見出し画像

エッセイその13.名古屋弁話者を③

1回、2回と書いてきて、急にこのタイトルは傲慢ではないか、と思い始めました。
なぜならこれだと、ある程度喋れる人が、もっとペラペラになりたいと言っているかのような口ぶりではありませんか。
私は娘たちに、「おかんの名古屋弁、きもいからやめやぁ」と言われるぐらいなのに、せっかく名古屋に住んでいるのだから、少しは話したいなぁと思ってきたのです。野心満々だったのです。
でも伸び悩んで幾星霜。
タイトルを変えた方がいいかしら。

ま、勘弁してちょうよということにしまして・・

私にとって、名古屋弁の言葉や、イントネーションに触れるのは、テレビや小説でしか知るのみの、なんとなく喋ってみたかった言葉を、目の前の人が喋っているという、わくわくする時間でした。

また、地図を見ながら(途中からGoogleMap)うろうろ移動し、しょっちゅう地下鉄を乗り間違えていたあの頃。名城線に乗っていると、金山あたりでわけがわからなくなり、よく 名古屋港の方まで行っていたり、広大な地下街で迷いまくっていたのが、街のどこに何があるのかを、だんだんわかっていくその自分の成長にも重なります。

戸惑うばかりの毎日に、じわじわと 慣れによる安定感ができてくるプロセスと、名古屋弁に慣れていくそれとが重なる・・今思い出すと甘酸っぱいです。

最初の頃は、自宅の周囲に高い建物がなくて、夕方の散歩で見上げる空が広いことさえ、ホームシックの種でしたが、10年というのはすごいもの。
今は何を見ても「私がついにこの地を去るときは、ここを懐かしく思うのだろう。戻ってきたいと思うのだろう」なんて感じているのです。

何冊も名古屋弁の本を読み、SNSの中の「名古屋弁倶楽部」的な場所で生の名古屋弁に触れて自習を続けている私ですが、いかんせん、実戦を積めていないので、喋れるところまでなかなか行きません。

今 まあまあつっかえずに言えるのは、
「じゃんねぇ」「だもんで」「〜しょお」「だがね」「だでね」「〜なかん」「てみえる」ぐらいかなぁ。

机つる、とか、放課(漢字は正しいかな?)とか、行ってみたいけど学生じゃないし。ざら板とか。

燃ゆる思いを、海外に住む名古屋出身の友達に、メッセージでぶつけてみたところ、

tamadocaさんすごい。名古屋の人としか思えん。
tamadocaさん、こういうふうに書くと別人格になっとる。名古屋人人格だがねー。

などと言ってもらったことがありました。(ちょっといい気になりました)

「じゃんねぇ」について少し。

私は、「災害時はここにいてはいけない」のハザードマップで有名になった江戸川区出身です。そして、「じゃん」と「じゃんねぇ」は、自分の言葉として、普通に愛用してきました。

でも、私の知っている「じゃんねぇ」は、何か驚いたり呆れたりしたことに続けて、「それはこうであるべきではないですか」です。〜じゃないですかねぇ、が、崩れて「じゃんねえ」になったもので、否定のニュアンスがありました。

江戸川区民の「じゃんねぇ」の例:
A子:聞いた? C子の今度の彼も だめんずなんだって。
B子:なにそれ、そんなんじゃ、だめじゃんねぇ。
         あれほどだめんずには懲りたっていっていたのに。
A子:ほんと、だめじゃんねぇ。

妻:おばあちゃんのホーム、まだ面会禁止なのよ。
夫:そうなのか。どうしても会いたい人はどうするんだ。
妻:そうなのよ、そこを考えてくれなきゃ困るじゃんねぇ。

ところが、名古屋の人の「じゃんねぇ」は、「ですよね」とシンプルに伝える時にも多用されます。(と思います)
ですから、最初のころは唐突に「なになにじゃんねぇ」と言われて、「え〜と、な、なんでしょう、私何かしてしまいましたか?」的な気持ちになることがよくありました。な

どうも、自分の使い慣れたあの「じゃんねぇ」と、この地の「じゃんねぇ」は違うらしいと思っていたある日。娘の中学の同級生のお母さんと立ち話をしました。話していたら彼女が言いました。

ママ友:そうそう、明日、体育祭じゃんねぇ。
私:(う・・・・)

フリーズしたのは、「明日体育祭である」という事実の中には、特段に、そうじゃありませんか、ねぇ? と言わなくてはならない、ことがなかったからです。
その人が、千葉県柏市の出身であるのを知っていた私は、思い切って訊いてみました。
今あなたが言った「体育祭じゃんねぇ」は、「なんと体育祭なんですが、どうよこれ」みたいな意味はないよね?と。

彼女は笑い出し、「あ、そうか、やっぱりそう思った? 私は今は普通になっちゃったからなんとも思わないけど、やっぱり、じゃんねぇと言われると、最初は身構えたわよ!」と言いました。

今では私もすっかり慣れて、連発しています。たまに帰省すると、静岡あたりで切り替えないと、いろいろ飛び出します。

以下は、東京の友達との妄想の会話です。

友達:お〜、tamadoca 久しぶり。元気だった?
私:やっとかめだなも〜。
友達:なにそれ。
私:いやいや、言ってみたかっただけ。久しぶりっていう意味だよ。
友達:そうなんだ。あなたもう、名古屋弁ペラペラ?
私:いや〜、そうなると期待してたけど、だめでかんわ。
友達:いまなんつった?
私:わはは、無理して言ってみたがね〜。ぎこちなかったがや、我ながら。
「なんとかでかんわ」っていうのは、大阪弁の「あかん」と似てるけど、名古屋弁は「あ」が抜けるみたい。
行かな・あかんじゃなくて、行かなかん。
食べな・あかんじゃなくて、食べなかんとか・・・
友達:それは使いやすそうだね。
私:でもね、「そんなことではいけないとか」「それをしなければいけない」
の他に、意味のわからない「なかん」もあるんだわね〜。
友達:ほうほう。
私:でらおもしろいでかんわ、みたいな。
友達:直訳すると?
私:できないんだわね〜これが。
友達:深いねぇ。tamadoca、言葉好きだからたちまち流暢になると思ってたけど。
私:いや、名古屋弁は、発音がでら難しいでかんわ。
友達:ああ、タモリが昔言ってた、なんでもみゃぁみゃぁってやつ?
私:いや、そんな単純なものではないんだわね。
発音記号でも、ひらがなでも、書き表せない発音がいくらでもあってかんわ。
友達:例えば?
私:おじいさんとかだと、ぃやぁす、って言うと思う。
友達:ぃあやぁ、はぁ?
私:アイスのことね。
友達:うそだろ!  じゃあ、ヒアリングがよくなったんだね?
私:いやそれが、こっちの人に発音を聞いてもらうと、全然違うとよく言われます。
友達:下手くそなんだ?
私:そうそう、あと、そんな言い方はお年寄りしかしないと言われる。
友達:なんでそういうのから先にマスターした?
私:最初の半年、仕事も友達も0のとき、関節炎で町の整体に通ってたんだわね。そこは、リハビリセンター併設で、いっつ行っても6人ぐらいのおじいさんおばあさんがずらっと横になってみえてるの。先生がその間を飛び回って治療してみえて、みんな横になったまま、ずーっと喋ってみえるのよ。私はそれを天の恵みと思って耳をすましていたので、最初に入ってきたのが、少し古い名古屋弁だったらしいんだわね〜。
友達:tamadocaさあ、その、だわね〜って、えらく乱用してない?
私:できることが少ないので、そこにしがみついてしまうんだわね。
友達:あるあるだわね。
私:あと、喋り終わりを、しゃくるというか、「しょお!」って言ってるでしょお、私。
友達:おお、確かに〜。
私:こればっかりは、意識しないですぐマスターしたんだわね。
友達:ほほう、他には。
私:他ね。そうだ、最初の頃、みんなが面白がって、「三河弁は『じゃんだらりん』だが、知っとるか」ってよく言ってきたわね。それで私は  三河弁喋る人は、語尾にいつも、じゃんだらりんをつけると思い込んどったんだわね。
友達:え、どういうこと?
私:だから「昨日ディスニーランドにいってきたんじゃんだらりん」というふうに喋るものかと思っていたんだわ。
友達:え、あほか!そんなわけないでしょうが!
私:しょうがないよ、そう思っちゃったんだもん。
友達:tamadocaは昔から、思い込み激しいからなぁ。
私:あと、あんたぁ、どこの人? 田舎の人?って結構訊かれた。
友達:どういうこと?
私:多分なんだけど、名古屋市じゃない人は、田舎の人らしい。これはでも、未確認だなぁ。
友達:なんかあなた、ペラペラには程遠い感じだね。
私:そうなのよ〜。
友達:こんなに長く住んでるのに、残念だよね。
私:そうそう、残念でかんわ。って言うのは正しいかな?
あ、あとね、イケメンのジャニーズ系の子に、「そんなんあれせんぞ」とか言われたら、メロメロになってしまうと思う私は。
友達:言われないから心配すんな!


今日の写真は、この9月にオープンした久屋大通パークと名古屋テレビ塔。
コロナのおかげで、一回しか行けてないけれども、とっても素敵です。街中であんなにのびのびできるのはありがたいです。名古屋にお越しの際は是非足を伸ばしていただけると嬉しいな。


あともう一回だけ、ご紹介したいことがあるので続けるかもです。


サポートしていただけたら、踊りながら喜びます。どうぞよろしくお願いいたします。