中華職棒ミニ球団史、チアガール史、沿革:2024改訂版

台湾のプロ野球:中華職棒、リーグの正式名称は「中華職業棒球大聯盟」、英語通称はCPBL。


創立は1989年、アマチュア時代の名門の兄弟エレファンツ、味全ドラゴンズ、そして同じ年にプロ参入のために創設した三商タイガース、統一ライオンズの4球団で構成、1990年から公式戦がスタート、リーグ名は「中華職業棒球聯盟」。

その後順調にチーム数を増やし、盛況を保ち続けたリーグに八百長疑惑が浮上、さらに1996年に台湾の第二のプロ野球リーグだった台湾職業棒球大聯盟(以下TML)が創設され、台湾にて二大プロ野球リーグが敵対するようになる。

急速に悪化した台湾野球界は2001年の野球ワールドカップで銅メダル獲得により、野球人気回復の兆しを見せ、しかしお恵みがなかったTMLは2002年大晦日をもって解散に。

2003年、解散した台湾の第二のプロ野球リーグであるTMLから2球団が中華職棒に吸収合併により加入、リーグの正式名称が合併時の協定により中華職業棒球大聯盟になり(正式の改称は2004年5月5日から)、中華職棒は再び6球団制に、しかし2008年再び2球団が消え、4チームになる。

度重なる八百長疑惑や国際大会での重大な失敗を乗り越え、2013年のWBCでの1次ラウンド突破で、ようやく野球界再建に成功して今に至る、2019年、味全ドラゴンズは新規参入としてリーグに復帰、2022年に完全なる新規参入のTSGホークスが加入、現在中華職棒は楽天モンキーズ、中信兄弟エレファンツ、富邦ガーディアンズ、統一セブンイレブン・ライオンズ、味全ドラゴンズ、TSGホークスの6球団で運営され、2024年から16年ぶりに一軍公式戦に6球団規模が復活した。

リーグは現在6球団で一軍リーグ戦で開催、前後期制で、各球団はシーズン120試合を行う、どの対戦カードでも年間24回戦総当りになる、前後期の優勝チームとワイルドカード、3チームがポストシーズンを戦うことに、プロスポーツとして珍しい前後期制度をしているリーグでもある。


☆ミニ球団史

中信兄弟

1984年9月1日に「兄弟飯店棒球隊」として誕生したアマチュア時代からの名門、プロ化してはしばらく低迷も、1992年から1994年までに3連覇を達成した、その後に戦力低下と再建期が長く、4度目の優勝は2001年に、その2001年から2003年までに2度目の3連覇を達成する、2010年に7度目の優勝を果たすもチャンピオンのタイトルを防衛失敗すると、長い間優勝できない悪しき伝統が残されているのは球団の悩みの種になっていて、さらに2008年に初めて台湾シリーズで敗退すると、2020年までの13年間に9度の台湾シリーズ進出も敗退は8度、一度は10年間優勝ができなかったが、ファンの辛抱強さもあり、2021年と2022年の優勝に繋げた。

球団は兄弟飯店が親会社の時代、資金力がプロ野球に相応しくないと言われるほどの金欠球団だが、2014年に中信金融HDに身売りすると、一気に金満球団に大変身、2016年はFA選手2人獲得も、2018年以降は育成強化中心に方針転換し、この方針が2020年に客員コーチとして王建民の招聘に成功へと繋がった。

スーパースター選手が輩出したチームとして有名で、また選手やコーチでは日本球界有経験者も多数存在していて、日本の野球ファンに親近感を抱くチームの一つ。

ちなみに、ファンの忠誠度が台湾で一番としても有名だが、天狗になっている時は他球団ファンの顰蹙を買うことも、しかし時に見せる負ければ負けるほど結束力の強さもこのチームの強みである。

チームカラーが一貫にイエローを貫くため、「黄衫軍」の愛称を持っているが、中信金融HDに身売りしては「黄色からの脱却があるか」に注目されている、2018年に一度ビジターのユニフォームを黄色なしのデザインにしたが、最下位低迷の影響で不評、1季で廃止した。


統一セブンイレブン・ライオンズ

創設は1989年、その2年前の1987年に兄弟飯店の洪騰勝オーナーのラブコールにより球団創設、抽選などにより、プロ入り時の球団のニックネームが「ライオンズ」に、初期は低迷もリーグ2年目のシーズンの1991年に初優勝、1995年と1996年に初の連覇達成、2000年に4度目の優勝、13年目の2002年にはじめて年間最下位に低迷するという、成績が極めて安定をしている、2007年から2009年に3連覇を達成して、その後の2011年と2013年にも優勝、2007年からの7年間に5度優勝しての黄金期を作り、2020年は中華職棒史上初となるの年間勝率5割以下での優勝を達成、台湾でもっとも多い10回の優勝を誇るも、2014年から当の年のドラフトにての補強制限などにより、2014年から2023年までの10年間は5度もポストシーズン出場を逃し、年間最下位は2度と、名門が再び成績の安定が求められる、台湾南部の都市・台南を本拠地にしているため、「南覇天」という異名を持つ。

2008年2月にセブンイレブンをユニフォームの胸ロゴをする案を出し、リーグは球団名を入れることを絶対条件ということを出し、球団名は「統一セブンイレブン・ライオンズ」に改称、ただしそれまでの「統一ライオンズ」の呼び方も可。

球団は2002年までに、投手陣の厚みにより「投手王国」と呼ばれるが、台湾の二大野球リーグ合併後でのチームカラーは「無差別打線」と呼ばれる超強力打線が中心の打のチームになっている。

現在、チームは埼玉西武ライオンズと友好関係が締結していて、両方のチアガールの交流などが好評されているが、2024年6月7日のNPB、阪神対西武のセ・パ交流戦にて、統一のチアガールが阪神の台湾デーに出演、西武と背を向けた形になってしまっている。


味全ドラゴンズ

1978年に台湾の名門大学「文化大学」とスポンサーシップを締結し、味全球団が立ち上げ、兄弟飯店の洪騰勝オーナーのラブコールによりプロ入り、台湾プロ野球の初年度である「職棒元年」である1990年に初代チャンピオンに輝く、年間最下位は一度も無い名門チームとして君臨、1997年に2度目の優勝を果たすが、1998年、頂新グループが味全グループの経営権を獲得するとチームの運命が一変、1998年と1999年は中華職棒初の下克上を果たし、1997年と合わせて3連覇も、八百長騒動に関連する影響の事件が1999年のシーズン中に起き、球団経営に怯えた頂新グループは1999年11月に1年活動停止するとリーグに通達も却下され、結局同12月13日に球団解散を発表、ファンの不信感が募り、小規模ながら味全製品不買運動が起きた、球団復活前の2014年に食品安全の不祥事でイメージのさらなる低下も。

2019年1月に週刊誌が球団復活を図ることを報道され、頂新グループは認め、4月に球団再建プロジェクトが始動し、球団OBを監督・コーチを招聘して、リーグに加盟申請を提出し、同5月13日に同日開催されたリーグ常務理事会とマネージャー会議の承認を得て、球団復活が確定して、2020年3月にリーグの会員資格を再獲得した、球団復活後、川崎宗則が一時期に在籍して、日本でも話題になっている。

2023年、一軍再参入3年目で優勝を果たし、出来すぎた若いチームでもある。


富邦ガーディアンズ

1989年に台湾建設業界の大手、俊國建設が創設、1992年のバルセロナ五輪の野球台湾代表の銀メダリストを多数輩出し、1993年に中華職棒の初の新規参入球団の一つ「俊國ベアーズ」として参入。

しかしプロ入り後に成績が低迷し、さらに陳一平オーナーが自身のトラブルなどもあり、1995年11月に台湾史上初の球団譲渡により、興農企業に売却して「興農ベアーズ」、そして1996年中に「興農ブルズ」に改名。

チームは長い間低迷し、低迷と優勝争いを交互する状況に、2004年に優勝できなかったら解散の上層部の圧力を撥ね退けて初優勝を果たす、翌2005年も優勝して2連覇で絶頂期を迎える、しかし2010年の優勝争いに屈すると、2011年と2012年は助っ人を雇用せずに再度低迷に転じ、2013年に義聯グループに売却し、「義大ライノズ」になる、ようやく資金力がある球団も、2013年のマニー効果もなかなか優勝に届かなず、身売りを決意した2016年に逆転優勝を演じ、11年ぶりの栄冠を勝ち取り、富邦に球団売却。

長い間チームは台中に球団を置くが、義大時代からは高雄と台北でのホームゲーム経営を強化、富邦は事情を考慮した結果、2018年からは台北地域に密着し、新荘球場を本拠地にしている、豊富な資金力でここ数年、他球団のコーチを大金で引き抜き、また他球団から放出した有力選手に積極的にアタックや、ドラフトの上位が海外帰り選手をよく狙うが、若手の育成が最大の課題に。


楽天モンキーズ

1996年に中華職棒と対立した第二のプロ野球リーグである「台湾大聯盟(TML)」の台北エリアに本拠地を置く「台北太陽」が創設、母体はアマチュア球団「聲寶ジャイアンツ」、1997年に家電メーカーの聲寶が冠スポンサーとする「聲寶太陽」としてTMLの一員に、2001年に誠泰銀行が冠スポンサーになりチーム名は冠スポンサーを入れた呼称は「誠泰太陽」に、TMLの6年間に2度の優勝、6年間全部ポストシーズン出場の名門。

2003年に加盟料無しで中華職棒に吸収され、TMLで高雄に本拠地を置く「高屏雷公」を中心に吸収して加盟、台湾の有名の銀行である第一金融HDが球団買収のために、「台中金剛」と「嘉南勇士」を主体にしたもう一つのTML球団とチーム名交換し、「第一金剛」として中華職棒入り。

2003年12月に達達グループのLa newが球団買収に興味を持ち、聲寶との共同出資により達盛企業が創設、第一金融HDから球団を預かり、聲寶がメインで球団運営、La newが冠スポンサーとなり、球団名は「La newベアーズ」に変更、2004年12月にLa newが達盛企業の筆頭株主になった同時に球団買収、2003年の中華職棒入り後、3年連続最下位も育成に力を注ぎ、2006年に初優勝など、2008年までは3年連続ポストシーズンに進出した、しかし八百長の逆風や第一金剛時代のファン経営で失脚の面に勝てず、2011年に台湾北部の都市である桃園に移転して、La newグループ事業の企業のブランドの一つLamigoが球団名に冠した「Lamigoモンキーズ」として再生、すると2011年から2019年までの9年間は7度も台湾シリーズ出場して6度優勝を飾る強豪のイメージが完全に定着した。

2014年に「全猿主場」を遂行して、「ホームチームファースト」の環境を作り、球団の黄金期の屋台骨の一つとして支えている、しかしLa new事業体は中小企業規模もあり、赤字を堪えずに2019年に身売りを発表し、2019年9月に楽天に身売りすることが正式発表され、ファンなどの熱烈な要望により、楽天は買収後、東北楽天と同じニックネーム「イーグルス」になることを断念し、「モンキーズ」の愛称を残した。

2015年に千葉ロッテマリーンズと友好関係を締結し、ロッテの応援歌を多数使用したが、楽天に身売り後は2020年途中から2021年までは使用停止、2022年からロッテの応援歌を復活、モンキーズファンから好評も、一部のNPBファンからは「楽天なのにロッテというのは違和感あり」と否定的な声もあった。

チームのスタイルは攻撃野球を貫き、心酔させる強力打線で次々と優勝を射止めている。


TSGホークス

きっかけはTSGグループが2021年5月創設の台湾のプロバスケットボールリーグの一つ「t1リーグ」にて、台南を本拠地としたチームを最初冠スポンサーを務める予定が、チーム運営法人にTSGグループの名を冠して、チーム名も「TSGゴーストホークス」になり、TSGグループの直営チームとして発足、2021年12月に同じく「t1リーグ」の参入をした中信のオーナーは中信兄弟が中華職棒で優勝を果たした際にTSGグループは中華職棒参入に意欲とカミングアウト、2022年4月1日にTSGグループの加盟意向書を提出して、同4月27日に同意を得られて新規参入球団として誕生、2022年6月に球団名「TSGホークス」が正式に公表した、本拠地は高雄市で、漢字表記「台鋼雄鷹」の雄は高雄を意味する。

TSGホークスは週刊ベースボールにて長期に渡り、台湾野球情報を担当した親日の劉東洋氏がGMを務め、日本野球のノウハウも吸収する意向を示して、兄弟のOBを多くコーチとして招聘したことで、兄弟のオールドファンの獲得を目指している。


☆チアガール史

○はじめに

台湾のスポーツ界の今のチアガール文化は2004年に遡る、現在でも存在している台湾の政府傘下のバスケリーグ「超級籃球聯賽(SBL)」で、2004年に所属の7チーム中、台湾ビール、東森羚羊(のちの九太テクノロジー、2022年解散)、緯来ハンターズ(現・富邦ブレーブス、2019年SBL脱退し他リーグ加盟、詳しくは後述)の3チームがチアガールをそれぞれ結成し、男たちの熱き戦いを花を添える存在になっている、しかしそのSBLは発展環境もあり、チアガール文化は長く持続せず、逆に台湾の野球界はほぼ同時期の2005年頃にチアガール文化が発展をはじめ、2009年と2013年の二つの歴史の転換期によって、今のチアガール文化が定着され、今の台湾の球界には欠かせない存在になっている。

台湾のチアガールはセクシー寄りのダンスが特徴で、社会貢献活動少ない反面、芸能活動が極めて多い、また移籍者が異常に多いのも特徴、チアガールそれぞれの人気が高い一方で、移籍劇により球界で騒ぎに発展することもたまにはある。


○中信兄弟「Passion Sisters」

WBC効果による野球人気再来により、前身の兄弟エレファンツが2013年に「象漾女孩」を創設、2014年に球団が身売りして、中信兄弟となり、チアガールは「Passion Sisters」と再建され、今に至る。

しかし初代のチアガール「象漾女孩」がデビューした2013年から、ほぼ毎年に主催試合かパプリックビューイング対象試合での敗戦によるリアルの悔し涙をすることがよく各メディアに報じられている、特に2015年までにその傾向が強い。

現在、人気メンバーの峮峮(チュンチュン)が在籍したことも有名なチアガールチームになっていて、2022年は初の本拠地優勝決定を迎え、ようやく悔しい涙が嬉し涙に変えた。

また、チュンチュン人気のきっかけの陳子豪の応援歌は、チュンチュン人気爆発前に、他球団の関係者がクソコラされたことで、中信兄弟とその球団の因縁を作ったが、彼女の人気爆発により、その応援歌もマイナスのイメージが払拭された逸話も。


○統一「Uni Girls」

2006年、La newベアーズが前後期優勝を果たされ、ポストシーズンを盛り上げるために、中華職棒がチアガールコンテストを開催、プレーオフシリーズの勝者がグランプリに輝いたチアガールの応援を獲得という中、統一が興農を下し、そのコンテストのグランプリの「Divas」を獲得、2007年に正式に自軍のチアガールに、2009年に「Uni Girls」に改名して、今に至る。

一般的に選手と監督、コーチや一部の球団スタッフが撮影される優勝写真で、初めて写されるチアガールとしても有名で、これまでは3度も優勝写真の中にその姿が納まれている、また2009年には球団の政策により、遠征でもチアガールを帯同をするKBO式を採用したが、同じ年の後期途中で中止、一度台湾シリーズで復活しようとするも、相手球団の拒否などの事情で計画が実現できずに。


○味全「Go Beauties~小龍女」

球団復活した2019年に創設、ユニット名は「Go Beauties~小龍女」、「小龍女」は金庸の武俠小説「神鵰剣俠」のヒロインの名前が由来にして、球団のニックネームである「ドラゴンズ」にもちなんでいる。

リーグ規定によって、味全は2020年に二軍戦のみ出場可能で、2021年に一軍公式戦を出場するために、合格された1期生の一部は他の球団に移籍して、2020年の時のメンバーは僅か8人、その後二軍戦で踊らせる経歴を持ち、2023年に台湾最初の「チアボーイ」を持っているチームになっている、また2024年に楽天のチアガール二大看板のリンシャンとイ・ダへを同時に引き抜いた。


○富邦「Fubon Angels」

兄弟と同じ、WBC効果による野球人気再来により誕生したチアガールの一チーム、前身の義大ライノズが創設時の2013年と2014年は「犀睛女孩」のチーム名で活動され、2015年は改革により「Rhino Angels」へ改名、2017年の身売りで「Fubon Angels」に再度改名された、チアガール業界の中でも、他球団からの移籍者が目立っているチーム構成になっている。

また、同グループのバスケチーム、2024年現在は台湾プロバスケットボールリーグ「P.League+(読み方はプラスリーグ・略称PLG)」に所属している「富邦ブレーブス」のチアガールを兼任していて、2022/23、2023/24と2季連続でPLG最優秀チアガールを受賞した。

逸話として、2014年9月に当時のメンバー一人は相手チームの選手と交際、サヨナラホームランに嬉し涙をしたということが有名、この禁断(?)の恋は話題になったが、幸いそれ以上の騒ぎにならなかった、台湾では八百長疑惑が何回もあったため、八百長とは関係ないですが、この往来は下手としたら、リーグを揺るがす大事件に成りかねないことでもありました。


○楽天「Rakuten Girls」

台湾のチアガールの先駆けの一チームと言えるチームは、La newベアーズ時代の2005年に休日限定登場で「La new Girls」として創設、2011年に球団が移転して、球団の企業名の部分がLamigoに変更した後も運営が継続も改名がされるも正式名称が曖昧で、2013年にブレイクした際に、「Lamigirls」というチーム名が世間に浸透した、球団の身売りにより、2020年からは「Rakuten Girls」に改名、同グループが2005年に日本野球機構に新規参入した時に創設した「東北ゴールデンエンジェルス」と一味違うパフォーマンスも特徴。

ブレイクのきっかけは2012年のアジアシリーズ出場の時、開催地の韓国の釜山で地元の球団であるロッテ・ジャイアンツのチアガールスタイルを見て、抜本的にチアガールを改革をした、台湾・日本・韓国を合わせた応援スタイルをしていると自称している。

また、台湾では初となるCDデビューのチアガールとしても有名であり、チアガールのアイドル化の先駆けでもある。

2023年に球団フロントが自ら韓国で大人気のチアガール、イ・ダヘを招聘した、1季で移籍したが、彼女の来台をきっかけに、台湾のプロ野球とプロバスケ界にて、韓国人チアガールブームが一気に台湾のプロ野球とプロバスケ界拡散された。


○TSG「Wing Stars」

先に誕生のバスケチーム「TSGゴーストホークス」のチアガール「Wings Girl」と異なるチアガールチームの個体である、2023年7月に創設発表、同年に最強に反則的な可愛いチアガールと呼ばれたアン・ジヒョンを最初は「Wing Stars」のアドバイザーとして招聘したが、結果的にメンバーとしてチームの目玉になった。

また一軍参入初年度の2024年にドラフト外入団で葉保弟の応援歌が台湾らしさ全開と話題になった同時に、メンバーの一粒(イーリー)の踊りがブレイクしたが、2024年6月現在葉保弟は32試合出場で打率が1割6分台、一軍登録抹消中でプロの厳しさを経験中。


☆現所属球団の変遷沿革

中信兄弟

1984年9月1日:兄弟飯店球団として創設

1989年:兄弟象に改称しプロ入り

2013年12月3日:中信ホエールズを経営していた中信が球団買収し、中信兄弟にチーム名を改める


統一

1989年:統一球団創設、その後統一獅に改称しプロ入り

2008年2月21日:ユニフォームの胸ロゴにセブンイレブンを使うため、チーム名を統一7-ELEVEn獅と改称


味全

1972年:文化大学と企業と教育の異業種同盟による味全球団創設

1989年:味全龍に改称しプロ入り

1999年12月13日:オリジナルの味全龍が解散

2019年5月13日:新規参入として中華職棒への再加盟が承認、新生味全龍誕生


富邦

1989年:俊國建設球団創設

1992年:新規参入が承認され、俊國熊としてプロ入り

1995年11月5日:台湾初の球団売却により、興農熊に改称

1996年6月7日:同年の後期より興農牛に改称

2012年12月17日:義聯グループが買収により、義大犀牛に改称

2016年11月1日:富邦グループの買収により、富邦悍将に改称


楽天

1996年:聲寶巨人として、台湾大聯盟(TML)の創設の準備になる母体アマチュア球団に

1997年:台北聲寶太陽としてTML入り、聲寶は冠スポンサー、TML経営の那魯湾企業が球団を経営、那魯湾企業は全4球団を統括に経営するスタイル

2001年:聲寶が冠スポンサーを降り、誠泰銀行が冠スポンサーになり、誠泰太陽に改称

2003年1月29日:第一金融HDが球団買収、第一金融HDの要望などにより、TMLが残したもう一球団の金剛と球団名交換、第一金剛になる

2003年12月27日:聲寶と達達グループのLa newが達盛企業を創設、第一FHDから球団を預かり、La newが冠スポンサーとなり、球団名もLa new熊に変更、2004年12月にLa newが達盛企業の筆頭株主と同時に球団買収

2011年1月6日:桃園に移転、達達グループが子会社のLamigoを球団の企業名に冠し、Lamigo桃猿になる

2019年12月17日:Lamigoを買収した楽天が楽天桃猿を球団名にすることに正式に発表し発足


TSG 

2022年4月27日:中華職棒への新規参入が承認、台鋼雄鷹が誕生

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