読書と自分と座右の書

読書と自分

私が読書するようになったきっかけは、私が小3か小4で親戚で集まった際、従妹とおじいちゃんが芥川龍之介や夏目漱石の話をしていて全くついていけなかったことだった。そこからは、親や祖父祖母が本なら何でも買ってくれたのでたくさん本を読んだ。中学は時事評論や歴史の本を中心に、高校に入ると文学や哲学書を読むようになった。私にとって読書は、新たな知見を与えてくれるものであり、それと同時に自分の中にある情報を整理するツールでもあると思う。自分の中で点で存在する情報を線でつなげてくれるのも読書のいいところだと思う。

座右の書

私の座右の書は坂口安吾の『堕落論』だ。この本は、高校二年生の時に初めて読んだ。その時私は、進路に迷っていて、圧倒的に日本の受験に向かない自分の性格と自分の中にある、所謂、優等生であろうとする心の葛藤の中にいた。まわりは日本の受験戦争を戦い、国公立や医学部を目指す中自分はそこで戦っても、そこそこで終わると確信した。さらに、自分がやりたいことがそれなのかもわからなくなっていた。そんな中、母親から、坂口安吾読みなよと言われた。彼の名前は聞いたことこそあるものの読んだことがなかったので本屋に駆け込み『堕落論』を購入した。彼の本は少し難しかったものの内容は自然と入ってきた。彼が言う堕落というのは、マイナスの意味ではなく、我々が抱えるプライドや失敗に対する恐怖心を捨てた状態だと私は理解した。これだけ聞くとなんでその状態が堕落なのかわからない人もいるだろう。しかし、親からの偏差値の高い大学に行けというプレッシャーや周りに勉強しないとバカだといわれ見下されたりすることを経験した人は多いだろう。日本人の多くは王道への強い執着心と失敗への嫌悪感から邪道を歩む人や多くのことにチャレンジして失敗している人に落伍者のレッテルを貼る。でも、彼は、人間は完璧じゃないし、失敗だってする。道をそれることもある。それは私が失敗作であるからではなく、人間だからであると考えている。今存在する、王道の道も我々が堕落しないための現代の武士道(彼は作品内で日本における武士道的精神を批判している)だと彼は言っているように感じた。今まで、人生の中でちゃんとしろや逆張りといわれてきたが、私はやりたい事をやって生きてきたい。もちろんそれは簡単なことではないし、周りからも今まで通り批判されるだろう。しかし、坂口が言うように我々は堕落しきる必要がある。つまりは、いろんなことにチャレンジしたり周りからの批判を乗り越えることができるメンタリティーを持たなければならないということだ。これからの人生においても彼が教えてくれたメンタリティーを持って生きていきたいと思う。


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