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表現の自由について考えた

どうも大妖精です。

チラチラと「表現の不自由展」についての記事を見かける。
私は良くわかっていないのでサイトへ見に行ってみた。
書いてあることはわかる。
慰安婦像の写真展からスタートしたこと。それの際に嫌がらせを受けて会場が中止にしたこと。それについて訴訟してること。

誰かにとって不都合な事柄があってそれを展示することを妨害されているということかしらね。

とりあえずざっくりな解説だけど気になる人はサイトへ行ってみるのがよいですね。

さて私が思ったのは慰安婦像の写真をどう展示してるんだろうなって思ったの。
慰安婦に関しては慰安婦という人たちが居た。問題はそれが強制だったのか任意だったのかということなのかしらね。
そこで意見が対立してるという背景がある中で作られたのが慰安婦像であるという認識です。

それをどういう形で展示しているんだろうな。
像自体に罪はないという考えですので像を展示することなどには抵抗はないのですがその場合、今、それぞれどういう意見が出てて対立しているということを説明出来ているのかどうかをちゃんと伝えてるのかしら?って思う。

一方の言い分だけで強制的に慰安婦が存在したとするならばフェアじゃないなって思う。そして慰安婦像はそういう強制連行に対しての象徴であると思うのです。

知らない人は慰安婦像を見て、強制連行されたと思うのでしょう。
それはちょっと嫌だな。
世の中での歴史誤認という問題がある。その中でこういうものがある。それを展示するのはいい。一方の主張だけを取り上げるのは嫌だな。
それは誰かへの悪口を一方的に触れ回っているような感じに似てるんじゃないかしら?

アートの中には作者の考えを伝える類のものがある。
慰安婦像を作った人は慰安婦が強制的に連れて行かれたと信じて作ったんだろうかね。それはそういう主旨で作った作品だもんね。
作品に罪はない。
で、その作品に対して日本はそれは違うから撤去してくれと言ってるんだよね。それがいろんな国で作られたりしてると。

もうこれはアートなのかしらね。
違う意図が入ってきてるように思うのです。
見て欲しいのは作品ではなく、作品の背景なので宣伝媒体に近いと思うのよ。
それを写真にして展示会を開くというのはどういう意味を持ってやったのかしらね。でも写真にも罪はない。

結局、一番初めにやり始めた展示会で見せたかったものからドンドン主旨が変わってきているのではないだろうか?
公共の会館を会場にして会場の反応を見てわざわざ騒がれるのを待っているようにも見えるんだけど…
サイトも騒がれたことの情報が多くて実際にどんな作品があるのかが良くわからない。
だから結局良くわからない。

不自由な表現なのではなくて不都合な表現、不公平な表現なんじゃないんですかね。

最後までお読みいただきありがとうございました。
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