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北イタリアのモータースポーツの熱気たるや - フジワラヒロキのホールショット

この年のISDEには、なんとオフロードバイク歴わずか1年という前田啓介が参加していた。無茶だろう、と普通は思う。確かにISDEを走るようなライダーではなかった。でも、結果的に、彼は、人よりも大きな「ものさし」を獲得していた。それは、数年後のISDEで証明された。


ITALIA 1997

Text & Photos : HARUKI Hisashi
写真はすべて1997年ISDEイタリア大会から


1997年のイタリア大会には、藤原広喜を筆頭に、伊藤聖春、中嶋宏明、そして前田啓介らが参加していた。前田はまだ十代の少年で、なんとオフロードバイク歴が1年あるかなしだというのに、誰にどう吹き込まれたのかいきなりISDEだ。無論のこと、初日も満足に走れずにリタイアしてしまったが、それが奮起につながり、2000年のISDE(グラナダ大会)に出場して難なく完走した。その後、彼はラリーでも活躍するようになった。そんなことも考えると、いきなりの大舞台というのも、まんざら滅茶苦茶ではなかったのかもしれない。いや、まあ無茶ではあったけど…。

イタリアの名門「モトクラブベルガモ」の本拠地がこの年の6日間の舞台となった。ロンバルディア州である。ブレシアの国鉄駅から、氷河地形の山岳地帯に少し入ると、そこにルメヅァーネのサッカー競技場があり、スタジアムがパルクフェルメとなり周辺の空き地がパドックになっていた。山間部らしく、午後になると毎日雷雨が来た。保水力のない岩山なので、雨が降るとあっというまに、あちこちで洪水が起きる。幾度も、区間のキャンセルが行なわれた。増水した小川を、腰まで水につかりながら、3人一組でおみこしのようして一台ずつバイクを渡したなんていうライダーたちもいた。だからといって荒れた展開だったというわけではない。自然を相手にした競技ではこのぐらいのことは折り込み済み。つつながく競技は進んでいった。

モータースポーツの認知度が高く、そのなかでエンデューロも人気があるせいなのか、ファイナルクロスには、ぼくが今まで見てきたなかでは最も多くの観客が集まっていた。確か4万人を超えていたと記憶している。ビールサーバーの前にも行列が出来た。「ピッコロか? グランデか?」。6日間、ライダーたちのヘルパーをしてきたぼくたちも大きなビールを手にして、観戦に回った。コースサイドには全周ぐるりと三重、四重の観客の壁が出来ていた。その熱気の中でヒートレースがはじまる。日本のおとなしい観客とはわけが違う。巻き舌の実況放送がそれに油を注いだ。やがて藤原広喜が入っている組がサイティングラップを初めた。黄色いGASGASの125cc。一台また一台とゲートに入り、やがてスタートの時が来た。125ccを得意にするモトクロス国際A級ライダーの藤原は、猛者たちを後ろに従えてホールショットを決める。そのまま、大観衆の中をトップで周回した。

「トップはジャポネーゼだ。トップは日本人のフジワラだ!」。

周囲の観客もぼくも振り返って「ジャポネーゼがトップを走っているよ」といって、ぼくをコースのかぶりつきに押し出してくれた。前で見なさい、と譲ってくれたのだ。

"フジワラ"は、数ラップするうちに次第に順位を落として、たしか3位でゴールしたと思う。あの数ラップの出来事は、ぼくのシックスデイズの記憶の中で、もっとも鮮やかなもののひとつだ。今後も、大切なアルバムの中にしまった一枚の写真のように記憶していくに違いない。またいつか、今度はトロフィチームの誰かが、日本のエンデューロファンに、そんなシーンをプレゼントしてくれるだろう。藤原の名がファイナルクロス会場に鳴り響いてから、日本初のトロフィチームが誕生するまで、ちょうど10年の時を要した。

2006年のISDEニュージーランド大会に、日本初のワールドトロフィチームが出場し、フジワラもそのメンバーの一人となった。彼は、現在、ライダーとしては引退しているが、MFJのエンデューロ委員会のリーダーとして、日本のエンデューロシーンを陰で支え続けている。

2019年のフランス大会では、釘村忠が日本初のゴールドメダルを獲得した。釘村は、ファイナルクロスでホールショットを決めてくれた。イタリアのホールショットから22年。ぼくも年をとるはずだ。

END

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パルクフェルメの一隅にクラシックなエンデューロマシンのミュージアムが出来ていた。他の大会でも同様の展示は見られるが、イタリア大会の時は規模が大きく40台ほど並んでいた。これも地元クラブの伝統の厚みというものだろうか

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走っているのがKTMのエンデューロマシンでなければGPの会場のように見える。ファイナルクロスにはたくさんの観客が集まった


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街中の小道をライダーたちが通過していく。誰かが観ていると、陽気にウイリーを決めていくライダーたち。このライダーは、ジョルディ・ビラドムスといって、現在はKTMファクトリーチームのラリーパイロットとしても知られている。当時は、スペインのジュニアトロフィチームで活躍したエンデューロライダーだ


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BAJAのピットみたいだけど、これもイタリア大会。USAトロフィチームで走っていたスコット・サマーズのXR600だ。アメリカから送ったコンテナの到着が遅れ、大急ぎでセットアップ。アメリカのライダーたちは、数本のコンテナを50~60名のライダーでシェアするという方法をとっている。こうしたロジスティックを含め、ISDE参戦がパック旅行のようにアレンジされていて、すべてAMAのエージェントが仕切っている。コストも低く抑えられいていて。こういう合理性なやり方はさすがアメリカだなぁ、と思うのであった

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エンデューロ、ラリーのメディア活動。