見出し画像

微々たる違いが大きな違い

こんにちは、こんばんは。

やりたいことと求められているものは違う。
本当に微々たる違いが大きく違う。
そういうことをつくづく実感します。

文章は小さな内容を事細かに記したものと、
大きな内容をコンパクトに記したものと、
大きく分けて二種類存在すると思います。

わたしは長い、フレンドリーな感じのウェブ記事が苦手です。小さな内容を事細かに記したタイプの記事って、いくつもの見出しに分かれていてもうまく読めません。いくら丁寧に書かれていても離脱します。

逆に、感情的な表現が入っている文章や、日記は好きです。

お仕事では、いくつもの見出しに分かれた記事を書いています。小さな内容を事細かに書く作業。これでいいんだろうか? という疑問を持ちながら、依頼をこなす日々です。

今日、ほぼ初めて、クライアントさんから添削をいただいた原稿が返ってきました。かなり真っ赤になって返ってきました。

仕様書を読み、形式上は仕様通りに作ることで、相手の求めている文章にうまく化けていると思っていました。真っ赤な原稿を見る限り、化けていなかったみたいです。


最近のわたしは「お仕事で書いているのだから、書きたい記事は書かない」と心に決めていたのですが、全くそれができていなかったことを知りました。

「書きたい記事」というのはもっぱらコンテンツについての話でした。でも、文章そのものの性格であったり、スタイルであったり、そういうものも「書きたい」の範疇に入っていたのだと、今日ようやく知りました。


わたしはしっかりとした文章が書きたい、と思っています。自分のこの感情に、今日気が付きました。

だからこそ、新聞を読み、新聞の文章に学ぼうと思っていました。フランクな文章を書く技術としては、正しいことではないのかもしれません。

朗読と漫才が違うように、
コントと演劇が違うように、
ジャズとクラシックが違うように、
クラリネットとサックスが違うように、
シンセサイザーとピアノが違うように。

似て非なるものが、たぶんこの世にはものすごくたくさんあり、時と場合に応じて、必要とされる技能が違うということを、文章において思い知りました。

クライアントさんからいただいた添削は本当にありがたくて、勉強になりました。フランクな文章を書けるようになることは、必ず硬い文章にも生きるはず。そう信じて言葉を磨き続けます。

***

しかしながら、今まで添削されることがなかったので、ものすごくうれしかったです。編集者さんに添削してもらうということに少し憧れていました。憧れに一歩近づいた気がしました。おやすみなさい。