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エッセイ323.翻訳の沼(16)アデル"Million years ago"(2)

続きです。
最後まで直訳・意訳と並べて悩んでみます。
どうしても訳せないところも多々あります。



では行きます。

(途中からです)      
I know I'm not the only one
Who regrets the things they've done
直訳  やってしまったことを後悔するのは私だけではないとわかっている
意訳  わかってるわ 私だけじゃない
         みんなやってしまってから悔いるのね

Sometimes I just feel it's only me
Who can't stand the reflection that they see
直訳 ときどき私は自分だけのように感じる
         みんなの目に映る自分に耐えられないのは
意訳   ときどき思うの  みんなの目に映る自分の姿に
          耐えられないのは私だけじゃないかしらかと

I wish I could live a little more
Look up to the sky not just the floor
      (注)ここ、辛い !wish が もうちょっと生きること、にかかるのか、
           a little more が look up 以下にかかるのか大迷いして
          うまく訳せない!)

直訳  もうすこし・・・
         床だけじゃなくて空を見上げられたらと
意訳    もっと違う生き方がしたい
            うなだれているのじゃなくて、空を見上げる生き方を
       ↓
ネイティブ師匠(夫)に聞きました。
「ぼやっとしていてわからない。
lifeは  命・人生の他、生き方って言う意味もあるので、
君(tamadoca) の考えたように、
もうちょっとましなライフを送りたい、
うなだれて床を見てるんじゃなくて、空を見上げているような、
という解釈でもいいかもね」
だ、そうです。

 (次行きます)


I feel like my life is flashing by
And all I can do is watch and cry
意訳  私の人生があっといまに流れていくのを感じる
          私にできるのはそれを見て泣くだけだ
意訳  人生があっという間にすぎていってしまう
         それを見ながら泣くほかはない

I miss the air I miss my friends
I miss my mother I miss it when
Life was a party to be thrown
But that was a million years ago
①人生が一夜のパーティだったあのころ
あの日は去り、友達も母さんも もういない
あれははるか昔のことだから
② 自由に息をして、友達がいて、
母さんがいた あのころ
人生はただのパーティだった
もう 戻れない  あの昔
(いや〜苦しい!)
(他で和訳をしている人も苦労しています)

(というわけで師匠に聞いてみたら、
「そりゃアデルしかわからないでしょ。
でも、君の言うように、そういう生活の雰囲気でも、
自由に胸いっぱい吸い込める空気、でもいいじゃない?」
だそうです)

When I walk around all of the streets
Where I grew up and found my feet
直訳   私は全ての通りを歩き回る
           私が育って独り立ちしたところ
意訳   通りという通りを歩き回る 
          ここで育って独り歩き始めたところだわ
 
They can't look me in the eye
It's like they're scared of me
直訳   彼らは私の目を見られない
           まるで彼らは私を怖がっているようだ
意訳    みんなは私の目を見ようとしないの
           私を怖がっているかのように

I try to think of things to say
Like a joke or a memory
直訳   言うことを探してみる
          ジョークとか思い出話とか
意訳   何か言おうとしてみるの
          ジョークや思い出話や

But they don't recognise me now
In the light of day
直訳     でも、彼らは私のことがわからない
             昼間の光の中なのに
意訳     でもみんな私のことがわからないの
            真昼の光の中で見ているのに

あとは繰り返しです。

翻訳していて思うのは、would, would have, 
could, could have…実際にそれが起こっていなくて、
起こっていたなら・・と言っている・・のかどうかとか、
あと、簡単なのに、そういうフレーズ、イデオムを知らないと簡単に間違ってしまうところ。言葉が簡単なので、悩まずに誤訳してしまう、
というところです。

miles awayを  「何マイルもの向こう」
million years ago を、「何百万年も前」
というふうに訳すのはまずい訳だそうです。
それぞれ、「ずっと遠い」、「はるかな昔」、
のように訳すのが良いとか。
そう言われればそうですね。
この曲のタイトルも、Million years agoと、英語がそうだったとしても、
「何百万年も前」と訳すと、ちょっと奇妙ではありますね。

Life is a prty to be thrown というところがあります。
「体が投げ出されるほどの激しい」パーティ、と訳した人がいました。
実は、throw a party という言い方をします。
パーティをやる、ということだそうです。
それをたまたま知っていたなら、そこは、
直訳なら「開催されるパーティ」、
それをまた、自然な 日本語にするには苦労します。

またそうかと言って、自然な日本語を目指した意訳でも、
「原文で言ってもいないことを」入れ込んでしまうのはNGです。
ところが! ですが、私がしょっちゅうやってしまうのは、まさにこれ。
自分で読み返して、
「あっ、言ってもいないことを入れている!」
と驚くことがよくあります。

だから翻訳って面白く、ずぶずぶと、はまってしまいます。

テレビを見ている夫に一時停止させて、よく質問をしていますが、
夫からは決まって、

きみ、何やってんの?

と言われます。

ほんとですよね。
訳すだけで誰に見せるわけでもないのに。
(あっ、こちらで見せていますね)

では、次の沼まで、今日はこれで失礼します。

では、苦心の訳。誤訳を見つけてください。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・
Million years ago

遠いあのころ

ただ楽しくやりたいだけだったのに
空を飛びたい  大地を駆け回りたいと
心のままに生きてきた
若かったのね

 心の奥で本当は いつもわかっていたはず
 いつまでもこれでいいわけはないと

這い上がるための代償は大きかった
自分をさらけ出すこともした
そうよ 私だけじゃない
みんなやってしまってから悔いるの

ときどき思う
みんなの見ている自分に
耐えられないのは自分だけじゃないかと

もっと違う生き方がしたい
うなだれず 空を見上げて生きるみたいな

人生があっという間にすぎていく
それを見ていていながら 泣くよりほかはないの

①人生が一夜のパーティだったあのころ
あの日は去り、友達も母さんも もういない
あれははるか昔のことだから

② 自由に息をして、友達がいて、
母さんがいた あのころ
人生はただのパーティだった
もう 戻れない  あの昔

以下繰り返し

いや〜楽しい。
耳から聴いているのとまた違います。
そして、訳してから聴くと、またしみじみします。

それではまた・・・

サポートしていただけたら、踊りながら喜びます。どうぞよろしくお願いいたします。