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鼻下長紳士回顧録 安野モヨコ

これからの安野モヨコの作品が楽しみになる作品だった。
この作品自体のクオリティが高いのはもちろん、(なかなか作品を描けなかった)作者がこれから漫画家として生きていくんだという決意表明の作品でもあったように思う。

メインストーリーは、娼館で働くコレットが、イケメンのレオンに惹かれ、「レオンと幸せになりたい」と感じつつも、レオンの死をきっかけに「レオンに消えてほしかった」という自分の本当の欲望に気づくまでの話。
自分が本当に望むものはなんなのか?自分の欲望と向き合い、欲望の輪郭を捉えることがいかに大切なことか(そしてそんな面倒なことをしなくても日常生活が過ぎて行く…)。そのことを、自分の欲望を理解せずに生きる人の苦しみや空虚さを描くことで伝える作品として読んだ。


サイドストーリーとして描かれる気の狂ったカルメンが正気を取り戻すまでの話が、"作者自身が漫画を描けるようになるまで"を描いているようで、胸に迫ってきた。
漫画を書けない時期に心がどんな混乱状態にあって、それがどんなプロセスで元に戻っていくのか。描かれているページは決して長くないけれど、体験からしか描けないリアリティーが宿っていると思う。
より大きな欲望の道具にされることを嫌ったがために、狂い、娼館を追放されたカルメン。
姿を見せずに娼館を観察しようとした"欲望"は、一体何だったんだろう。カルメンを狂わせておきながら、救うつもりだったと云い放つあの傲慢は、一体何だったんだろう。


私も私の物語をーー誰かの物語を書くことで
誰かを救えるのだろうか?

これが作中でコレットが自分に問いかける言葉。これはそのまま、安野モヨコが自身に語りかける言葉だ。そしてコレットがその後、作家としてものを書き続けることを選んだのはそのまま、安野モヨコが漫画家として生きることを決めたということだ。

全ては欲望の物語と同じ
完結はしない
なぜならそれは私の選んだ
「そういうプレイ」なのだから

作品はこの言葉で終わる。これは、漫画を描くことの楽しさも辛さもよく知った上で、それでも私は漫画を描くことを選びますって宣言だ。

自身の体験を作品として昇華した後に、どんな作品を描くのか、"本当の欲望"に気付いた人が描く作品はどんなものなのか?次回作がほんっとーに楽しみ。

余談だけど、安野モヨコが岡崎京子のアシスタントだったこと、岡崎京子が事故の後遺症で漫画を描けなくなったことをこの漫画を読み終わった後に知った。
強引な読みかもしれないけれど、レオンは岡崎京子なんじゃないかなぁと感じた。強く憧れると共に、どこか憎い存在。
作品を読むのにここまで作者を投影するのは無粋かもしれないけれど、僕にはそう読めたし、あらゆることを作品に昇華する(せざるを得ない)漫画家安野モヨコの業の深さと才能におののいた。

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