なぜ行動経済学か(その3)–ケネディスクールが統計を教えるもう1つの理由

アメリカ人の同級生たちと最近の政治情勢について話すと、だいたい苦虫を潰したような顔になります。

それはこの人のせいです。

(http://cdn1.theodysseyonline.com/files/2015/11/22/635838115365780122-901575687_6358235333419573281092854367_donald-trump.jpgより)

共和党の大統領候補争いでトップを走る、暴言富豪ドナルド・トランプです。メキシコは犯罪者を送り込んでくるとか言っちゃう人です。最初に出てきた時は面白おじさん程度に扱われてたのですが、全然数字が落ちないので、だんだんネタ扱いできなくなってきたことに周りのアメリカ人は困惑しています。

片や民主党はバーニー・サンダースという社会主義者とまで呼ばれる極端な政策を持つ候補が、トップを走るヒラリー・クリントンを激しく追い上げています。最低時給15ドルだとか掲げてます。

(http://s3.amazonaws.com/media.wbur.org/wordpress/1/files/2015/07/0710_sanders.jpgより)

左寄り(大きな政府を好む)の民主党も、右寄り(小さな政府を好む)の共和党も、より多くの票を得るためにお互い真ん中に近寄るというのが従来の説でした。

しかしその傾向が近年は変わりつつありました。トランプ、サンダースの登場は、その分極化の結果に過ぎません。

民主党と共和党が協力することが難しい環境になった結果を示すのが、次のグラフです。議会が毎年どれだけ法案を通したかの数の推移です。

(http://www.msnbc.com/sites/msnbc/files/styles/embedded_image/public/4.10.14.2.jpgより)

年々下がっていくのが分かります。

不毛なイデオロギーとイデオロギーのぶつかり合い。中絶賛成・反対、銃規制賛成・反対と、お互いの人生観をかけた、妥協点を見つけづらい議論ばかりが目立っていくようになります。

アメリカの政策立案が計量(エコノメトリクス)重視になったのは、学術界がそっちの方向に進んでいったというのが大きいのですが、政策立案の側の苦肉の策でもあります。

zyさんが「2~4年目コンサルタントにすすめる5冊」で数字で価値を出す具体的なイメージをつかむのに適した本として勧めていたのが、野球のオークランド・アスレチックスを題材にした「マネー・ボール」です。アメリカの超党派の議員や政策立案者たちも「マネーボール・フォー・ガバメント」という本を出したり、Results for Americaというウェブサイトを立ち上げて、数字を政策立案に使おうという背景には、二大政党間の埋めがたい断絶の間をなんとか数字を使った対話によって折り合いたいという切実な思いがあります。


前回の記事で登場した統計の授業ですが、一番印象的なのは幾つかの論文を読ませ、政策立案者になったつもりで論文の著者を演じる先生と議論させる、議論のお作法を学ぶ回でした。

サンプルの選び方に偏りがあるのではないかとinternal validity(内的妥当性)を問うか、◯◯という集団を調査した結果は××では当てはまらないのではないかとexternal validity(外的妥当性)を問うか、というように議論のお作法には、一定のルールがあります。

イデオロギーの不毛なぶつかり合いから政策の議論の土台をどう取り戻すか。そういったことを教えたいんだと感じました。


政策分析の授業の最終課題は、ボストン市の教育改革でした。2013年には66%しかない高校生の修業年限での卒業率を、2028年までに90%までに上げると掲げた新市長に対して、どの政策を選ぶべきかを提言します。

各種論文を読んでいくと、入園前の幼児教育の充実は効果が高いものの市長の掲げる目標に間に合いません。落第しそうな生徒にメンターをつけるCheck and Connectという事業は人気が高いものの、費用が莫大な割には最近の研究では中退率は下げても卒業率への効果が否定されています。そこでニューヨーク市で8.3%から11.4%の卒業率の上昇が見られた大規模校の分割と学校選択制の導入を提言するとともに、限られた費用の中では市長の目標達成が困難であることを伝えるというレポートにしました。


教育政策はイデオロギーの違いが如実に現れる政策分野です。何を教えるかはイデオロギーの間で歩み寄れなくても、せめてどう教えるかは数字を使って議論ができます。この題材に取り組むことで、正しそうなことではなく、より正しいことに近いことをどう政策に反映していくか、という訓練になりました。

議論のベースを科学的にすることで、パワーポリティクスに抵抗して、イデオロギーの違いをどう埋め合わせていくか。結局は、物事の決め方を変えないと結果は変えるのは難しい、ということです。

翻ってみて日本はどうでしょうか。同じようなイデオロギーの中で、同じ決め方をすれば、同じ人たちが勝つから、同じような結果しか出ないと思うんですが。。。(全部私見ですよ!)

政策の具体例は次回からで。。。

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