エッセイ548. 名古屋が来て、帰った話
2011年の震災から数週間後の4月6日に名古屋に引っ越しました。
翌日、荷解きもしないうちに、次女の中学の入学式でした。
翌々日からは、家族全員が朝の8時にはいなくなります。
ぽか〜ん・・・としました。
東京から連れて行った藍ちゃん、徳ちゃん(セキセイインコカップル)は、
鳥なだけに普段からぽか〜んとしていますが、環境の変化には全く気付いていないようでした。
6月には近所の天白川が氾濫するんじゃないかというような台風が来ました。
学校からの一斉メールで親が迎えに来るように、というのが来ましたので、とことこと登っていく山道(昔、山だった)は、なんかもう、地面が滝のようで、流されそうでした。
さすが名古屋、車が次々と校門を目指して行きます。
運転するか私も。ペーパードライバー返上で、と思いました。
強風に煽られる傘をおちょこにしながら進んで行ったら、
おかん何やってんの?
という声がして、見上げればその先の上の方に、長女。
「なにやってんのおかん、徒歩の親は迎えにこないんだよ」
あっそうなのかい。
いや知らんからそんなの。
「お前は徒歩で帰ってもいいのかい?」
「いくなったんだよ」
あそ。
でもせっかく来たので、次女のクラスへ引き取りに行こうと思ったら、
次女は部活があるので帰らんと言う。
たくもう、な骨折り損で、下着までびっしょりです。
家に帰ってきたら、やっぱり部活はなくなったと言って、次女もすぐ帰ってきました。
なんかもう、私はずぶ濡れなので、ちょっと、天白川の水位を見に行こうと思って、長靴を履いていましたら、娘らが、
あっ、おかん何やってんの?
天白川を見に行こうとしとるでしょお。
先生が、危ないんだから天白川なんか見に行ったりせんで、
うちにいやーと言っとった。
と言うので、仕方なくそれは諦めました。
長く住んだ名古屋が、ときどき懐かしくなります。
当時、娘らの親離れに伴う大変な反抗期がかわるがわるに来て、
ドッタンバッタン大騒ぎでした。
一人が収まったかと思うと、もう一人が拗らせて、それが収まったかと思うと、待っていたかのようにもう一人が立ちあがる。
まるで、広大な土地で、もぐらが二匹しかいないモグラ叩きをやらされているような年月が、だいぶ長く続きました。
長女は名古屋の大学を卒業→就職で京都→就職でシドニー
次女はは名古屋の大学を卒業→就職で東京→今も東京
娘らの引っ越しの手配手伝いで駆けずり回った挙句、次女が引っ越したのと同じ年に、自分たち夫婦も転勤で東京に戻りました。
偶然ですが、次女のボロアパートから車で20分ぐらいのところに今住んでいます。
ときどき夢の切れっ端に、山の上の自宅から麓の町に飲みに出た時にいつも見ていた街の灯が出てきます。
11年半て、すごく長くはないけれど、短くもない、
ちょうど良い塩梅の時間ですね。
たまに目をつぶって、全部思い出せるかシミュレーションします。
まず、玄関を出てすぐ右に行って、小学校の脇を通って、その学童の前を通って、まっすぐ行くとピスタチオグリーンのアパートがあって、この坂でショコラくん1号(電チャリです)ごと転んで脚の骨を折ったなぁ。
畑塾がなくなってからも、よく散歩がてらに歩いていったっけ。
その名古屋がこの前、遊びに来てくれました。
次女の高校1年生からの友達で、ずっと東京で自活している子が遊びに来たのです。
入ってくるなり、
「おお、ここんちの赤いソファーだ、懐かしい」
と言います。
この子を含めた姉妹の友達が、そういえば毎年我が家で年越しをしたのでした。布団はなかったけれど、このソファーで寝たり、全然寝ないで、手にペンラ持って振り回しながらテレビを見ていたりしました。
大晦日以外も、しょっちゅう泊まっていきました。
Uちゃん、一緒に郡上に行ったっけ?
と聞いてみると、
はい、行きました。めっちゃ楽しくて美味しかった。
そうそう、飛騨牛とか鰻とか大盤振る舞いしちゃった。
宿の部屋で何人にも浴衣を着せて髪も結ったのは、私の大好きなリカちゃんごっこやっているみたいですごく楽しかった。
熱田神宮の花火の日なんか、一時は6人に一度に浴衣を着せたり、一人着物が好きな子がいたので、初詣も次女は着物で出かけていた。
和装小物がない子が、着物や浴衣だけ持ってきたので、近所のセルフサービスの着物やさんに買いに走ったため、今でも腰紐とか、メッシュの安い帯板とか、私のタンスにあります。
もう、娘の友達がうちに来るとか、浴衣着せてくれと言ってくるなどはないでしょうから、これは処分してもいいのかもしれません。
自分ももう浴衣以外に着なくなっているのに、いつか娘らが、
おかん、着せて、って言いに来るようにどこかで思っている。
Uちゃんは、昼食べて夕食食べて、うちにあった冷食持って帰っていきました。
夫が途中で合気道から帰ってきて、数時間の間我が家の名古屋人密度は一気にあがっていたのでした。(偽名古屋人混じってましたけど)
名古屋、また来てね。
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