人の数だけ思い出が、

月曜の夜から、火事の件で心がざわついている。

火事の件は、いつもTwitterで仲良くしてくださる方のツイートで知った。まさか。思わず検索した。トレンドにもなっていた。まさか。まさか。何度もTwitterで検索をしては、燃えている写真、映像、ライブ中継を見た。

現地まで出向こうかと思ったけど、やめた。でも経過が知りたかった。何度も何度も検索した。何度も何度も。何度も。酷くなってほしくないと願いながら。でも、どんどん燃えた。

代表的なステンドグラスや、オルガンは、どうやら無事らしい。不幸中の幸いだったと思いながら、何度も泣いている。

わたしはフランス人ではない。カトリック教徒でもない。
でも、育った愛知県の次に長く住んでいる場所が、留学で来ているフランスなのだ。しかも、最初の3ヶ月間、通っていた語学学校がこのすぐ近くにあった。毎日のように目にしていた建物が、こんなことになっている。

……と、まあ、わたしの気持ちはこう。3ヶ月、ほぼ毎日見た建物。見慣れていた景色。

パリで生まれ育った人にとってはもっと違うものだろう。カトリック教徒かどうかによっても違うだろう。ある人によってはもっと悲しかったり、ある人にとっては泣くほどでもないだろう。

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この2日間、わたしは人生で一番、この建物の名前を検索したと思う。Twitterで。Googleで。

SNSには、最初「現在の状況」が投稿されていた。でも、火が落ち着いた頃には「あの頃の姿」を投稿する人の割合が増えた。

それぞれの人の見た、それぞれの「あの頃」。

行きたいという願いが叶わなかった人は、「行っておけばよかった」だけ。作品を作ったり見たりした人は、その作品との自分の関係を。足を運んだ人は、そのときの思い出を一緒に添えて投稿している。

全ての人の中に、それぞれの思い出があるんだ、と思った。何十万人の、何十億人の心の中に。

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写真、もう、上げない。わたしが撮ったものは全て「以前」のものだ。以前と以降、どうしても比べてしまう。いつか上げるのかもしれないけど、当分は無理だ。

正式名称も、略称も、書かない。書いていない。わたしのように不安で検索している人にとって、無益な情報だ。検索されたくない。検索から来た人に読まれたいものではない。アイキャッチもいらない。ページビューもいらない。

ただわたしの気持ちを書きたくて書いている。それだけだ。この感情はわたしのものなんだ。

まだ心は少しざわついている。このことは時間をかけて受け入れていくつもりだ。自分にできることを探しながら、自分の日常を過ごしながら。