のて 55


形だけが残り中身を伴わない
早めのクーラーの匂いが少し香る朝に、おはようございます。

聞いてほしいけど聞いてほしくない、
伝えたいのに言いたくないようなコト
口に出した途端じわりと実感されて、不覚にも涙が出るような情けなさ。寝ていてよかったと思ったキモチをここに記しておきます。気恥しいので。

大人だから我慢しないとだとか、ほんの少しのどうしようもないプライド・ミルフィーユは捨て置いた方がカワイイにも関わらず 択べない 最悪の"  "。


信用してないとかではない、考えに納得もできている。だからこそとんでもなくぽっかりとしていて、限界なわけではないのに「どうなるんだろう」と時の有限さに不安を覚えたり、負担になっていることが悲しくなったり、忙しない日々です。

仕事、とても待遇もよくてすきなのに、わたしが見合っていないことがとてもとてもしんどくて、毎日辛くて申し訳ないんです。受動的「やらなきゃだから」「頑張るしかないから」「仕方がないから」の義務感でしか動けなくて、そんな上限が決まった努力しかできていない自分がひどくお粗末に感じられて。貢献できていないコトが苦しくて申し訳ない。

存外総てが、そうかもしれない。

言い方ひとつ、機微を感じて いろを感じて "そういうふう"がすきだから、今が虚しく悲しく寂しく不要に感じられてしまう自己責任。誰かのせいにできるよう彩れない筆から捨てに出る?とか。(意気地無し)
傲慢、すり合わせる余裕なくそのままをどうにか埋めてなんて、いつかは、なのに。

詰まるところ言い訳ばかり探しているような自分がキライで、頑張りたいと口で言うだけの今がムカつくんです。結局イヤなことにしか目を向けてなくて、たのしもうと選べていないコトが。上振れする訳が無い自分を自ら選んでいることが。"仕方がないことなんて何一つないのに"がこだまして、うるさいんです。

自分を大切にできないのにヒトを大切にしようなんて烏滸がましいコトできるわけもなく、「あ、同じじゃない」を感じては悲しむ権利もないのにいっちょ前に傷ついてる、というわけです。厄介な生き物だ。

尊重してるなんて体のいい言葉で、成長のない現状維持を正当化してる、猛省。
こう思われたくないからじゃなくて、自分がたのしくてやりたいを原動力にしないと自然と天井を決めてしまっているのに。ゆっくりと溺れて、周りが見えなくなる頃には焦りしか残らないや。

わたしにとって自分のために頑張るのって、大切なヒトたちのために頑張るより難しいものでした。最後は「我慢すればOK」で諦めちゃうから。でも自己犠牲じゃ何も生まないし、そんな独り善がりですきを取りこぼして見誤りたくない。わたしは、「人間」と一緒にいるんですよね。そこは絶対置き去りにしちゃいけないや。

癒すことも救ってあげることも支えることも、誰に対してだって何ひとつできてない。でもだからこそ、いろんな"すき"のためにできること、きちんと考えてたのしみたいな。たとえ無駄でも効率が悪くても、それでしか得られないモノもあるから、わたしはもうそれで!



頑張るんじゃなく、変わらないと。
必要ならば捨てないと。
一生、繰り返すだけになりたくないや。

もしもこれらに自分もだ…と思うヒトがいたら、「自分は自身やヒトを大切にしてる」って思い込んでるだけなのかもしれないです。相手のコトを本当の意味で慮るコト、わたしも今一度。



理性で理解っていても感情が追いつかない
風を直接感じられる扇風機で、本当はいいのかも知れない。

おわり

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