誰が悪いわけじゃないのに、上手くいかない”家族”という繋がり|『くるまの娘』宇佐美りん

久しぶりにちゃんと本を読んだら、やっぱり本っていいなって感じるな。普通だったら”他人の心の動き”なんて想像するしか出来ないんやけど、「こういう時に、人の心がこう動く」ということを”言葉で”説明してくれる。映像もええけど、言葉が好きで、言葉で説明したい(映像を作って説明する技術がない)自分にとっては、やっぱり小説って特別やわ。

さて本題。まずはあらすじやけど、、

教育熱心な父の指導を受け、希望する高校に入ったんだけど不登校になってしまったかなこが主人公。父親は基本的には良い親なんだけど、キレやすくてキレると家族に対して人格否定や暴力をしてしまう。母親は数年前に脳梗塞になり、後遺症で記憶障害を発症。新しくものごとを覚えるのが苦手になってしまった。そのことで思い通りにならない自分に苛立ち、酒に逃げてしまう。かなこには兄と弟がいるんだけど、兄は大学を中退、結婚。弟は祖父母の家に居候して通う高校へ進学。どちらも早々に家から離れることを選んだ。父方祖母の葬式のために、久々に家族が集まる数日間を描いた小説。

こんなとこやろか。なんやけど、いやぁ、読んでて辛くなる小説やったわ。。父親が子どもらに勉強を教えるんやけど、その過程で勉強を放り出しがちな兄にキレてしまう。それが兄が父親を嫌う理由として描かれとる。それだけならまぁどっちもどっちみたいな感じなんやけど、父親が子どもらに勉強を教える理由も描かれとるんよ。
父親は4人兄弟の末っ子やって、勉強したいんやけど塾にはいかせてもらえないし、自分だけ幼少期の写真アルバムがないしで、なんや望まれた子やない感じなんよ。そんな環境におって、その環境から抜け出すためには勉強しかないという強い思いをもって、”死ぬ思い”で自学自習していい大学出て、家庭を持った人なんよね。父は立派よ。
やから、自分の身を助けるのは勉強だ、っていう強い思いがあるし、自分の置かれた環境に比べれば、子どもらは恵まれた環境で勉強出来てると思ってしまう。それが、真面目に勉強しない兄への怒りになってしまうんよね。。

母親が元気だったころは、それでも母親が安定してたから良かったんやけど、、脳梗塞からの身体麻痺&記憶障害になって以降、思い通りにならない自分や家族に対してヒステリーを起こしてしまうようになるし、酒もやめられんくなるしで、家族がままならん環境になってしまったんよ。母親が、幸せだった頃の思い出の遊園地で、あの頃と同じ構図で写真を撮ろうとして失敗する流れは、いたたまれない状況やったわ。。
弟は冷静な奴で、ここにいたら自分はダメになると感じたんやね。祖父母に預かってもらう選択をして、家族から距離をとったんよ。その選択は賢いし、責められるものじゃない。
で、や。父と母の下に残されたのはかなこだけになったんよ。それが理由かははっきりとは分からんけど、元気に高校に通っとったかなこも心身に不調をきたして不登校になってしまったんよね。これも仕方ないことやなぁと感じるわ。で、”娘が不登校になってしまったこと”が、さらに父と母を傷つけてしまう。。

兄・弟が家を離れて、結果的に心身に不調をきたしてしまった。心身の健康を取り戻すために家を離れることを考える選択肢もありそうやけど、かなこはそれをしない。なぜか。
かなこには、父や母を守らなくちゃっていう想いがあるんよね。。優しい子よ。勉強が得意だったかなこは、父親の厳しい指導も受け入れたし、父親を嫌いになることもなかった。で、二人三脚で希望の高校にも合格した。その合格発表で涙を流して喜ぶ父・母に抱きしめられた時に、抱き返すとともに「私がこの二人を守らなきゃ」って思うんよね。なぜそう思ったのかはちゃんと説明できないんやけど、親の期待に”応えてしまった”ことが、かなこにそう思わせたんやとわいは感じたわ。

誰も悪い人はいないんよ。家族のだれもが誰かからの被害者であり、誰かへの加害者でもある。だからこそ、救いがない。
兄が父親を嫌いになってしまう心情も分かるし、弟が家族を離れるのも分かる。でも、父親が子どもらに勉強を強いる気持ちも分かる。かなこの父母を守らなきゃという想いも分かる。個々の判断や行動はどれも理解できるものなのに、結果的に家族はバラバラになってしまっている。。

家族のこういう感じ、誰にも経験あると思うわ。ここまで露骨に上手くいかない経験はなくてもな。わいの家族の話やけど、父親は勉強には厳しかった。「東大に入れないやつは馬鹿だ」って言ってて、なんやそれ!ってわいは思っとった。理不尽だと感じとった。せやけどそう思ったって父親の考えが変わることはない。あまり真面目に勉強しなかったわいは、父親にとっては不良息子として加害者に見えとったのかもしらん。わいはわいで、父親から加害を受けていると当時は感じとった。。今振り返れば、”父は子どもへの愛情の示し方を知らない不器用な人やったなぁ”みたいに自分を納得させられるんやけど。家族と物理的に距離ができたからこそ納得できるようになったところはある。もっと言えば、家族としての繋がりを無くせないからこそ、自分を納得させる理由を無理やりにでも作らざるを得なったのかもしらん。しらんけど。

まぁそんな話は置いといて、壊れてしまった家族の中で、かなこが体調を回復していくきっかけになったのは、”車の中で寝起きするようにしたこと”やった。これも、家族と距離をとることの大切さ、みたいに受け取ることも出来ると思うわ。で、かなこが体調回復していって、家族関係も修復していって、みたいになるかと思いきや、そうはいかん。急展開で印象的なラストシーンに向かうんよ。

父親がかなこを乗せて車で出発し、なんや急に心中しそうな雰囲気を出してくる。ここでアクセルを踏み込めば二人が死ぬみたいな場面で、でも、「なんで生きてしまっとるんやろな」と泣きながらアクセルを踏み込まずに終わるんよ。

これを家族という解消しない地獄が続くラストととらえることも出来るんやけど、わいは、父を称えたいラストやなと思った。いわゆる無敵の人とか、JOKERとか、自分の不遇を社会への暴力として表明する人がいる。父だってそうなったっておかしくなかったけど、最後の最後で、そうはしないんよ。家族は素晴らしいとか、そんなことは言えない。何かが好転する兆しも別にない。辛くても生きろ!とか、毒親は捨ててしまえ!とか、この話から明快な強いメッセージを受け取ることは出来ない。ただ、その繋がりゆえにお互いを苦しめあってしまう家族がいた。そして、彼らは死ぬことを選ばなかった。それだけの話。でも、この物語を読んで救われる人はきっとたくさんいると思う。みんなが自分の家族のことを思い浮かべて、”家族”によって傷ついてるの自分だけじゃないし、自分だって”家族”を傷つけてしまっていたよなぁと思いを馳せる。その体験を通じて、自分の心を強く豊かにさせてくれる作品やったと思うで。しらんけど。

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