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エッセイ162. アンデルセン童話について(3)パンを踏んだ娘

これはとても有名なもので、いろいろな方が書いていらっしゃると思います。

例によって、おぼろげな記憶から、あらすじを書いてみますね。

インゲという高慢な少女がいました。
小さい時から、気に入らないことがあれば、お母さんを悲しませるような冷酷な振る舞いをする子でした。
可愛いので街のお金持ちに雇われ、汚れ仕事ではなく、メイドとしてちやほやされて楽しく過ごしていました。
里帰りする日が来ますと、ご主人から綺麗な靴や服を与えられ、帰ったらお母さんにおあげと、ふかふかの柔らかいパンを持たされるほどでした。インゲがそうやって家に帰る道、偶然年を取ったみすぼらしいなりのお母さんに行き合ったのですが、あんな汚いおばあさんがお母さんだなんて、と、くるりをきびすを返し、戻って行ってしまいます。
途中、大きな水溜りがあり、新しい靴を濡らしたくなかったインゲは、もらったパンを投げ入れ、それを踏みつけて渡ろうとしました。それが神様の怒りに触れたのか、彼女は沼の中に引き込まれてしまいます。
何年、何十年経ったのでしょうか。インゲはパンに足がくっついたまま、水の中に立ち尽くしています。彼女の耳には人々の話すのが聞こえます。母の嘆いている言葉も。子供たちには大人が、インゲの話をして、「こんなに高慢で冷たく、神様の与えてくださったパンを踏んづけたのだから、当然の報いだね」というようなことを言っています。インゲはそれでも、「私が悪かったなら、教えてくれればよかったじゃないの」と、頑なな心を解こうとしません。その日も小さな女の子が「パンを踏んだ悪い娘」の話を聞かされました。この子は他の子と違い、わっと泣き出しました.大人たちは、「大丈夫、ただのお話だよ。親や神様にそむいて悪いことをした子だけが、こんな目に遭うんだよ」となだめようとすると、女の子は言います。「そうじゃないの、インゲはいつまで水の中にいなくちゃいけないの?  インゲがかわいそうなの」と泣くのでした。それを聞いてインゲの頑なな心も氷をとかし、彼女は灰色の鳥になって飛び立ちました。それからインゲは、おなかの空いた鳥には自分が食べずに、見つけたパンくずを与えました。そのパンくずが、彼女の踏んだパンとちょうど同じだけになっとき、灰色の鳥は白い鳥になって、天に向かって飛んで行きました。


ひ〜ん😱

細かいところはすっかり忘れていますので、大筋だけを描こうとしたら、つい力が入って、半創作みたいになっています。しかも、書きながら、女の子のところで涙が溢れてきてしまいました。

アンデルセンすごい!
 神様ちょっと厳しい!

お話の初めの方では、インゲがお母さんに逆らい、親に対してなんじゃそれはと言いたくなるような言動が描写されていて、これはただでは済まないな〜と、読む人は誰でも思うと思うのですが、それにしてもこの神罰、きっつ〜・・。

「赤い靴」も、やっぱり同じ考えで書かれたようで、死ぬまで踊り続けるって、いくらなんでも・・・と、幼心に震え上がりました。(その話はまたあとで)

私はこれを読んだあと、萩尾望都さんで「パンを踏んだ娘」を漫画化した「白い鳥になった少女」に出会って、イメージがもっと膨らみました。
水中に石像のように凍りつくインゲ。ドレスや髪が垂直に上がっています。
インゲが羽をむしっていたぶったハエが、飛べないそのままに、インゲの顔を這い回りますが、インゲは目しか動かせません。
強烈でした。なんならトラウマになっているかもです。





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コミックで良かったのは、アンデルセン得意のお説教調、特にお話が終わってから長々ありがちな説明を省いて、インゲにただ一言、

神様!

と言わせているところ。さすが萩尾望都様。

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このお話を思い出すと、リボンで結ぶ、つばの大きな帽子を被り、腕にはパンが入って布を被せたバスケットをかけ、ふわふわのボリューミーなドレスを両手でたくし上げて、まさに片足でパンを踏む瞬間の、萩尾望都による一コマをありありと思い出すのでした。なんなら、自分で描けそうなほどにはっきりと、まなかいに浮かびます。

アンデルセンの童話は、キリスト教の教えに深く根ざしているものが多いと聞いたことがあります。ときに、説教臭くなるのも、そんなところにも理由があるのでしょうか。

またアンデルセン童話について書いてみたいと思っています。



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