サイレンススズカの思い出

 子どもたちがウマ娘のアニメを見ていたので、色々と懐かしい馬の名前が聞こえてきました。それで上の子にゴールドシップは僕が競馬をあまり見なくなった後の馬だから良く知らない、お父さんのステイゴールドはすごくよく知っているけどとか、キタサンブラックは歌手の北島三郎の持ち馬(会社名義ですが)だね、キタサンブラックの服装は北島三郎に「まつり」って歌があるからそのイメージかなとか話している中で、サイレンススズカは気性難でゲートで暴れて騎手を落としたことがあるという話題もでました。

 サイレンススズカが騎手を落としたのはどのレースだったかとちょっと調べたついでに、ついついネットの記事を読み込んでしまい、色々思い出しました。
 本格化した後の快進撃と悲劇が語られることの多いサイレンススズカですが、僕にとっては気性難サンデー産駒の一頭というイメージが未だに強いんです。ゲートで上村騎手を落とした弥生賞は極端にしても、人気の割に走らない感じ。こういう気性難で実力を発揮できないタイプが人気になっていると真っ先に切ってしまう僕としては、あまり馬券検討の対象にならない馬でした。
 それが香港遠征で5着、翌年の活躍を知った後ではとんでもない話ですが、「善戦したな」とか思っていました。
 古馬になってサイレンススズカの快進撃が始まります。この頃も僕はサイレンススズカを馬券的に信用していなかったと思います。連勝中の馬が一番人気の時は割り引いて考えるようにしていたので、地元中京競馬場で行われた小倉大賞典(代替開催)と金鯱賞、GIの宝塚記念などでも馬券の軸にはしていなかった筈です。
 毎日王冠で休養明けでも衰えぬ勢いを見せつけられ、僕もようやくサイレンススズカという馬を歴史的な名馬と認める気になった次のレースが、あの天皇賞でした。その日はたぶんレースも見ておらず馬券も買ってなかったように記憶しております。

 サイレンススズカのことは良く知っていると言えると思います。ですが強い思い入れを持って見ていたわけでは無く、それでいて強い喪失感だけは与えられた。僕にとってサイレンススズカというのはそういう馬でした。
 今でもサイレンススズカの名前を聞くと、その強さを認めた途端にいなくなってしまった、その悲しい嚙み合わなさを思い出して、かすかな痛みを感じるのです。

 競走馬の思い出については過去に2頭の馬についての記事を書きました。良かったらそちらもご覧ください。
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