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〜Dave物語❸〜

How have you been?

Dave物語第3弾は、高校卒業後から現在までを書かせてください。人生何が起こるかわかりませんよね笑

サッカーの明け暮れた高校生活でしたが、卒業後の進路を決めなければいけませんでした。進路決定したのは学校で一番最後だったかもしれないです…先生方からは大学進学を勧められていましたし、怪我に苦しんだ最後の一年を見ていた両親は大学サッカーへのチャレンジも後押ししてくれました。大学サッカーにはものすごく興味があったが、大学で学びたいと思うものが当時見つからなくて、サッカーをするために高い学費を払って大学に行くというところに引っかかり大学進学の選択肢は消えました。

どうしてもサッカーへの道はあきらめきれず、当時九州リーグで戦っていたクラブのトライアウトを受け合格することができたのでそのチームでサッカーを続けることに決めました。そしてものすごく時間はかかりましたが小さい頃の夢であった消防士を目指し、公務員専門学校に行くことを決め面接等し入学を決めました。今思えば、中途半端なことしているなという思いもありますが、当時の僕はには最高の選択でした。しかし、様々な理由でリーグ開幕前にチームを離れることになり一気に生活が変わりました。その後地元の社会人クラブへ移りサッカーは続けたが練習量や試合数は激減した。

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学校に入学後9月にある公務員試験に向け勉強するもののイマイチ気持ちが入っていなかった。周りは、試験に向け毎日何時間も勉強し学校が終わってからも図書館に行ったりする姿を見て、自分の情けなさを感じることも少なくなかった。その頃居酒屋でのバイトと農家でのバイト、自分の出身中学のサッカー部外部コーチも始め、周りからは笑われた。笑われて当然だった。公務員試験に向けて学校に通いながら勉強する人たちは、何年もかけてその試験に向けたくさんのことを我慢し勉強に時間を費やすが、僕は全く真逆のことをしていた。

ここの居酒屋でのバイトでの経験や出会いは自分の人生を大きく変えたので、詳しくは次回。あっという間に、月日は流れ気がつけば9月に。東京消防庁、横浜市消防、地元の南九州消防署の3つを受けた。9月はバイトも休み勉強に取り組んだが正直周りとの圧倒的勉強量の違いを感じ、なんで勉強しなかった?と後悔した。

そこには、僕の心の揺れが少なからず影響していたと思う。自分の責任ではあるが、1つのクラブを離れ地元の社会人クラブに入ったことで思い描いてた生活とのギャップに物足りなさを感じていた。そして高校卒業後居酒屋でバイトを始め、今まで知らない世界を知り『自分のやりたいこと』を考える機会がたまにあったこと。

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試験から一ヶ月後結果は、第1希望の地元の消防署の第1時試験を合格することができ素直に喜んだ。それと同時に、第2時試験の面接と体力試験への参加資格をいただいた。体力面や面接は苦手ではなかった自分は練習を繰り返し自信を持って臨んだ。2次試験のメンバーはみんな知り合いで中学の先輩や姉の元カレも😂。そんな中、何も恐れることがなかった僕は、全てを出し尽くし1500M走などアピールもできた。

合格発表当日ちょうど仕事が休みだった姉が家にいて一緒に結果を待った。結果は不合格。自信があった分悔しくてそのままベットに走ってないた。とにかく心の中で両親に謝った。それを気を使いながらも必死に励まそうとする姉の姿は今でも忘れない。「お前の努力は足りないのよ!」って笑いながら言ってくれたがその通りだった。

クラスメイトは国家公務員の一般や裁判所職員、警察官や県庁を受け合否を受け取っていた。内定できなかった人たちは、また来年に向けて勉強が再開された。僕も学校に通いながら居酒屋でのバイトとサッカーの指導を続けた。その中で自分の気持ちに少しずつ変化が生まれていた。上にも書いてあるが、高校卒業後に思い描いていたサッカーの生活が変わったことからくるモヤモヤ感が消えていなかった。そのモヤモヤを見つけるために自分と向き合い人に話す機会が多くなり見つけたのはサッカーだった。そこから昔両親に言われた県外で世間を知るという言葉や高校の恩師に進路選択時に言われたお前には九州から出て世界観を広げてほしいという言葉が頭に残っておりどうせ県外出るなら海外に行っても同じかな。と実家を離れたことがなかった自分は考えた。しかし、小さな田舎町から海外に行くなんて周りの人で聞いたこともなく自分でも夢物語のような感じだったが、調べているうちに行きたいという思いが強くなり始めていた。

若干19歳にして今後の人生に大きな迷いが出ていた僕は、3月試験に合格し内定をもらった人と一緒に1年課程修了という形で卒業することに決めた。本気で消防士になりたいと思うなら独学でなることもできると思ったからだ。

そしてある日、普段全くと言っていいほど本を読まなかった自分が電車の待ち時間潰しに寄った本屋で一冊の本に出会う。

本田健さんの『10代にしておきたい17のこと』

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ここには海外についても書かれており迷っている僕を後押ししてくれた。そして僕が行ってみたいという相談を周りにすると若い今しかできないよ!と後押しをしてくれた。しかし中学に頃英語の先生に「俺は将来海外に行くことなんてないので英語は勉強しません」と生意気に言っていたぐらいなので、海外に対しての知識は全くゼロだったため、ネットで調べ連絡をとっての繰り返しで現在もサポートを頂いているエージェントさんに出会った。

何回も相談に乗ってくれ、初海外という怖さや不安を和らげてくれた。時間とともに自分の心の中では海外に行くという気持ちが固まっていった。そしてこのタイミングで初めて両親にしっかりと自分の口から伝えることになる。順番としてはおかしな話だが、学費を払ってもらい専門学校に行かせてもらったのに申し訳ない気持ちもありなかなか打ち明けられなかった。家族会議が開かれ自分の気持ちを家族に伝え両親の意見も聞いた。両親の言葉や涙は僕の心に突き刺さったが、自分の中で固まっていた意思は変わることはなかった。

僕の将来を思い反対する反面、親父には“お前と同じぐらいの時そんなやりたいことや夢を持っていなかったからお前が羨ましいし尊敬する”母ちゃんには“親の反対によって我が子が後悔する姿は見たくない”とも言ってくれた。

自慢の両親です。

そこから話はトントン拍子で進み、20歳になった翌月の8月25日に決まり準備に追われた。

今回はこの辺までにしておきます。高校卒業からの1年半で気持ちに変化によって考えたことのなかったような人生を歩むこととなったYusuke Dave Tanaka.次回は実際にオーストラリアに渡ってからについて書かせておいただきます。シリーズ4へと繋がる『Dave物語』是非読んでみてください。

Thank you and see you later👋

Yusuke DaveTanaka

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