中華職棒のミニ球団史、チアガール史、沿革

☆ミニ球団史
中信兄弟エレファンツ
1984年9月1日に「兄弟飯店棒球隊」として誕生したアマチュア時代からの名門、プロ化してはしばらく低迷も、1992年から1994年までに3連覇を達成した、その後に戦力低下と再建期が長く、4度目の優勝は2001年に、その2001年から2003年までに2度目の3連覇を達成する、2010年に7度目の優勝を果たすもチャンピオンのタイトルを防衛失敗すると、長い間優勝できない悪しき伝統が残されているのは球団の悩みの種になっていて、さらに2008年に初めて台湾シリーズで敗退すると、2019年までの12年間に、8度の台湾シリーズ進出も敗退は7度、この9年間に優勝がなく、ファンの堪忍袋の緒が切れるか心配される。
球団は兄弟飯店が親会社の時代、資金力がプロ野球に相応しくないと言われるほどの金欠球団だが、2014年に中信金融HDに身売りすると、一気に金満球団に大変身、2016年はFA選手2人獲得も、2018年以降は育成強化を方針転換し、この方針が2020年に客員コーチとして王建民の招聘に成功へと繋がった。
スーパースター選手が輩出したチームとして有名で、また選手やコーチでは日本球界有経験者も多数存在していて、日本の野球ファンに親近感を抱くチームの一つ。
ちなみに、ファンの忠誠度が台湾で一番としても有名だが、天狗になっている時は他球団ファンの顰蹙を買うことも、しかし時に見せる負ければ負けるほど結束力の強さもこのチームの強みである。
チームカラーが一貫にイエローを貫くため、「黄衫軍」の愛称を持っているが、中信金融HDに身売りしては「黄色からの脱却があるか」に注目されている。

統一セブンイレブン・ライオンズ
創設は1989年、その2年前の1987年に兄弟飯店の洪騰勝オーナーのラブコールにより球団創設、抽選などにより、プロ入り時の球団のニックネームが「ライオンズ」に、初期は低迷もリーグ2年目のシーズンの1991年に初優勝、1995年と1996年に初の連覇達成、2000年に4度目の優勝、リーグ13年目の2002年にはじめて年間最下位に低迷するという、成績が極めて安定をしている、2007年から2009年に3連覇を達成して、その後の2011年と2013年にも優勝、2007年からの7年間に5度優勝しての黄金期を作り、台湾でもっとも多い9回の優勝を誇るも、2014年からは補強制限などにより、ポストシーズン出場は僅か1度で最下位は2度と、低迷期に入っていて、名門再建が期待される、台湾南部の都市・台南を本拠地にしているため、「南覇天」という異名を持つ。
2008年2月にセブンイレブンをユニフォームの胸ロゴをする案を出し、リーグは球団名を入れることを絶対条件という規定を通達したことにより、球団名は「統一セブンイレブン・ライオンズ」に改称、ただしそれまでの「統一ライオンズ」の呼び方も可。
球団は2002年までに、投手陣の厚みにより「投手王国」と呼ばれるが、台湾の二大野球リーグ合併後でのチームカラーが次第に一転して、2007年からは「無差別打線」と呼ばれる超強力打線が中心の打のチームになっている。
現在、チームは埼玉西武ライオンズと友好関係が締結していて、両方のチアガールの交流などが好評されている。

味全ドラゴンズ
1978年に台湾の名門大学「文化大学」とスポンサーシップを締結し、味全球団が立ち上げ、兄弟飯店の洪騰勝オーナーのラブコールによりプロ入り、台湾プロ野球の初年度である「職棒元年」である1990年に初代チャンピオンに輝く、年間最下位は一度も無い名門チームとして君臨、1997年に2度目の優勝を果たすが、1998年、頂新グループが味全グループの経営権を獲得するとチームの運命が一変、1998年と1999年は中華職棒初の下克上を果たし、1997年と合わせて3連覇も、八百長騒動に関連する影響の事件が1999年のシーズン中に起き、球団経営に怯えた頂新グループは1999年11月に1年活動停止するとリーグに通達も却下され、結局同12月13日に球団解散を発表、ファンの不信感が募る。
それから20年後の2019年1月に週刊誌が球団復活を図ることを報道され、頂新グループは認め、4月に球団再建プロジェクトが始動し、球団OBを監督・コーチを招聘して、リーグに加盟申請を提出し、同5月13日に同日開催されたリーグ常務理事会とマネージャー会議の承認を得て、球団復活が確定して、2020年3月にリーグの会員資格を再獲得した、球団復活後、川崎宗則が一時期に在籍して、日本でも話題になっている。

富邦ガーディアンズ
1989年に台湾建設業界の大手、俊國建設が創設、1992年のバルセロナ五輪の野球台湾代表の銀メダリストを多数輩出し、1993年に中華職棒の初の新規参入球団の一つ「俊國ベアーズ」として参入。
しかしプロ入り後に成績が低迷し、さらに陳一平オーナーが自身のトラブルなどもあり、1995年11月に台湾史上初の球団譲渡により、興農企業に売却して「興農ベアーズ」、そして1996年中に「興農ブルズ」に改名。
チームは長い間低迷し、低迷と優勝争いを交互する状況に、2004年に優勝できなかったら解散の上層部の圧力を撥ね退けて初優勝を果たす、翌2005年も優勝して2連覇で絶頂期を迎える、しかし2010年の優勝争いに屈すると、2011年と2012年は助っ人を雇用せずに再度低迷に転じ、2013年に義聯グループに売却し、「義大ライノズ」になる、ようやく資金力がある球団も、2013年のマニー効果もなかなか優勝に届かなず、身売りを決意した2016年に逆転優勝を演じ、11年ぶりの栄冠を勝ち取り、富邦に球団売却。
長い間チームは台中に球団を置くが、義大時代からは高雄と台北でのホームゲーム経営を強化、富邦は事情を考慮した結果、2018年は台北地域に密着し、新荘球場を本拠地にしている、豊富な資金力でここ数年、他球団のコーチを大金で引き抜き、また他球団から放出した有力選手にも積極的にアタックしているが、若手の育成が最大の課題に。

楽天モンキーズ
1996年に中華職棒と対立した第二のプロ野球リーグである「台湾大聯盟(TML)」の台北エリアに本拠地を置く「台北太陽」がアマチュア球団として創設、1997年に家電メーカーの聲寶が冠スポンサーとする「台北太陽」としてTMLの一員に、2001年に誠泰銀行が冠スポンサーになりチーム名は冠スポンサーを入れた呼称は「誠泰太陽」に、TMLの6年間に2度の優勝、6年間全部ポストシーズン出場の名門。
2003年に加盟料無しで中華職棒に吸収され、TMLで高雄に本拠地を置く「高屏雷公」を中心に吸収して加盟、第一金融HDが球団買収のために、「台中金剛」と「嘉南勇士」を主体にしたもう一つのTML球団とチーム名交換し、「第一金剛」として中華職棒入り。
2004年に聲寶と達達グループ傘下のLa newが共同出資した達盛企業が第一金融HDから球団を受け取り、球団名も「La newベアーズ」に変更、2004年12月にLa newが正式に球団買収、2003年の中華職棒入り後に3年連続最下位も、若手育成に力を注ぎ、2006年に初優勝など、3年連続ポストシーズンに進出した、しかし八百長の逆風や第一金剛時代でのファン経営で失脚の面に勝てず、2011年に台湾北部の都市、桃園に移転して、「Lamigoモンキーズ」として再生、すると2011年から2019年までの9年間は7度も台湾シリーズ出場、6度優勝を飾る強豪のイメージが完全に定着した。
2014年に「全猿主場」を遂行して、「ホームチームファースト」の環境を作り、球団の黄金期の屋台骨の一つとして支えている、しかし達達グループは中小企業規模もあり、赤字を堪えずに2019年に身売りを発表し、2019年9月に楽天に身売りすることが正式発表され、ファンなどの熱烈な要望により、楽天は買収後、東北楽天と同じニックネーム「イーグルス」になることを断念し、「モンキーズ」の愛称を残した。
2015年に千葉ロッテマリーンズと友好関係を締結し、ロッテの応援歌を多数使用するが、楽天に身売り後、交流が継続も応援歌の継続使用かどうかによって違う話題が出る可能性も。
チームのスタイルは攻撃野球を貫き、心酔させる強力打線で次々と優勝を射止めている。


☆チアガール史
○はじめに
台湾のスポーツ界の今のチアガール文化は2004年に遡る、現在でも存在しているバスケリーグ「超級籃球聯賽(SBL)」で、2004年に所属の7チーム中、台湾ビール、東森羚羊(現・九太テクノロジー)、緯来ハンターズ(現・富邦ブレーブス、2019年SBL脱退し他リーグ加盟、詳しくは後述)の3チームがチアガールをそれぞれ結成し、男たちの熱き戦いを花を添える存在になっている、しかしそのSBLは発展環境もあり、チアガール文化は長く持続せず、逆に台湾の野球界はほぼ同時期の2005年頃にチアガール文化が発展をはじめ、2009年と2013年の二つの歴史の転換期によって、今のチアガール文化が定着され、今の台湾の球界には欠かせない存在になっている。
台湾のチアガールはセクシー寄りのダンスが特徴で、社会貢献活動は少ない、、また移籍者が異常に多いのも特徴、チアガールそれぞれの人気が高い一方で、移籍劇により球界で騒ぎに発展することもたまにはある。

○中信兄弟「Passion Sisters」
WBC効果による野球人気再来により、前身の兄弟エレファンツが2013年に「象漾女孩」を創設、2014年に球団が身売りして、中信兄弟となり、チアガールは「Passion Sisters」と再建され、今に至る。
しかし初代のチアガール「象漾女孩」がデビューした2013年から、ほぼ毎年に主催試合かパプリックビューイング対象試合での敗戦によるリアルの悔し涙をすることがよく各メディアに報じられている、特に2015年までにその傾向がある。
現在、人気メンバーの峮峮(チュンチュン)が在籍したことも有名なチアガールチームになっていて、いつ優勝の嬉し涙があるのかが注目されます。
また、チュンチュン人気のきっかけの陳子豪の応援歌は、チュンチュン人気爆発前に、他球団の関係者がクソコラされたことで、中信兄弟とその球団の因縁を作ったが、彼女の人気爆発により、その応援歌もマイナスのイメージが払拭された逸話も。

○統一「Uni Girls」
2006年、La newベアーズが前後期優勝を果たされ、ポストシーズンを盛り上げるために、中華職棒がチアガールコンテストを開催、プレーオフシリーズの勝者がグランプリに輝いたチアガールの応援を獲得という中、統一が興農を下し、そのコンテストのグランプリの「Divas」を獲得、2007年に正式に自軍のチアガールに、2009年に「Uni Girls」に改名して、今に至る。
一般的に選手と監督、コーチや一部の球団スタッフが撮影される優勝写真で、初めて写されるチアガールとしても有名で、これまでは3度も優勝写真の中にその姿が納まれている、また2009年には球団の政策により、遠征でもチアガールを帯同をするKBO式を採用したが、同じ年の後期途中で中止、一度台湾シリーズで復活しようとするも、主催球団の拒否などの事情で復活ならずに。

○味全「Go Beauties~小龍女」
球団復活した2019年に創設、ユニット名は「Go Beauties~小龍女」、「小龍女」は金庸の武俠小説「神鵰剣俠」のヒロインの名前が由来にして、球団のニックネームである「ドラゴンズ」にもちなんでいる。
リーグ規定により、味全は2020年にまず二軍戦のみ出場可能で、2021年に一軍公式戦を出場するために、合格された1期生の一部は他の球団に移籍して、現在のメンバーは僅か8人、球団は今後、二軍戦で踊らせるつもりとしている。

○富邦「Fubon Angels」
兄弟と同じ、WBC効果による野球人気再来により誕生したチアガールの一チーム、前身の義大ライノズが創設時の2013年と2014年は「犀睛女孩」のチーム名で活動され、2015年は改革により「Rhino Angels」へ改名、2017年の身売りで「Fubon Angels」に再度改名された、チアガール業界の中でも、他球団からの移籍者が目立っているチーム構成になっている。
また、同グループのバスケチーム、2020年現在は「アセヤンバスケットボールリーグ(ABL)」に所属している「富邦ブレーブス」のチアガールを兼任している。
逸話として、2014年9月に当時のメンバー一人は相手チームの選手と交際、サヨナラホームランに嬉し涙をしたということが有名、この禁断(?)の恋は話題になったが、幸いそれ以上の騒ぎにならなかった、台湾では八百長疑惑が何回もあったため、八百長とは関係ないですが、この往来は下手としたら、リーグを揺るがす大事件に成りかねないことでもありました。

○楽天「Rakuten Girls」
台湾のチアガールの先駆けの一チームと言えるチームは、La newベアーズ時代の2005年に休日限定登場で「La new Girls」として創設、2011年に球団が移転して、球団の企業名の部分がLamigoに変更した後も運営が継続も改名がされるも正式名称が曖昧で、2013年にブレイクした際に、「Lamigirls」というチーム名が世間に浸透した、球団の身売りにより、2020年からは「Rakuten Girls」に改名、同グループが2005年に日本野球機構に新規参入した時に創設した「東北ゴールデンエンジェルス」と一味違うパフォーマンスも特徴。
ブレイクのきっかけは2012年のアジアシリーズ出場の時、開催地の韓国の釜山で地元の球団であるロッテ・ジャイアンツのチアガールスタイルを見て、抜本的にチアガールを改革をした2013年シーズン、台湾・日本・韓国を合わせた応援スタイルをしていると自称している。
また、台湾では初となるCDデビューのチアガールとしても有名であり、チアガールのアイドル化の先駆けでもある。


☆現所属球団の変遷沿革
中信兄弟
1984年9月1日:兄弟飯店球団として創設
1989年:兄弟象に改称しプロ入り
2013年12月3日:中信ホエールズを経営していた中信が球団買収し、中信兄弟にチーム名を改める

統一
1989年:統一球団創設、その後統一獅に改称しプロ入り
2008年2月21日:ユニフォームの胸ロゴにセブンイレブンを使うため、チーム名を統一7-ELEVEn獅と改称

味全
1972年:文化大学と企業と教育の異業種同盟を立ち上げ、味全球団創設
1989年:味全龍に改称しプロ入り
1999年12月13日:解散
2019年5月13日:新規参入として中華職棒への再加盟が承認、新生味全龍誕生

富邦
1989年:俊國建設球団創設
1992年:新規参入が承認され、俊國熊としてプロ入り
1995年11月5日:台湾初の球団売却により、興農熊に改称
1996年6月7日:同年の後期より興農牛に改称
2012年12月17日:義聯グループが買収により、義大犀牛に改称
2016年11月1日:富邦グループの買収により、富邦悍将に改称

楽天
1996年:聲寶太陽として、台湾大聯盟(TML)の創設に準備される球団に
1997年:台北聲寶太陽としてTML入り、聲寶は冠スポンサー、TML経営の那魯湾企業が球団を経営、那魯湾企業は4球団を統括に経営するスタイルです
2001年:聲寶が冠スポンサーを降り、誠泰銀行が冠スポンサーになり、誠泰太陽に改称
2003年1月29日:第一金融HDが球団買収、第一金融HDの要望などにより、TMLが残したもう一球団の金剛と球団名交換、第一金剛になる
2003年12月27日:聲寶と達達グループ傘下のLa newが共同出資した達盛企業が第一金融HDから球団を預かり、La new熊に改称、のちに達達グループが球団買収に
2011年1月6日:桃園に移転、達達グループが子会社のLamigoを球団の企業名に冠し、Lamigo桃猿になる
2019年12月17日:Lamigoを買収した楽天が楽天桃猿を球団名にすることに正式に発表し発足

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