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エッセイ504.トマソン物件になり損ねた鏡(2)

では続き、トマソン物件になり損ねた鏡についてです。

私は昔、建築探偵に憧れて、本を読んだり、東京中をというと大袈裟ですが、築地の裏通りや、上野や谷根千といった、看板建築の多いエリアを歩くことがありました。

藤森照信さんの著書も読み、歩いていると面白い建物を探すのは今でも習慣になっています。

以下は、美術手帖から無断で引用させていただきます。すみません。

路上観察学会
Rojo-Kansatsu-Gakkai
 赤瀬川原平、藤森照信、南伸坊、林丈二、松田哲夫、杉浦日向子、荒俣宏らにより、筑摩書房『路上観察学入門』の出版を記念した記者発表会に合わせ1986年に結成された。赤瀬川原平らによるトマソン観測センターによる「超芸術トマソン」の探索、南のハリガミ考現学、藤森と堀勇良らの東京建築探偵団、林のマンホール採集など、似たような関心から同時代に都市(路上)のなかのさまざまな事象を採集していた複数の動向が合流することによって生まれた。「学会」を名乗っているが、実際に学会的な活動形態をとっていたわけではない。

引用は以上です。
中でもトマソン物件は、見つけようと思って見つかる物ではなく、いつも憧れていました。

ウィキペディアより:

超芸術トマソン(ちょうげいじゅつトマソン)とは、赤瀬川原平らの提唱による芸術学上の概念。不動産に付属し、まるで展示するかのように美しく保存されている無用の長物。存在がまるで芸術のようでありながら、その役にたたなさ・非実用において芸術よりももっと芸術らしい物を「超芸術」と呼び、その中でも不動産に属するものをトマソンと呼ぶ。その中には、かつては役に立っていたものもあるし、そもそも作った意図が分からないものもある。 超芸術を超芸術だと思って作る者(作家)はなく、ただ鑑賞する者だけが存在する[1]

ある日夫が、気に入りの鏡を、どこにつけようかと言ってきました。
狭い家で、そうそうあちこちに鏡があっても目にうるさそうです。

階段室のどこかは?
と提案したら、お、いいねということで、階段をのぼっていく目の先になる位置に、この鏡が取り付けられました。

そうしてみてすぐに分かったのですが、この鏡の前には階段の白い壁があり、鏡にはそれ以外は何も映りません。
私が階段をせっせと昇って行っても、鏡が結構高いところにあるために、背の低い私は、頭の先も映りません。


これに気づいた私は、
「この鏡、トマソンじゃん!」
と喜びました。

トマソンの語源はこれです。(ウィキペディア)

語源は、プロ野球読売ジャイアンツに2シーズン在籍したゲーリー・トマソン。トマソンは、元大リーガーとして移籍後1年目はそこそこの活躍を見せたものの2年目は全くの不発であるにもかかわらず、四番打者の位置に据えられ続けた。空振りを見せるために四番に据えられ続けているかのようなその姿が、ちょうど「不動産に付着して(あたかも芸術のように)美しく保存された無用の長物」という概念を指し示すのにぴったりだったため、名称として採用された[2]

嬉しいと同時に、なんだか少し鏡に申し訳ない気持ちがしてきました。
この鏡は日本に住み始めた若き日の夫が、NZ帰省の時に気に入って買って、そう〜っと担いできたそうです。
そして、家族が二人から三人、四人まで増え、また三人、二人と減って夫婦二人暮らしに落ち着いた、その過程の全てを、七回の引越しで変わっていく住まいの、どこかの壁に常に掛けられて、我が家の悲喜こもごもを常に映していたのです。

それが、私がここと提案したばかりに、何かを映すのが仕事であるのに、何も映さなくなってしまった。
なんだか、申し訳ないような気持ちになって、気になってきました。

そこで、そういう鏡になってから4、5日後でしたか、夫に言ってみました。

「夫は階段を登っていくと、自分の姿が映る?」
「映りますよ。頭の先が。君はどうなの?」
「背が低いので映りません。
でも、何かを映すつもりで生きてきた鏡なのに、なんだか申し訳ない気がしませんか?」
「そういえばそうですね」
「どうでしょう、真向かいの壁に、絵でも掛けてみたら」

夫は早速、パステル画を鏡の向かいにかけました。

数日間、壁と、階段をあがっていく夫の頭の先だけを映していたこの鏡は、トマソン物件になりそこねたというわけなのでした。

鏡としては、作られてから30年以上、いい仕事をしてきたので、トマソン物件になってもよかったと思っているかもしれませんが、まあそういわず、映し続けてもらいたいです。


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