『さみしい夜にはペンを持て』古賀 史健|日記の効用を説く自己啓発。なのにこんなに心打つ。

日記を書く過程で、日々の出来事や自分の心の動きを見つめることで、自分の人生を豊かに開いていく姿勢が身に着くぞ!という自己啓発の本。
なのだけど、中学3年生のタコジローとそれを導くヤドカリさんというキャラクターを使った物語形式になっている。タコジローが悩み、ヤドカリさんに導かれて「日記を書く」プロセスを経ることで悩みと向き合い、変化していく過程を描いている。読者は、日記を書くことの効用が感情を伴って実感できる。

読者の感情を動かす(ことで読者に行動変容を促す)、ということに挑戦した本だと思うのだけど、なんで自己啓発本のスタンダードはこうじゃないんだろうと思った(いや、スタンダードなのかもしれないけど、自己啓発という響きを嫌って、僕はあんまりこの手の本を手に取ってこなかった)。

特にぐっと来たのは、イカリ君とタコジローの友情。たぶんだけど、タコジローは古賀史健さんのことだ。中学生の時にからかいの対象になって、自分/周囲の人を好きになれずにいた経験があるはずだ。そして、イカリ君は、当時、こんな友達がいたら良かったのにという古賀さんの願いを反映したキャラクターだと思う。
ケガから復帰したら学校でからかいの対象になるということを見通したうえで、それを受け入れてタコジローと復縁する選択肢をとるイカリ君。惚れてまうやろ。(でもこんな友達は現実にはいない。いてほしいけど。)
そしてこの本自体が、今まさに学校での疎外感で悩んでいる当時の古賀史健/タコジローに向けて書かれた本だ。読めばわかる。
タコジローを導く存在であるヤドカリさんが、現実世界では不審者扱いされているのも味が効いてる。学校の外、学校や社会が認めていない世界(ゲームセンターとか)にいる大人。「でも、この人は信じられる」という想いこそが、人が育つのに必要な栄養だと僕も思う。当然ながら、ヤドカリさんも古賀さんだ。あの時の自分に、こんなことを伝えられたら。
そして(今はnoteを立ち上げて立派になったけど、)古賀さんがレールを外れたアウトサイダーだった頃の哀しみが託されてる。これを受取った読者によって救われたいんだよ!

自分の中のタコジローと共鳴して、何度か泣きそうになった。でも泣かなかった。大人だからね。
自分の心がどう動いたか、それをつぶさに見るのは面倒くさいし、自分の嫌なところと向き合うことでもある。でも、自分の心のことを知らなかったら、いい人生がどういう人生か、ということすら分からない。
「いい人生」は人によって違うし、誰かに教わるようなものじゃない。自分で決めて選び取るものだ。そして、日記を書くことは「いい人生」を決める時にとても役に立つ。だって日記を書く・読むことは、自分を知ることそのものだから。

日記を書くことは続けられないかもしれないけど、自分の心を見つめるのは、折にふれてやろう。月に一度の予定として、googleカレンダーに登録した。

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