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エッセイその91.私に近い六人の他人(10)徳川慶喜まで五次の隔たり


懲りずに続ける、「六次の隔たり」。
その詳しいことは、こちらをご覧いただくとして。


M物産に勤める生徒Tさんは、大変な幕末マニアでした。
その時代について、詳しいところまでいろいろ質問されて、
よく たじたじとなりました。

そのTさんがある日、こんなことを言いました。

「まもなく私と妻は、徳川慶喜氏の孫娘である、
榊原喜佐子様とお会いする光栄に浴するのですが、
先生は通訳として参加していただくことは可能でしょうか」

これにはびっくり。
ラスト・ショーグンのお孫さんに会えるとは・・。

喜んでお供することにして、
榊原さんの著書、「徳川慶喜家の子ども部屋」を読み、
その日に備えました。



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Tさんと榊原喜佐子様の繋がりですが、

Tさん
⇨Tさんの奥様
⇨Tさんの奥様の学んでいることの先生
⇨その先生のお母様
⇨そのお母様が榊原様とお友達であった

ということで、お会いすることになったそうです。


さてその日、Tさんの奥様が予約した表参道のレストラン、
「ベルーガ」に着きますと、2階の窓際の丸い形をした個室に通されました。

ベルーガというのは、
ベルーガ・キャビアの日本唯一の専門店だそうです。

https://www.beluga1988.com/ランチメニュー-lunch/

キャビア は本当に人生で何回かしか食べたことはないですが、
しょっぱ目の、黒っぽい、トビッコって感じ、などというと、
表参道の罰が当たりますね。


さて、時間に正確に、榊原喜佐子さんがいらっしゃいました。
お一人で、ご自宅からタクシーでいらしたそうです。
上品な、小柄なマダムでいらっしゃいました。

今思えば、許可をいただいて、録音させていただいていたら・・。

自分が、水色にベージュと黒と白の横縞があるサマーニットを着ていたこと、
喜佐子様がとても自由闊達な方で、お話が楽しかったこと、

というような、全体のぼんやりしたことしか覚えていません。
Tさんから次々と質問が出て、私がお伝えし、お答えいただく。
Tさんにとっても、大変なイベントですので、
できる限り正確に通訳しなければなりません。
きっと、とても緊張したことでしょう。

私のニットなんて、本当にどうでもいいのに、そんなことは覚えています。
そのとき一緒に撮った写真、探せばどこかにあるはずなので、
次に引っ越しをすることがあれば、探してみます。

面白かったのは、無血開城を果たし、恭順し、
長い引退生活に入った最後の将軍徳川慶喜は、
さまざまな趣味を極めた方だそうですが、
中でも「投網(とあみ)」が趣味で、ものすごく上手だったそうです。

投網というのは、大変に難しいものと聞いております。

これですね。



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付近の漁民が、「殿さんは上手だなぁ、うちの養子に欲しいなぁ」
と言ったぐらい、お上手であったと、喜佐子さんは話してくださいました。

生徒の中には意外に、幕末マニアの人がいますので、
ときどき、自分の手柄でもないのに、得意げに話すことをやめられない私です。


懐かしい思い出です。


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