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500gで生まれた子を見つめた写真家・田尾沙織さんの「発信」

もうずっとインターネットが好きだ。

端末と回線さえあれば、ある程度の情報が手元に集まるところが最高。中でも知らない誰かの独白をダイレクトに受け止められることに関しては、ネットが唯一の方法だと思う。日記、ブログ、写真に動画――呼び名やフォーマットはその時どきで形が変わるが、発信者の言葉や画をそのまま情報として得られて本当にありがたい。

写真家・田尾沙織さんのInstagramを見つけたときも、ひしひしと思った。

私は、まだ出産育児の気配はおろかパートナーと出会ってすらいない頃、たまたま目に入ったInstagramのフィードに釘付けになっていた。

田尾さんのインスタには、長男・奏ちゃんの成長の様子が澄んだ色合いの写真でもってコンスタントにアップされている。そんな成長記録のはじまりとなる写真には「#超低出生体重児」というハッシュタグが。このインスタは、奏ちゃんが25週4日、わずか500gで誕生してからの記録だった。

早産。最初は「ブラックジャックによろしく」で読んだなーくらいの知識しかなかったが、500mlリットルのペットボトルを手にして「これと同じ重さの命…!」と思うとその高密度の軽さに震える。こんなに軽くてそんなに重い存在になりうるのかと。

だが、フィードをどんどんスワイプしていくと、管でつながれた新生児の頃から機器がどんどん減っていき、印象的な大きな瞳はますます表情豊かになっていく。フォロー後はアプリを開けば開くほどいろんなものを口にくわえ、カラフルに服を着替え、いつしか毛髪もしっかりと生えてきて…という確かな成長がそこに。決して容易ではないだろう彼のたくましい育ちを見ながら、50倍以上の時間を生きている当時の自分はいつのまにかしっかり励まされてしまっていた。会ったこともない子の成長から力をもらう――インターネットの醍醐味である。


「うおっいつのまにか奏ちゃん立ってる!」などの驚きを不定期でいただき続け、2018年になってからは私も妻の出産を見届け、新しい命と対峙して「サルみたいだ…!」と驚き&感動の当事者に。それからは奏ちゃんの育ちは今後を想像するための先輩的な見方になっていった。

そして、2020年になって田尾さんは出産当時を振り返った一冊「大丈夫。今日も生きている」を刊行。手にとってまずはインスタと違いテキスト主体の内容に、そして読み進めながらシンプルで臨場感のある筆致に驚かされた。

「Instagramをやっていると、同じような状況の方などから質問やダイレクトメールが届くんです。私も子供が生まれたときに同じ立場の人がいないか検索していたし、出産つらかった大変だったというのは別に早産でなくても結構いますよね。それで、心の拠り所というか“共感してくれる人”がいたほうがいいなと思ったんですよね」

と出版の背景について話す田尾さん。自身の紀行写真を寄せていた旅行誌「TRANSIT」やその前身「NEUTRAL」などで旅行記は書いていたものの、ここまでのボリュームで書くのは初めて。出産当時つけていた短文の日記アプリをベースに、整理・加筆を行って作られたこの記録は200ページを超える。インスタのフィード画面では語られなかったような奏ちゃんを育くむことへの痛切な心情の描写は、成長していく写真との相互関係にあるように感じる。

「1,000gぐらいで出産することになった友人の相談に乗っていたら『お医者さんや友達の言葉も右から左で全然入ってこなかったのに田尾ちゃんの言葉はちゃんと響いた』って言ってくれて。そういう人たちのためにというのがまずありました」(田尾さん)

田尾さんの友人と同じような安心を、この本から得られるに違いない。出産直後のシリアスな描写はなまなましく、また同時に奏ちゃんを生かそうと懸命に動くかたわら「誰とも分かち合えない」という思考に陥りがちな産後の孤独についても、特に早産の立場で本書は細かに書かれている。出産をしばらく友人に話せなかったこと、育児本に書かれているような月齢のサイズと奏ちゃんが一致せず戸惑ったことなど、日常のなかで不意にぶつかるギャップはシリアスだ。

奥から「うちの子、2000gしかなくて、小さくて心配」という声が聞こえて涙をおさえられなかった。うちの子はあなたの子の4分の1もないし、まだ母乳を1滴も飲んだこともないし、私は自分の子を抱っこしたこともない! と心の中で叫んだ。

(P. 37「入院と出産」11月4日 から引用)

私のときも、出産育児における「その人にはなれない」が一番しんどいかもなーと思ってきた。本書はそれが当事者としてきめ細かく書かれた一冊として参考になるし、自分のまわりの人でもし、という場合の心情を思いやるヒントにもなるはずだ。

田尾さんからは「(そういう人がもし身近にいたら)その人からの連絡が来るまで待ってあげればいいと思いますね。やっぱり(当事者は)比べてしまって言葉もそのまま入ってこなくなったりすると思うので、静かに見守ってあげるのも」とアドバイスをもらった。この一冊を読めば、256日もの入院の日々を見守りながら、人がどのように戸惑いと付き合って歩み進んでいくのかがわかるだろう。


ところで。

田尾さんの脚色なく素材のまま、かつ人間味を持たせた田尾さんの「記録」。それはテキストだけでなく作中やインスタの写真にも通底している。一見まなざしのように穏やかで、見れば指の一本一本までしっかりと形として残すような彼女の「発信」は、どんな視点から行われるものだろうか。撮影の様子を尋ねた。

「日記みたいなものですね。普段から写真をいつも撮っているタイプの人なので、日常の一部として撮っていました。奏ちゃんは日々成長が著しいので、画的にすごい綺麗とか構図がいいからというより『記念として残しておこう』みたいなことが多いです」

書籍の冒頭にはこんな記述がある。

写真を撮ることは、赤ちゃんを抱くこともできず、突然母となったために、その自覚がない自分に、赤ちゃんが生まれたことを言い聞かせる作業でもありました。

(まえがき から引用)

誕生から5年あまり、現在はほぼひとりで奏ちゃんを育てる田尾さんはまぎれもなく母親然としているのが写真だけでも伝わってくる。”作業日記”としての撮影を経て、親心はどんなタイミングで芽生えたのだろうか。

「ちょっとわからないですね。徐々にというか、ターニングポイントは別になかったというか。今でも本当に『親?』って不思議に思うときもあります、この状況が夢みたいって。不思議ですよね、自分が親だって自覚しなくちゃいけない。自分自身の成長は正直そんなにわからないですが、奏ちゃんはすごいですから」

一方、自分のように読者たちも”育った”。

「5年もやってると『最初の頃から見てて、今は私も親なんです』『看護学生のときに見始めて看護師を』とか、結構そういう方いらっしゃいます。月日が経つと変わるんだなと」

「大丈夫。今日も生きている」は誰かに寄り添う以外に「将来の息子のために置いておきたい」という目的があったという。発売前に実物を手にした奏ちゃんの様子がインスタに上がっている。

「覚えた言葉として『ありがとう』はよくさらっと出てくるんですよね。そういうやりとりができるようになってよかったなと思います」

公園で遊び、お気に入りのトミカを手にする様子が今日もアップされている。「書ききれなかったこともたくさんある」と田尾さんは話すが、少なくとも書籍の続きはこうしてインスタで補完することもできるだろう。

かつては1年の半分以上を海外で過ごし、インタビュー中も話の横道でダラス空港の何もなさについて文句を言えるほど旅行に傾倒していた田尾さん。奏ちゃんにいつか見せたい景色は、と尋ねると田尾さんはアフリカのサファリを挙げる。

「ケニアに数ヶ月いたことがありまして、そこだと動物園にいるような生き物がそこらじゅうにいるし、地平線が見えるような景色もあるんですよ。
モルディブの離島とかもすごい綺麗なんですけど、海は奄美でもあの辺りと同じくらい綺麗なので(笑)。奄美もいいですよ。水遊びとか砂で思う存分遊べて楽しいですし。奏ちゃんが自分でいろいろ見て覚えていけば記憶に残って勉強にもなっていいかなって」

コロナ禍の収まりを待つほかないけれど、インスタなんかでその様子を見られたらと思う。

田尾沙織(たお・さおり)写真家
http://taosaori.com/
https://www.instagram.com/tao_saori/

「大丈夫。今日も生きている」
赤ちゃんとママ社
2020年9月16日発売
本体1500円+税

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