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エッセイ510.郡上おどり(2)

(1)は、子供が商品をもらったおかげで、初めて郡上市八幡に行くことができました、という話でした。

上の写真は、2日目の「郡上踊りin青山」の様子です。
終盤にさしかかり、掛け声、お囃子の返しに下駄の音が揃い、素晴らしかったです。

で、その初体験ですが・・いや〜・・聖地郡上。
初めて行ってみたら、さすがに本場は違っていましたね。
青山と違って、おどりの始まるのが8pmからですから、当たり前ですが、まず、あたりは暗い。
その暗い中に、屋台やお店の灯が懐かしく見えている。
屋台も素晴らしいし、大提灯や切子燈籠が高いところで風に揺れています。
屋台の上のみなさんも、一晩でも長いのに、一夏も・・。
すごすぎます。
最初の年に、ずっぷりとはまりました。

7月半ばの発祥祭の日から、あしかけ3ヶ月、おどり納めは9月第1週の週末ですが、その間、おどり会場を変えながら、32〜33夜踊ります。
最後の日には、笹に提灯をつけたものを手に手に、一夏お世話になった屋台を、「かわさき」を踊りながら見送ります。

期間中は、個人踊り・団体踊りコンクールや、変装踊りなど、楽しい催しもたくさんあり、細道をなが〜くなって踊る日ありの、、お城の足元、駐車場でと、・・それぞれに雰囲気が変わって面白いです。

もちろん、屋台もたくさん出ますし、ビストロからクラフトビールのお店、居酒屋、数多くありますから、こんなに楽しいものはありません。
お土産も素敵なものが揃っています。
おすすめは、食品サンプルですね。
他では見られないですよ。

昼間も、暑いですけれど、川沿いを歩いたり、いろいろな小さな美術館などもあるし、食品サンプルの里でもありますので、体験工房もあり、とても10回や20回では楽しみきれません。本当に素晴らしいです。

なんか、頼まれもしないのに大張り切りでいろんなことを書いてしまいましたが、最初に青山で洗礼を受けてたちまち好きになり、そしてそうだなぁ、それからの7、8年は、郡上に行くのを切望しながら、年に二度、青山で行われる 「郡上おどり in 青山」をひたすら楽しみにしていたのです。

それが、2011年の震災の直後に、単身赴任をしていた夫を追いかけるようにして、名古屋市に引っ越しました。引っ越したら、家から1分のところに高速道路の入り口がありまして、そこから入ると、郡上までは1時間半ぐらいで行けるのがわかりました。
なんちゅうことでしょうか。

そうなると、平日でも行っちゃいます。
中学生になっていた娘たちと一緒に、また、家に置いて、よく行きました。

サンドイッチと浴衣を用意して、夫が7時ごろ、知多半島から帰ってきますと、すぐに車に飛び乗って出かけることもよくありました。
暗い高速道路から見ていると、あちこちに、ぽつんぽつんと、遠い花火が見えることもありました。

私たちは安養寺さんというお寺の駐車場に500円を払って駐車し、本堂の脇の更衣室で浴衣を来て、下駄に履き替えて会場に向かうのでした。

おどり会場に向かう道々、風の吹き方で、太鼓三味線笛のお囃子と歌が急に大きく聞こえてきたりします。

私があまりにも踊りが下手なので、見かねて教えてくれる師匠もできました。
なんと、いまだに指導が飛びます。
師匠、ありがとう。
ちゃんと理論から教えてくださるので、頭ではわかったつもりになっていますが、やっぱりギクシャクとしていると思います。
私は運動音痴なので、自分ではちゃんとしているつもりですが、まだまだですね。


また、おどりの季節以外に、教えてくれる集まりを主催する方がいまして、縁があり、転勤早々、早速習いに行きました。
私は何年経ってもおどりはまだまだですが、一度集中して一生懸命習っておいてよかったです。

この手は、月を見上げるように。
直線的に。
変なシナを作らない。
これは御殿女中が袂をからげて手毬をついているということで・・
などなど、教えていただいたことは記憶によく残っています。
楽しかったなぁ・・

おどり免許というのがあって、最初の2、3年は欲しくてしかたがなかったです。
いただけるようになると、ぽつんぽつん保存会の方からお声がかかりますので、長い間には7曲のうち6曲まではもらえました。
夫も頑張って、4枚。

最後の一枚は、1シーズンに2回しか出ない曲だそうなので、東京に帰ってきてしまったあとは、それに当たるようにうまく行くことは不可能ですから、多分一生もらえないと思います。

友人知人には、ものすごいマニアの方がいて、皆勤賞をもらったりしているので、コンプリートを成し遂げた人も何人も知っています。
私はいつまでも、最後の一枚に憧れ続けると思います。

踊りが終わると、車のトランクを開けてどんどん帯を解いて鞄に放り込んでいきます。それから、車に乗り込んでゴソゴソしながら普段着に着替えます。郡上の町を出てすぐ、コンビニに寄って食料と飲み物を買って、飲み食いしながら家路につきました。
おなかすくんですよね。

令和の時代が始まる日に催しもありまして、その晩は踊りながら、平成から令和に、下駄を履いた足を踏み込みました。
良い思い出です。

そのあと、新型コロナの時代がやってきました。
2020〜2021年はおどりは中止、 2022年は少ない日程で再開されましたが、行くことができず、その年の10月には転勤で名古屋を離れてしまいました。
東京に戻るよ、と聞いた瞬間、それは嬉しいが、
「え〜、今までみたいに郡上に行けないじゃん」
と、それが第一に頭に浮かびました。

最後の3年、行けなかったは残念すぎますが、これはでも、仕方ないですね。

連れて歩いていた娘たちも、高校や大学の友達と一緒に郡上で現地集合し、昼間に飛騨牛や郡上の美味しい鰻、鮎なんかをご馳走した年もありました。

当たり前のように安養寺さんに車を乗り入れ、下駄に履き替えて手拭いを肩にかけ、さ、行くか!
・・というのができたのが、もう夢のようです。
その一晩ずつが、「そんな参加ができる、最後から何回目かのチャンス」であったのに、いつまでもそれが続くように思っていたのです。
そんな年が何年も持てて、本当に幸せだったと思います。

何も知らない私をいろいろなことに巻き込んでくれた名古屋、清洲や関市や三重県の、みなさん、お元気ですか。
いろいろ誘ってくださって本当にありがとうございました。
浴衣を何着もお願いしたMりんちゃんもありがとう!

転勤の辞令が降りて1ヶ月という慌ただしい引っ越しで、ろくにご挨拶もせずに失礼したままです。

今年も青山に始まって、夏にはたった2泊ですが、郡上にお邪魔します。
踊りの輪の中でみなさんにお会いできるのを楽しみにしています。

そうそう、今検索したら、2024年度からお免状をいただける曲が、全10曲になったのだそうです。
行けた日にその曲とは限らないし、かかったとて、もらえるわけではありません。
先がまた、長いですね。
でも楽しみは先が良いかも。

一曲だけでも、いただけるのを夢見て精進します。




サポートしていただけたら、踊りながら喜びます。どうぞよろしくお願いいたします。