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エッセイ220.仏事は面白い

ただ自分のために書いておくものです。面白くないと思うので、ごめんなさい。

今日の昼前に、実家の菩提寺である浄土真宗のお寺から戻りまして、
次女がウーバーイーツで見つけた近所のお寿司やさんに、ネットで注文しました。

仏事はやっぱりお寿司。
この頃は、立派なビルの葬祭場で、お香典を出すと、チケットが機械からすー、と出てくることがあります。見ていると、違うスロットから、違う色のチケットが出ます。これは、お包みした額により、内容の違う「当日返し」を、間違いなくお渡しするシステムだそうです。お食事をいただいて、普段会わない人同士が語り合う、ということも、このごろは珍しくなってきたようです。

精進落としを火葬場でしなくなったのは、火葬炉の性能が上がり、40分ほどで終了できるようになって、そこで食べている時間がなくなったからだそうです。
霊柩車の運転手さんが教えてくれました。

私が弔問客ではなく、家族の立場で葬儀全般を経験したのは、
実は今回の母が2度目です。

え〜またお葬式の話?
お葬式大好きなの?

はい、全然嫌いではありません。
好きと言ってもいいです。

前回は、昭和52年の祖母のときでしたから、45年前です。
子供すぎて、全く覚えていません。
今回は、一緒にゴータマ・シッダールタの人生について読む授業も持っていますし、インドの師匠はいろいろ仏教について教えてくれるしで(でも師匠はヒンズー教徒)、この一連の経験も、お返しに話してあげられます。そういうつもりがあるからか、全てをとても楽しめました。楽しむというと不謹慎ですが。

先日、
葬儀当日にお渡しする「お布施」の額を、住職さんから聞き出す、苦しいテクニックがある、とお話ししました。
今回は、互助センターY氏が、「あ、それは◯万円でいいです」と即答してくださったので、ほっとしました。

ほっとして用意した「お布施」の他に発生したのは「塔婆料とうばりょう」でした。

塔婆料というのは、卒塔婆そとば、あの、お墓の後ろに立てるスキー板のようなものです。
一人が1本供養のために捧げますが、住職さんから、
「何人がお塔婆をお上げになりますか?1本3000円です」
と、これも明快にお答えがありました。

今回、七七忌、というそうですが、四十九日の法要は、実は本当の死後四十九日目ではありません。本当の四十九日は、四月の二十日です。現代では、仕事や遠方から来る人に合わせて、前倒しすることは許されているそうです。

人間の魂は、死後七七、四十九日までは地上に止まり、四十九日の法要を経て、仏の世界に本格的に旅立っていくそうです。そのため、互助センターのM氏によると、
「前倒しはいいですが、四十九日を超えるのはだめです」
だそうでした。

母の魂魄こんぱくも、まだ二十日までは止まるつもりでいたところ、バタバタと送り出しをされてしまって、慌ただしかったかもしれません。

例によって互助センターさんが、懇切丁寧に指導してくれました。

四十九日までに、白木製の位牌から、本当の塗りの位牌を作ってもらわなくてはなりません。我が家のは、「猫足」だったかな?いろいろあるデザインのうちの一つを選んで、揃っていたので、今回もそれにしました。裏に俗名・表に戒名ですね。

四十九日の翌日に届くように、カタログギフトの手配もだいぶ前に済みました。
これは「半返し」です。意外な伏兵的な支出でした。

それと前後して、そのカタログに入れる挨拶状も、名前のところなどに間違いのないよう、校正というのを互助センターさんとの間で行いました。

当日の持ち物のリストと一緒に、骨箱を入れて運ぶ、ピッタリサイズの手提げバッグが届きました。あれは結構重いので、普通に持って歩くのは大変なのと、落としたら割れて大変なことになるので、バッグは必須ですね。

本当の位牌ができると、近所のN石材店さんが写メを撮りに来ました。
墓石に刻む名前を間違えると、そこだけではなくて、全面を削って全ての名前をやり直しになるので、ものすごく気をつかうそうです。
お墓の下見に行ってくれたN石材店さんが、
「苔が生えていたりして結構その日のお掃除は無理なので、やっときます」
「香炉台が割れていたので、おつけしておきます」
コロナを言い訳に、2年半墓参もしていませんでした。

昔の樹脂製の花立ても壊れかけていたので、ステンレス製の、ネジ式に台にはめこむものをお願いしました。
当代の若い店主は、お姉さんと一緒に、うちのそろばん塾に来てくれていたそうです。母のことも写真を見て、「まったく覚えているそのままです」と言ってくれました。なんだかご縁ですね。

前泊したのは、当日早い時間に法要が始まるので、事前に買っておくものがあったからです。
本堂の御本尊様への大きな花束。墓前の小さな花束。
お供えの果物とお菓子。

買い物をしながら年金事務所と区役所を回って、ようやく大体の手続きを終えて、ほっとしました。

さて、今日の朝の10時少し前にお寺に着きました。
持ち物は・・
白木の位牌・本当の位牌
本堂の御本尊様用の大きな花束1
墓前用の小さな花束2
母の写真
骨箱
石材店支払い
お布施
塔婆料
お供物(お菓子・苺)

忘れてはいけないと思うので、姉妹で何度も確認しました。

石材店さんがお墓で待っていてくれたので、お花を託して本堂へ。
本堂で、私・次女・夫と姉だけ列席して、法要が行われました。
それから、お寺仕様のお線香2束に火をつけていただいてお墓へ。
春の強風の吹く中、住職さんに墓前でまだ読経をしていただきます。
終わった瞬間、殊の外ことのほか強い風が、横様に吹いた、
と夫と次女があとで声を揃えて言いました。
本当かいな。

そのあと、すでに四柱の遺骨の骨壷が並んでいるお墓に、母の真新しい白い骨壷を入れてもらい、一人一人、中を覗き込みました。日本で親戚との縁のない次女には、こういう体験はこの先も とても少ないでしょう。

花立と香炉を定位置に戻しながら、

「後で、パテのようなもので、雨水が入らないようにします」

と石材店さんの説明がありました。

墓地のエリアの入り口に、初めて見るものがありました。
腰ぐらいの高さから斜めになった御影石に、小さな石が並び、
俗名と生没年だけが刻んであります。
夫婦お二人の名前も、お一人の名前の下が空いているものもあります。
あとから来る配偶者用でしょう。
夫婦だけが入る集合墓、いいと思います。
私は、実家のこのお墓には入らないし、
(お骨をダイヤモンドにしてもらおうと思っています)
子供の時以外はほとんど付き合いのなかった祖父母の家のお墓に、
日本の習慣やお墓を守るというような考えのない娘たちが、
誰にも言われないでお参りすることもないでしょう。
墓じまいも考えたけれど、なんとなく角が立つ気がします。

ご縁のあるお寺で、夫婦でちっちゃくなって集合墓に入るのもいいような気がしてきました。

サポートしていただけたら、踊りながら喜びます。どうぞよろしくお願いいたします。