我が愛しのベータ
正確に何年頃とは覚えていないのだけど、28-9歳ぐらいだから、今から40年ほど前。
実家の隣の家(比較的新しく引っ越してきた家で家同士の交流はない)の玄関先に停っていた小柄な濃紺のスポーティカーの後ろ姿に一目惚れした。思わずフロントに回ると、LANCIAとある。ストラトスの名前は知っていたが、BETA Coupeなんて知らない。だけど、ど真ん中ストライク。丸目4灯の端正なフロント、低めの車高に直線的だが流れるようなクーペライン、シンプルだけど張りのある面構成に、短くボリュームのあるリアエンド。
(初代プレリュードとほぼ同じサイズとコンセプト。というかプレリュードがベータクーペの企画をパクったんじゃないのって密かに思ってる。駐車場で並べてみたらホイルベースや全幅全高もほぼ同寸だし、リアサスのロアアームスパンなんかもほぼ同じ。ドアノブなんか互換できそうなくらい)
もうね、大きさもカタチも頭の中から離れない。明けても暮れてもその車のことだらけ。
初代ローレル、初代アコード、初代プレリュード、2代目カリーナHTと乗り継いでいた自分。機械は好きだし、車いじりも専門家じゃないけれど、故障ぐらいでその車をキライにならない自信はある。インターネットのない時代、知り合いを通じて探しまわった。お隣と同じ車って恥ずかしい…そんなもん関係ない程に、ホレた。どうせ実家なんて夜中に寝るだけに帰ってるようなもんだし、隣が何を思おうと、オレの知ったこっちゃない。
2カ月程して連絡がきた。「外装は濃いエメラルドグリーン、内装はコゲ茶に赤の本皮シートなんで派手すぎますかね?…ワンオーナー、220万」一応見てから決めると言ったけど、心のなかは即決状態。もちろんローンを組んだけど、頭金半分以上は貯金していたし、収入もそこそこ稼げていたし。
惚れたってこういうことなんだと思った。タイヤ、ホイール、ヘッドライト、電装、マフラー、触媒外し、オールペイントなどは当然3カ年計画ぐらいでちゃくちゃくと進めて、それは誰でも同じだと思う。だけど、オレの場合は異常なまでにスタイルに惹かれてた。例えばね、車から降りると必ず振り向いて「いい子で待ってろ」なんてつぶやく。彼女(一応いた)のマンションに車停めて、4階のベランダから彼女そっちのけで1時間くらい延々と屋根とフロントウインドウとボンネットの繋がりを見て、あぁしびれるラインだなぁって思ってる。コーヒー飲むときは、窓越しに自分の停めた車を見ることができる遠くのコーヒー屋にわざわざ行く。洗車とかワックスは、車好きの基本だから当然だけど、ランプ類やモール、つまみ、ドア内張りなんか全部外して手の届くところは裏側だろうがなんだろうが全部磨き上げちゃう。ソリッドカラーの濃いエメラルドグリーンの、さも厚ぼったくてすべすべというよりヌルヌルに見えるペイントも頬擦りしたり舐めたいくらい。ホント女より愛おしい。
パワーなんか1800ccのくせに、軽にも置いてかれるぐらいだし、キャブバランスやデスビ、タイミングなどどんなに調整してもらっても、触媒外してやっと6キロの燃費。友達の過給器無しの初代MR2をちょい乗りしたことあるんだけど、おーさすがにBETAに比べて速いなぁって思って、よく見たら2速発進してた(1速がさらに手前にあるシフトパターンだった)。要するに1600ccの2速発進より遅いわけ。
エキゾーストのガスケットが抜けてバリバリ音立てながら2キロ離れた修理屋に行ったり、走行中アッパーホースが破裂してボンネットから派手に湯気出たり、破れたロアーホースの部品待ちの1週間ぐらい、水を入れたポリタンクをトランクにつんで水を継ぎ足ししながら通勤したり、メインキーの接触が悪くてセルが回らなくなったときは、やっぱり部品待ちの間、バッテリ直結でいつもエンジンかけてた。
タイミングベルトの歯をなめてエンストしたときは、近所のなじみの整備屋さん(ワーゲン専門)じゃ無理なのはすぐ分かった。ランチアのエンジンOHをやってくれる修理屋さんは、東京を挟んで反対側の県にしかなくて、国産車の整備やってる友達からトレッカ付きのサニトラ借りて、回転灯回してトコトコと4-50キロで4時間以上かけて牽引して行った。サニトラのバックミラーに、トレッカに前輪を乗せたBETAのフロントが映ってるんだけど、息苦しくて顎を出してるみたいに見えて、「待ってろよ、今病院連れてってやるから」って本気でつぶやいてた。
でね、世の中の多くの男たちと同じように2-3年すると、愛妻を粗末にするっていうか感謝の気持ちが薄れて、扱いが荒くなって、外観が少しずつヤレてくるわけ。で、また新婚時代の気持ちに戻りたくて一番高いGlasuritでオールペイント(色はジャガー純正のレッド。40年前で50万円)をしたんだけど、塗装工場から戻ってきたその次の日、末の弟にちょっと車貸したら横っ腹をベコーッと凹まして帰ってきた。こういう時って気持ちが凹むの嫌だから、直ぐ同じ塗装工場に持ってって17万で板金してもらったんだけど、職人さんには驚かれたっけ。普通これだけカネかけたら慎重に乗るでしょうにって。
実は、所有してた3年間に2万キロしか走ってない。往復300キロぐらいのドライブを2回しただけで遠出なんてめったにしない。ただいじってるだけなんだけど、本当に見てるだけ、いじってるだけで満足してた。だって、いつもテキトウなタイミングでどこか具合が悪くなるから。ようするに「男を振り回す可愛い女」なんだよね。お隣のBETAなんてとっくのとうにコベンツ190だったかに乗り換えちゃってるんだけど、「しょせん女を知らねぇ男は、ああいう寝ても面白くないマグロ女で満足しちまうんだ」って心のなかでイキがってた。
32歳のある日、一大決心をした。金も順調に稼げていたし、酒も女も親孝行も十分したけれど、オレの人生このままじゃいけない、こんな運とツキだけの仕事を続けてるわけにはいかない…。仕事を全部同業者に回して、オレはとりあえず1年間、海外へ行くことにした。その間、ベタ惚れの愛車Lancia BETA coupeを末の弟(横っ腹をベコーッと凹ましたその弟ね)に預けることにした。どこが壊れたらどこの修理屋に行けばいいかもリストを作って、保険やら税金やらもきちんとやれよってことで。弟はもちろん外車に乗れるから「アニキ、絶対大事に乗るよ」って大喜びだった。
それで、旅立ちの当日「アニキ空港まで送るよ」というのでオレは当然のように弟に運転させた。弟の運転をチェックする意味もあったから。朝6時40分頃だった。家を出て数百メートル、田畑の中の舗装された1.5車線ぐらいの農道を60キロちょいくらいだったと思う。見渡しのいい直線路で家の直ぐ裏の慣れた道。いつもの速度感覚だ。ギリギリ1車線の直交路を白いマークⅡが来るのは遠くから見えていたが、どう見てもこっちが優先道路。普段ここらへんの人たちも当然それで運転しているし、直交路を初めて走る人でも一目瞭然で自分側が一時停止って分かる。第一、見晴らしがいい。向こうもこっちが見えているはずだ。当然こっちは一定速度で進む。
まるで映画の一場面のように、マークⅡは一時停止なしに躍り出て、BETAの後輪フェンダーを直撃した。徹夜マージャン明けの半分居眠り運転のサラリーマンだった。
両車ノーブレーキだったが、幸いけが人はいなかった。加害者のサラリーマンは平謝り、弟も冷静なヤツだし、もめることはないはずだ。オレは、飛行機に乗り遅れるからとそのまま徒歩と電車で空港に向かった。空港に着いたのはギリギリで見送りの人と挨拶する時間もなく飛行機に飛び乗ったが、これから始まる海外生活のことより、心の中はBETAのことでいっぱいだった。エンジンも電装も全部オレの100%保証の極上品だ。手の入るところは全部磨いてある。革シートだって染めなおしてある。パワーウィンドウのモータなんか数日前、新品に交換したばかり。
全部ばらして部品一つ一つ査定すれば、全損より高くなる…とはいかないことは分かっていた。リアホィールが斜めに寝てドアキャッチがずれているのを咄嗟に見ていた。バルクヘッドより前は無傷だが、フレームがいってるんじゃ弟の手に負えない。単体で売れるようなエンジンじゃぁない。個人的にもよくしてくれる保険屋の兄ちゃんも、部品をばらして個別に査定することはないだろう。涙は出なかったが、悔しかった。くそっ、オレがそばにいればいくらでも手があるのに。どんなに金がかかってもフレームきちっと引っ張って、部品取り用のBETAを持っている◯◯工場の親っさんと、例の塗装屋さんに頼めば、なんとか救えるはずだ。車両の査定価格は確かにゼロに近いが、オレがいれば助かるのに。
翌週、弟から国際電話がきた。
「アニキ、全損だって。全損にするしかないって。ゴメン、俺がスピード落としてれば…」
「オマエのせいじゃない。悪いのは向こうの居眠りだ。第一スピード落としてたら助手席直撃で死んでたかも知れないじゃないか」
「だけどアニキ、あれだけ大事にしてたのに」
「きっとな、神様だかなんだかが日本の未練なんか忘れてこっちで頑張れって、そう仕向けたんだろ…。よし、エンジンも部品も全部まとめて廃車だ。悪いがしばらくは日本に帰らないからな」
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この国での生活はもう38年目になる。もちろん日本へは何度も帰っているけれど、この国に俺は定着した。仕事も家庭もこの先日本へ戻ることはない。そして、この国に古いランチアが輸入された実績はないから永久にBETAに会うことも手に入れることもない。何十年も日本を離れている間に、俺の昔の古いアルバムは実家の建て替えやら引っ越しで全て紛失してしまった。少し前にネットでBETAの画像を探しまわったが、濃いエメラルドグリーンの車体は一枚もなかった。純正色なのに。
今我が家には乗用車と四駆の2台があるのだが、いじることはない。オイルやエアをチェックするのも忘れがちなほど、ボンネットも開けないし、下回りを覗くこともない。必要な分だけの整備を近場の整備屋さんでやってもらうだけ。車検だって女房が通してくれてる。
別に、死に別れた恋人を忘れられなくて一生操を立てるなんてわけじゃないんだけれど、とにもかくにも、あんなに惚れた女はいなかったなぁ、という、若い人たちにはあくびの出るような、年寄りの昔話でした。
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