしていたかを書いていこうと思う。

実家で草むしりの日々

 退職して、東京から実家に戻ってからも精神的にしんどいのは変わらなかった。むしろ、その後の方が苦しかったかもしれない。会社に行くというストレスからは解放されたが、社会から取り残されているという感覚が僕を毎日襲ってきた。

 庭の草むしりをやってみたりしたが、何故だか涙が出てきた。これからどうしたらいいのか。こんなはずではなかった。完全に自信を失っていた。再就職しても、また同じような理由で辞めてしまうのではないか。そう思うと、なかなか行動に移せなかった。ハローワークに行って、相談しにいこうと思ったが、早期退職の理由をどう伝えれば良いのかわからず、それさえも躊躇ってしまう。LGBTであるということが完全に自分の視野と行動を狭めてしまっていた。

アルバイトをしてなんとなく過ごす日々

 それから1ヶ月ほどして、このままではよくないと思い、アルバイトをすることにした。学生時代にやっていた、インド・ネパールレストランでもう一度お世話になることになった。そこで働いていたのは、皆ネパールの方だったのだが、彼らは僕を快く受け入れてくれた。前職での退職理由なども聞かれることもなく、居心地はよかった。この居心地のよさがかえって、僕を正社員の道から遠ざけたのかもしれない。週に4日ほどランチとディナーの時間アルバイトをした。合間の休憩時間に、ハローワークで求人票を見たりしたが、結局応募することは一度もなかった。

 アルバイトをはじめてしばらくして、公務員を目指そうかと思い、専門学校の説明会に参加してみた。しかし、安定しているから、世間体が良いからという理由だけでは、勉強に身が入らないのはわかっていたので、結局公務員を目指すこともなかった。

 なんの目標もなく、ただただ、アルバイトをして、大学生くらいのお小遣いを稼ぎ、実家で生活する日々を過ごす。将来結婚もしないし、子供を育てる訳でもない。親はまだ元気だし、このままでもしばらくは生きていける。そんな甘えた気持ちとは裏腹に、この生活をずっと続けていくことは出来ない、という漠然とした不安もあった。でも、特に行動を起こす訳でもなく、時間だけが過ぎていく。

人生の転機となる出逢い

 そして、それから数ヶ月が経ち、季節は春になっていた。前回の投稿でも書いたように、僕はゲイである。ゲイが出会うためのアプリがあって、僕もそれに登録していた。そのアプリで、あるアメリカ人の方と出会うことになる。その方は、アメリカで日本のアンティークを取り扱ったお店を経営していた。そして、毎年春に日本に買い付けに来ていた。名前はピーター。僕はピーターが、京都に来たタイミングで会うことになった。場所は京都駅の新幹線乗り場だった。ほんの10分程度の会話だった。「3ヶ月くらいアメリカに来てみたら?」ピーターはそう言った。

 僕には捨てるものは何もなかったし、元々海外に対して憧れもあった。そして、僕はアメリカに行くことを決意した。

(続く)

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