人を愛するAIに、人が”心”を感じることは出来るか | 『クララとお日さま』カズオ・イシグロ

子どもが人口知能を搭載したAF(artificial friend)と共に暮らす生活が当たり前になった未来を舞台設定に、AFであるクララと主人のジョジーの暮らしと成長を描く作品。AFに対する大人の思惑をサスペンス要素としつつ、物語はクララの語りで進む。
カズオイシグロお得意の語り手の語りから全体像を少しずつ見せていく書き方はやっぱ読んでて気持ち良かったわ。

リックの大学進学

幼馴染でお隣さんのリックってやつがおって、こいつは頭が良いんよな。ただ、母子家庭でお金があんまりなくて、"向上措置"(能力向上手術みたいなもんやろな)を受けられなかったんよ。この時代は大学に行くには向上措置受けるのが当たり前みたいな時代やって、リックは才能はあるのに大学行かれへん状況におるんよな。向上措置無しで大学に入るイレギュラールートに乗るために、リックの母親はかつての恋人であるA大学の入試担当者にコンタクトをとるが、突き放される。
非現実的な話とも受け取れるけど、塾or進学校に課金出来ないと有名大学には(ほぼ)行けない。みたいな日本の現状と悲しいまでにリンクする話。
とはいえリックもちゃんと救われるから、安心して読んでくれや。

クララを買った理由

これがミステリーとして読者を引き込む要素よな。クララは向上措置手術をきっかけに病気になってしまったんよ。ほんで実は、ジョジーが死んだ時にジョジーに代わる存在として買われた存在が、クララなんよ。クララがジョジーの行動を学習するよう言われているのは、ジョジーの死後それを再現するためってことが、物語の終盤に明かされるんよね。ジョジーの母とマッドなサイエンティストがその計画をすすめるんやけど、ジョジーの姉が病死しちゃったってことが、母をそのマッドな計画に向かわせている。。向上措置手術を受けさせなければ、ジョジーは病気にならずに済んだかもしれない。。母は自分をそう責めてしまう。悲しい話よな。。

ジョジーを救うためのクララの自己犠牲

ここがクララの最大の見せ場!
クララは太陽電池で動いてるから、おひさまを信仰してるんよね。日に日に弱っていくジョジーを見て、おひさまの力を借りれば救えるはず!と思いこむ。おひさまの力を借りるには、煙を出す工業機械を壊せばよい!と思いこむ。そこにやってきた機械を壊すまたとない機会。壊すためには自分の中にある液体を抜き取って機械に注入する必要がある。でも、液体を抜き取ったら自分が壊れてしまうかもしれない。。
自分が壊れてしまうことを厭わず、僕らから見たら不合理な可能性(おひさまがジョジーを救ってくれる!)に賭けるクララ。結果として、なぜかこのクララの行為に前後してジョジーの体調は快方に向かっていく。
AIが太陽電池で動くという条件があるために、おひさまを信仰してしまう。人とは違う身体を持ったがために、人とは違う”合理性”を獲得する。そして人からはAIの”合理的思考”が奇妙な信仰に見えちゃうってところが、カズオイシグロの憎い演出になってまっせ。
クララの思い込みが愛おしいし、自己犠牲行動が美しいし、それによって起こる奇跡が素晴らしい。荒唐無稽といえば荒唐無稽だけど、それが起こりえると思えるのが素晴らしい。やったぜフィクション!

全体通じて、クララが健気すぎて、読んでたら皆クララのことを好きになってしまうんよ。『日の名残り』の執事スティーブンスのように、常に職務に忠実であろうとする振舞いに心打たれるんよね。
ただ、ワイがこの作品に違和感を持ったのは「クララの生き方を幸せだったとしてええんか?」ってところ。スティーブンスは自分でその生き方を選んでいるけど、クララには生き方を選ぶことが出来なかった。人間に生き方を決められて、その通りに生きて、スクラップ場に運ばれて。クララ自身は自分のこれまでに満足してるけど、自分やったら、自分の生き方を誰かに決められてしまったら、どんなに目的を上手く達成出来たとしても嫌や。
『クララとお日さま』を読んで、AIと人の違いは「自分で自分の目的を設定出来るかどうか」ってところにあると思うに至ったんよね。クララのように振舞えるAIがあれば、心があると言ってもいいと思う。クララは愛すべき存在である。これに異論はまったくない。それでもやっぱり、AIと人間は決定的に違う。とワイは感じた。
とはいえ、カズオイシグロはそんなこと描こうとしていない。この本を読んで、クララのことを好きになってしまったんだから、僕はAIのことを家族だと思える。そう思えたのはカズオのおかげやでほんま。

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