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もはや学生ビッグバンドだけに留まらない!?聞いてて読んでて耳が痛くなるつぶやきを連発!!Twitterアカウント「学生ビッグバンドの毒舌な後輩bot」より今こそ見ておきたい呟きを厳選6選!!

 はい、ビッグバンドファンです。今日はちょっと変わったTwitterアカウント「学生ビッグバンドの毒舌な後輩bot」、最近呟かなくなってしまい少々寂しいのですが、過去のつぶやきからこれはと思うネタを取り上げてみたいと思います。

学生ビッグバンドの毒舌な後輩botとは

 このアカウント、アカウント名の通り学生ビッグバンドに所属する一応女の子って設定なんですかね?これが先輩に向かって厳しいことばを投げかける、というもので、この先輩の気持ちになると何ともいたたまれない気持ちになれるというものです。同じネタを使いまわしもしていますが、実に25000回以上呟いています。そして、そもそものこのアカウントを取り上げる理由なのですが、つぶやきの内容が学生ビッグバンドに限らず各方面に刺さるような内容で、色んな人に「分かる!!」と思ってもらそうな気がしたんです。というわけで、気になったつぶやきをピックアップ!!

「俺、感覚派だから」って、ただの不勉強じゃないですか。

 感覚で物事を進めるというのと、雑に物事を進めるを同義にしてしまうとアカンよというね。そして得てして本当に感覚派の人は「俺、感覚派だから」なんて言わないという。そこまで自分を客観視して言葉で「俺、○○派だから」なんて表現する人のことを感覚派とは言わない、この一言にはそんなメタ構造が含まれているわけですよ。ってそこまで深読みしなくてもいいかな?

寄せてくれないことを嘆く暇があればどうやったらみんなに寄せたいと思わせるリードになれるか考えたらどうです?先輩。

 う~~~~ん「寄り添いあう」っていう言葉もあるしねぇ、難しいなぁ。そういうこと言うと「寄り添いあうことと馴れ合うことは違います!!」とか言われてしまうのかな?この辺ね、本当に難しいと思います。夫婦、パートナー、同僚、組織、コミュニティ、常に悩まされますからねぇ・・・って今日はビッグバンドから離れることが多いな、いかんいかん戻ろう。

先輩、ソロの後の不満そうな顔で、せっかくソロが全て台無しです。

 これもなぁ、ありますよねぇ。何はともあれステージに立ったらお客さんが常に見ているんだから、何が起こったとしても堂々としていろ、なんて色んなところで言われます。更に言えば、プレゼンとかセミナーとか、ステージと呼ばれるところではハプニングや話す内容に不備があってもそれを顔や態度に出したら負けっていうのもありますしね。でも、つい出てしまうっていう気持ちも分からなくもない。でも、大切だなと思います。

自由こそがジャズだ!っていう遅刻の言い訳はもう聞き飽きました、先輩。

 ぐさぁ!!なんていうか、乱れた生活をして枠にはまっていない発言をして、っていうスタイルに拘泥する必要はないわけですが、ただ逆に元々そういう人っていうのもいるわけで、それをバッサリ切ってしまうと、それはそれで多様性の否定にもつながりかねない。この辺もね色々考えるところは多いです。それはともかく、この呟き「ジャズ」の部分を色々変えると全方位に使えますね。全方位に敵を作る!?

迫力がある?私はうるさいだけだと思います。

 あ~~~~~~~~~~~、やめて~~~~~~~~~~~~。私実は通っていた高校にビッグバンド部と吹奏楽部があり、私はビッグバンド部に所属していたわけですが、吹奏楽部のやつからしょっちゅう言われました「お前らがやっているのはがなり立てているだけだ」って。まぁ、私も若かったので「うるせぇ!!お前らこそ、気取ってクラシックにもなり切れない中途半端な演奏しているだけだろがよ!!」なんて言ってましたが、、、う~ん、タイムマシンがあったら高校時代の自分に言ってやりたい「冷静になれ」と。

間違いを指摘することしかできないコンマスは甘えです。

 「Bの頭、縦がズレてるから合わせて」「〇小節のサックス、ピッチが変だよ」「テンポがどんどんグダグダになってる、ダメ!!」等々ありますよ。これね何が問題なのかというと、このコミュニケーションを続けていると、言われている方は「言われたことをやればいい」モードになってしまうという点ですね。それはそれでメンバーに規律のとれた行動をとってもらうという意味では重要なコミュニケーションではあるのですが、最近は日本でも組織の大小を問わず「自走」「自立」と自分で考えて自分で行動するということが求められることが増えてきています。いわゆる「こうすればいい」という方程式的なものに当てはまらない事柄が増えてきたから、という社会事情が背景にありますが、ビッグバンドやジャズにおいてはそもそも音楽それ自体がアメリカ発祥の音楽として「自由」という価値観をとても大切にしていると考えます。その点で「私はこう思う、だからこういう演奏をする」こういうした考え方・行動をする人間が20人弱集まり、音楽的に議論を交わしながら音楽を作っていく。そういうコミュニケーションをビッグバンドという音楽自体が求めている部分があるように、私は感じてます。

 ここで、よく勘違いされやすいのが、自立した個人、すくなくともその前提があるとされる個人、これがしっかりと議論をし、その結果交わされた合意なりルールに関して、これは徹底的に守る、このメリハリが重要かなと。日本だとこの辺の文脈が少しずれているように感じましてね、「自由にものを言う」がずっとダラダラ続いてしまったりする。そうではない、これは注意が必要と思います。

 ちょっと離れましたけど、なので恐らくここで本来求められるコミュニケーションとは、例えばある部分でずれていた際、コンマスがそこを仮に指摘したとして、しかし演奏者はそれをジャストと思っているわけですよ、わざとやっていない限りは。なので、単にアウトプットのズレをどうこうするというところから一歩踏み込んで、そもそもの認識のズレがどこから来ているのかという、これをコミュニケーションの中で詰めていくことが重要だと思うんですよね。そうやって考えていくと例えば「ズレる前の部分で別のセクションが演奏しているフレーズのタイム感に無意識に引きずられている」「単に技術的にタンギングが悪い」「合奏環境のせいで音の回り方が変」「フレーズや音によってはずれているように聞こえやすい、あるいはずれた方が自然というケース」等々、色々出てくると思うんです。コンマスが神なんてことはなく、フラットな関係で個々人がコミュニケーションを図ることが求められるわけですから、当然個々人の感覚、仮にコンマスがずれていると思っても、当のプレイヤー自身が合っているあるいはこれが正解であると思っていれば、むしろ単純な出音のズレを正すことよりも、その認識のズレがどこから来ているのか、その理解に努めることの方が重要になってきたりするわけです。

と、こんなやり取りをしているとコンマスも疲れちゃうわけですが、そうするとこういう毒舌な後輩に刺されるというね、大変だなぁと思います。世のバンドを率いているリーダーの皆様、頑張ってくださいね!!

いかがでしたでしょうか?他にも沢山毒舌吐いていますが、惜しいのが2019年8月30日を最後に呟きが無いもので、中の人また続けて欲しいなぁなんて思ったりします。最後までお読み頂きありがとうございます。気に入って頂けましたら登録よろしくお願いします。以上、ビッグバンドファンでした、ばいばい~

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