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エッセイ499. 「寅に翼」 第44話の焼き鳥

ドラマを見ていて、どうでもいいことに気がついたり、気になったりします。

「寅に翼」9週第44話、寅子が母から、好きなことしていらっしゃいと、お金を貰って外に出ます。
復興途上の東京。
履いているモンペは、若い娘の頃からよく着ていた黄色っぽい着物をリメイクしたもの。
寅子は屋台店の腰掛けに座り、どぶろくと焼き鳥を注文します。

どぶろくと〜・・はい、焼き鳥・・・と、お店の人がお皿を出した途端。

肉と肉の間が空いている・・

と思いました。
ドラマ一緒に観るフレンドに、これを言いました。
「丁寧なドラマ作りの『寅に翼』なのに、うっかりしたのかな。
肉の間を開けたのはなぜだろう。
焼き鳥は生肉をぎっしり串に刺してから火にかけるので、
あれでは途中で竹の部分が焼けてしまって肉が火の中に落ちちゃう」

(私は焼き鳥屋をやっている友達のお母さんに、指を刺さずに生肉を刺すやり方を習いながら仕込みを手伝ったことがあり、隙間がある焼き鳥というのはまだ見たことがありません)

すると友達が、
「あ、それは朝イチで誰々さんも言っていた」
と教えてくれて、そればかりかその部分を録画して送ってくれました。
送ってもらった録画を見てみると、
「あれは焼いてから刺したんです。そうでないと竹串が焼けてしまい・・」
と、似たようなことを言っておられました。
彼との違いは、私が「あれはあのドラマに珍しいポカ?」と即座に思ったのと違い、朝イチのあのかたは、
「焼いてから刺したんですよ」と、温かい視点であったこと。
同じことに気がつくなら、こうありたい・・・

ところで、竹串をリサイクルするお店は多いです。
洗って、ザルなどに刺しているのを、昼間通りかかった焼き鳥屋さん(支障がありそうなのでエリアは書かない)で見かけます。
焼き鳥の、鳥肉のあったところは当然焦げておらず、上端と肉の終わったあたりが黒焦げです。
ちなみに、焼き鳥の竹串には、頑張っても口をつけることは普通はできません。肉を上下の歯で挟み(熱いですから)しごいて食べるのが焼き鳥。
また、竹ぐし再利用の際は、またもや焦げるほどに熱の直近にあって消毒になりますから、私はリサイクルは問題ではないと思っています。
そして、2回ぐらい使えば、先端のとんがった部分も焦げて丸くなるので、生肉が刺せなくなり、再利用の3回目は、ほぼないと私は思っています。
なのでリサイクル、全然🙆です。

ところで、「寅に翼」第一話目の冒頭で、河原に座って新聞を読み、日本国憲法を読んで泣く寅子のシーンがありました。

私も、ドラマ一緒に観るフレンドも、あれを思い出しては、

「あれは、ずっと、男女差別でいろいろな目に遭ってきた主人公が、やっと戦後のより良い世の中になっていく(かもしれない)曙光を新聞記事で感じ、
感涙にむせんでいるんだ、あとで伏線ほどきがあるんだ」
と思っていました。

でも、ことはそんな単純なものではなかった・・
ああ優三さん!

その他、ロケ地鶴舞公園で、座って新聞を読む少女、最初の歌の時に出てきて、第一話目にも出てきたホームレスのような女性。
後の楽しみなのでしょうが、早くどういうことだったか、ほどいてほしいですね。

それと、あのドラマで出てくる「竹もと」を見た途端、
「竹むらじゃない?」
と思いました。
神田淡路町ですね。
若い頃、池波正太郎のエッセイが好きだった生意気な私は、神田淡路町・須田町あたりの、めちゃくちゃ敷居の高いお店に、年上の友人知人に連れて行ってもらったことがあります。神田藪蕎麦・まつや・ぼたん・そして竹むらです。通い詰めるほどの通でもなんでもなく、体験コース1、2回でした。
一人では入りにくいし。

竹むらで食べたのは、友人とそのお母さんが連れて行ってくれた時。
お二人とも甘いものが大好きで、あわぜんざいと揚げ饅頭を頼むというので、私も勧められて二つ頼みました。揚げまんじゅうは好きで、あわぜんざいも、ほろほろした粟餅がぜんざいに沈んでいてとても美味しかったですが、もともといける口の私は、食べ終わった時はその週の砂糖摂取限界量に達していました。
竹むら=甘い
が私の揺るぎない印象です。

そういえば、あの辺りのお店に、連れて行ってくれた人でもう会えない人も何人もいます。
私はもう、松屋の大きなテーブルに他の人たちと相席で座り、板わさや蕎麦味噌で昼から飲んでも違和感のない年齢にとっくになっていますから、また行ってみたいと思っています。


ところで昨夜、千代田線新御茶ノ水駅外でほろ酔いで歩いていました。
そこで、よくドラマに出てくる聖橋(だと思います)の写真を撮ってきました。

ここをあちら側に渡ると湯島の聖堂や、神田明神です。
ドラマでは、この橋を横から見たアングルで、向かって左の橋向こうにニコライ堂と思われる緑のドーム屋根が見えます。
本当のニコライ堂は、聖橋を背にして、坂を下った途中です。
寅子たちが通った大学のモデルになったのが明治大学だとすると、寅子たちが上がり下がりしたのは駿河台の坂。
聖橋・ニコライ堂などをうまくコラージュして、素敵な雰囲気を出しています。

ほんの少し映る景色にも、伏線の人々にも、わくわくしながら毎日楽しく見ています。

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