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左卵巣摘出手術-緊急手術までの8時間-

前日S大学でもらった紹介状をもとに8/10の9:00にタクシーで専門病院へ。

私は誰にも見せたくない寝たきりTシャツズボンの格好でした。

8/8からずっとお腹と背中が痛くてろくに水も飲めていない。

さらに、みぞおち部分が張ってきた感じできつかった。

痩せ我慢をして救急車に乗らなかった自分が良くないのですが、
待たされそうだったので受付の方に伝えてすぐに診てもらえました。

こういう時はどんどん言わなきゃいけません。

先生はS大で撮った造影剤CTの画像をゆっくり見て

「このシワシワのところ、破裂してると思うよ」
「これは、今日緊急手術かも」
「S大では昨日16cmらしいけど元はもっと大きかったはず」
「CRP16でよく歩けるね」

こんな話をした気がする。

確かに、9日の時点でいつも気になっていた下腹部のしこりがなくなっている事に気づいてはいた。

まさか18cm〜近くの爆弾を抱えていたとは・・・

先生は問題の左のみならず右も子宮も全摘推しでしたが
私は、全力で死守したく、取る!、嫌だ!の攻防合戦は続きました。

先生に

「一旦、とりあえず手術の方向性で検査回ってきてください」

と言われ、それもそうだなと。

検査の10:00ー14:00までの4時間で死にそうになりながら

自分の命をかけて顧客の立場として”お仕事依頼準備”をしました。

心折れそうに震えながら信頼している先輩や薬局の先生など頼りまくりました。
(見て下さっていたら、あの時はありがとうございました!)


患者は医師の言いなりでも操り人形でもありません。

自分の命は自分でしか守れない。取ったらもとには戻せない。

だから極論、こういう場面では”めんどくさい患者”になった方がいいです。

本物の医師はそれでも、絶対に向き合ってくれますから。

私はこれまでの経験から強くこれを思います。


何をどのように準備したかは非常に繊細な事項なので改めて慎重に書こうと思います。

卵巣というのは良性か悪性か
取ってみないとわからないというミステリアス臓器。

私は境界型悪性腫瘍というジャンルで、まさにグレー。

私の苦手な言葉であり好きな色。

卵巣腫瘍の9割が良性なのに、その残り1割の中の数%というワクワクしない新ジャンル。

以前聞いた医師の話によればガイドラインの変更でどちらにも傾きやすい、といった印象です。

だから、医師はリスクを考えて全て取りたがります。

確かに右も5-6cmと小さくはないけれど

でも私は現在34歳、パートナーはいませんが頭の中に予定はあります。

それに、どうしても臓器を取るということに

お腹痛くて息ができないのに

心電図をつけて走ったり
大きく息を吸ったり吐いたり
初めて足の静脈を超音波で見たりもしました。

飲水していないため、最後まで採尿はできず。

検査が終わり、お互い少し冷静になって作戦を話し合いました。


基本作戦
左のみ摘出、大網も摘出

条件
ただし開けてみた結果、万が一癌だった場合に子宮へ浸潤が見られたり、左卵巣を摘出できない場合は子宮摘出を可。
右は摘出しないが機能するだけの採取は可とする。

これでやっと、まとまりました。

正直右と子宮も取ると言われたら手術しなかったと思います。

今思えば、本当にありがたいです。

面倒な患者でごめんね、先生。

ここから一気に進みます。

手術室やベッドの確保、私は一時帰宅し一通り準備してから

お決まりのPCR→待ちの間にまさかの38.1度!

抗原検査も追加→陰性

良かったね、ってことですぐガウンに着替えて18:45オペ室へGOしました。
(後日談で、あれは脱水だったね、ごめんと言われました)

父も来てくれてオペ室で見送ってくれました。

人生3度目の手術台に乗ってあれこれ付けられます

オペ看がデキル女でカッコよかったです。

そして麻酔科の先生がエレガント系で痺れました。

担当の先生は3名。

もう、安心して任せられました。


「先生、笑気麻酔ないんですか?」と全裸でダメ押しで聞くと
「そうなのー、うちにはなくて」とあっさり。。

もう仕方ない、と、人生初の硬膜外麻酔を背中から入れられ気持ち悪かったですね。

術後も吐き気が辛く、もうやりたくないです。

順番は硬膜外→全身麻酔(静脈注)

終了時刻は23:30

予定の2-3時間を大幅に超え、4時間くらい?

目が覚めたら手術室で

医師の1人(多分Y先生)から
「開けたらすごかったよー」だったか
「癒着がすごかったけど生理痛ある?」だったか
聞かれました。

とりあえず私はそんなことより

coco「何取りましたか?」

先生「左だよ。右もあれは取った方が・・むにゃむにゃ」

と言われたのでひとまず安心しました。

ガラガラ押されながら、半目で待ってくれていた父に挨拶をして

深夜なので看護師さんがステーション近く?の部屋で数時間おきにケアをしてくださっていたと思います。

腹腔鏡との違いはとにかく足が痺れていたこと

硬膜外麻酔の影響らしいですが、術後3日ほど感覚が鈍い状態が続きました。

両手の甲、尿カテ、背中の硬膜外麻酔と4本の管に刺されてひたすら朝まで寝ていました。


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