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2月7日の歓喜 北京五輪スキージャンプ混合団体

注意

この記事に北京オリンピック混合団体戦について扱っている箇所がございます。

カルガリージャンプ台の封鎖

カナダに対しウインタースポーツの強豪国と言う印象を持たれる方は多いであろう。実際フリースタイルスキー、スケート、リージュなどでは近年も素晴らしい結果を残している。

ただスキージャンプに関しては残念ながら“強豪国”と呼べるだけの結果を残しているとは言い難い。2022年2月6日まで五輪、世界選手権共にカナダが獲得した純ジャンプ競技におけるメダル獲得数は0であった。

2019年初頭、私の下にこのニュース記事が入り込んできた。

https://www.fis-ski.com/en/ski-jumping/ski-jumping-news-multimedia/news/2018-19/calgary-olympic-park-about-to-be-closed

要約すると、「1988年のカルガリーオリンピックで使用されたカナダオリンピックセンター(COP)のジャンプ台(ミニヒル、ミディアムヒルなど4つのシャンツェがある)が運営団体WINSportの資金難により封鎖される。カナダにはもう一つ2010年のバンクーバーオリンピックで使用したウィスラーのジャンプ台があるが、サマー設備が備え付けられていなくカナダのスキージャンプ界は非常に厳しい状況に置かれるであろう。」という内容である。

COPは4つの台を持っており、そこでは年間1万人ものジャンパーがジャンプを行う。そんな施設が閉鎖でもされたら.....

当時、今シーズンこそはカナダの選手と2ショットを撮ってもらいたいと思い2018年12月中旬アビゲイル・ストレイト(アビー)に来月行われるW杯日本シリーズに出場するか聞いたところ「残念ながらカナダチームの派遣はない。」との旨の返信を貰った。前々からカナダの資金難についての話は耳に入っていたので少し嫌な予感がしていたところでのこのニュースである。残念以外の感情が出てこなかった。

当時この状況を打開すべくクラウドファンディングが行われ、カナダチームの選手、関係者は勿論SNS上で日本人選手も援助を呼びかけていた記憶が残っている。

しかし関係者の努力も虚しくCOPの封鎖を止める事はできなかった。

2012年からスロベニアを拠点としているマッケンジー・ボイドクローズ(マッケンジー)、14歳から16歳の時期をドイツで過ごしたアレクサンドリア・ルティト(アレックス)はその時期のトレーニングを問題なく行えたが、アビゲイル・ストレイト、ナタリー・アイラーズなどカルガリーを拠点として活動していた選手はノルウェーなど海外を転々とし練習を重ねていた。

受難は続く

2020年2月、世界的に例の流行病が大流行。カナダチームは更なる受難を受けた。

前述の通りサマー設備を持たないカナダチームはトレーニングすららままならなかった。

そのような状況を改善する為、カナダスキー連盟は一流設備が揃うスロベニアスキー連盟と協力関係を結びクランジ近郊にあるアデルガスに拠点を構えた。ボイドクローズ、マシュー・ソウクプ、ストレイト、ナタリー・アイラーズ、ルティト、ニコーレ・モウラー達男女Aチームは第二の自宅をブレッド、クランジに構え、その地でトレーニングを積むことになる。

結果的に彼ら彼女らは2021年6月からオリンピックが明ける2022年2月中旬までカナダの自宅へ帰れなかった。

ルティトは当時をこう振り返る。

“我々は様々な場所を点々としなければならなかった。それは本当に永遠に続く合宿のようなもので、肉体的にそして精神的に本当に疲弊した。冬の終わりには本当に疲弊していたが、チームとしてこの状況をなんとかやり遂げ我々のスキージャンプへの愛を示すことができた。”

2021/22シーズン開幕 躍進のアビー&アレックス

相変わらずカナダにとって苦しい状況が続く中、シーズンが開幕した。女子の開幕はニジニ・タギルから。その予選である。

アビゲイル・ストレイトが14位に入った。

私はスロベニアファンなので普段ならニカ・プレフツの12位にワクワクするはずなのだが当時はアビーの14位通過を大いに喜んだ。

そしてアビーは13位で本戦を終えた。

年末年始のリュブノは足の違和感により欠場したが北京オリンピック前の総合成績は32位。

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アビゲイル・ストレイト


一方アレックスの方はというと

自身4試合目のW杯である12月のリレハンメル大会で14位。

アビー同様その後もコンスタントにポイントを稼ぎ北京オリンピック前の総合成績は31位。

近年女子ジャンプのレベルが目まぐるしく上がる中2人は素晴らしい成績を残した。

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アレクサンドリア・ルティト

苦戦の男子チーム

20/21シーズンは115pを稼ぎ自己最高である総合32位に入ったマッケンジーだったが今季は苦戦。ポイントを獲得できた試合はわずか3試合だった。

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マッケンジー・ボイドクローズ

マシューはW杯本戦に進む事ができずコンチネンタルカップを転戦する事になっていた。

このような状況の中北京オリンピックが開幕した。

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マシュー・ソウクプ

北京オリンピック開幕

2月5日、まず女子NHが行われた。アレックスはBMIルールで残念ながらDSQとなったがアビーは1本目を26位で折り返し2本目は全体12位となるジャンプを披露結果的に23位で試合を終えた。

2月7日に行われた男子NHはというと大舞台に強いマッケンジーが16位と、今回のカナダチームは何かやってくれるのではないかという淡い期待を抱かせてくれる結果に終わった。

混合団体戦

2月7日、混合団体戦が行われた。戦前の大方の予想はスロベニアの圧勝。日本、オーストリー、ノルウェーの3国で表彰台を争うというものであった。

カナダチームもエントリーしていた。

ここ数年の状況を私は知っていたので

彼らがエントリーしてくれるだけで本当に嬉しかった。

カナダはチェコと2本目進出を争う...誰もがそう思っていた。

実際アビーは試合後のインタビューで「表彰台に上がるなんて思ってもいなかった。メダルセレモニーの日に飛行機の予約を入れていた。」と話している。

アビーとマッケンジーの2本目

2本目第3グループまで様々な事が起きた。

この試合の実況を担当したNHK札幌局所属、スキージャンプに精通する筒井亮太郎アナウンサーは2本目第3グループ開始時に

カナダも含め、これ以上失格となる選手が出て欲しくない

と語気を強め語った。

カナダは2本目第3グループ開始時3位、つまりメダル圏内にいた。4位日本との差は12.4pと余談は許されない。

アビーは以前、インタビューで緊張を和らげる方法として“笑う”ことを挙げていた。このジャンプの直前彼女が何を意識していたか知る術は無いが、試合後のインタビューで彼女は一切緊張しなかったと語っていた。

彼女のジャンプ、サッツが若干遅れたが空中の上手さを見せ91.5mの着地。日本との差を考えればまずこのグループで逆転される事はない。

メダルの行方はマッケンジーに委ねられた。

2本目第4グループ

第4グループ開始時点で日本との差は17.7p。日本のアンカー、小林陵侑の力を考えれば安心できない数字だ。

マッケンジーには最低K点は求められた。

最終グループはその時点の順位の逆の順で飛ぶ事になる。つまりマッケンジーは小林のジャンプを見てから飛ぶ事になる。かなりのプレッシャーだ。

小林が飛んだ。前日金メダルを獲得していた彼のジャンプはHSジャストの106m。

やはりマッケンジーにはK点付近のジャンプが求められる。

マッケンジーが尊敬する人はジンドロ・マイヤー。バンクーバーオリンピックの開催が決まると共にカナダスキー連盟が招聘したチェコ人のスキージャンプ指導者だ。2004年、彼は対向車との正面衝突により道半ばでこの世を去った。

マッケンジーは常々、カナダの選手が飛んだ後に運営がゲートを下げる事を自虐的に語っていた。カナダ人でもできる事を証明したい気持ちは彼の心のどこかであったはずだ。

アレックスの恋人はオーストリーの選手である故、彼女は強豪国事情を知っていた。「自分達は壊れかけのマテリアルを使っているのに強豪国の選手は達は些細な事で不平不満を言う。それにイライラしないと言ったら嘘になる。」とやり場のない想いをメディアに吐露したこともある。

W杯で表彰台経験をしたことのないマッケンジー....自他の様々な思いを抱え、そして背負い彼はスタートを切った。

(この時筆者は“マッケンジー行け!”と心の中で叫んでいた)



飛び出しは完璧、完了、着地も決まり飛距離は1本目と同じ101.5m。メダル獲得に向けこれ以上ない数字となった。

歓喜の瞬間

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アレックス、マシュー、アビーでマッケンジーを出迎えた。

声にならない声で叫んでいたアレックスはグウィッチンという少数民族の血が流れているの彼女は彼らのコミュニティに大きな喜びをもたらした。

マシューは「ただただクレイジーとしか思えなかった。」と試合後のインタビューで語った。

アビーも同様、「頭の中で今何が起こっているのか整理ができなかった。」と当時を振り返っている。

試合後

試合直後、マッケンジーはiPhoneの通知が鳴り止まない事をTwitterで報告した。

マシュー、アビー、アレックス、そして2021年6月までカナダジャンプチームのコーチを務めていたタデウス・バフィアの携帯も鳴り止まなかった。

テディベアの愛称で親しまれるバフィアはポーランド出身でノルディック複合の選手だった。しかし彼が23歳の時、ブドウ球菌に侵され肺炎となった。命の危険すらある状況、競技を諦めざる終えなかった。その後指導者に転身、2004年から2021年までカナダチームを指導した。

メダリスト4人は口を揃えて「テディベアがいなかったらこのメダルはなかったはずだ。」と語っている。

我々の前では明るく振る舞うカナダの選手達だがホームシック、劣等感、悲しみ、競技者として、カナダ人としての誇りと言った様々な感情に揺れた数年間であったと思う。

そして、様々な人の想いを乗せた4人のジャンプは銅メダルという最高の形となって現れた。

未来へ

前述の通り2021年6月からカナダ本国へ帰国していなかった彼らだが女子チームは五輪後に念願の帰国を果たした。アビーは実家のあるカルガリーに戻りマスコミの取材を受けた。彼女がここまで注目を浴びたことは初めてであろう。

このメダル獲得によりカナダ国内でスキージャンプ競技は一気に注目を浴びた。

試合後、アメリカのサイトを通じ行われたクラウドファンディングでは40000ドルものお金が寄付された。

アビーは五輪明けのW杯ヒンツェンバッハにおいて2試合連続で9位、8位の一桁順位。PBを更新した。Raw Airでも15位。最終的に23位でシーズンを終えた。

アレックスはザコパネで行われた世界ジュニアで3位、銅メダル。世界ジュニア女子でのカナダ人選手のメダルは2006年以来16年ぶりの快挙となった。 W杯最終シリーズオーバーホフでは12位→11位とこちらもPBを更新、総合32位でシーズンを終えた。

彼ら、彼女らの活躍によりカナダ国内でスキージャンプの注目度は一気に上がった。

カナダ国内の日刊紙で2番目の発行数を誇るグローブ・アンド・メールは社説にてスポーツ面のみならず国民の健康増進の観点からもCOPのジャンプ台も含め“遺跡”と化しているスポーツ施設への資金供給の重要性を説いている。

まだまだカナダの厳しい状況は続くであろう。スタートラインにすら立てていない現状がある。

しかし、2022年2月7日を契機としてカナダのスキージャンプ界への風向きは確実に

”追い風“から“向かい風”に変わってきている



画像引用 photo citation from

https://instagram.com/skijumping_canada?utm_medium=copy_link

@teamcanada

https://dailyhive.com/vancouver/canada-wins-first-olympic-ski-jumping-medal

参考文献

https://www.cbc.ca/amp/1.6342939

https://www.theglobeandmail.com/amp/opinion/article-canadas-aging-athletic-infrastructure-affects-us-all/







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