NBAファイナル中に開催された第一回スラムダンクコンテスト

NBAのスラムダンクコンテストは、今でこそオールスターウィークエンドの催し物としてお馴染みとなっているが、実は記念すべき第一回スラムダンクコンテストは1977年6月のNBAファイナル第5戦(ポートランド・トレイルブレイザーズ vs フィラデルフィア・セブンティーシクサーズ)のハーフタイム中に行われた。

初代王者

そして、見事初代スラムダンクコンテスト王者に輝いたのがダーネル・ヒルマンだ。

しかし、見ての通り、ヒルマンはユニフォームでは無く白いタンクトップを着用している。

厳密にはNBA選手では無い選手が優勝

理由は当時のヒルマンがどこのチームとも契約していないフリーエージェントだったからだ。

1976-77、ヒルマンはインディアナ・ペイサーズの一員としてプレーしていたが、先述した通り、ダンクコンテストが行われたのはNBAファイナル中であり、ペイサーズは既にシーズンを終えていたため、ヒルマンの契約は既に切れていた。

その結果、ヒルマンはどこのチームのユニフォームを着ることができず、白のタンクトップで出場することになったのだが、運命のいたずらか、優勝を果たしてしまった。

何故、このタイミングでの開催だったのか?

実はスラムダンクコンテストはNBAの物ではなかった。

1976年、NBAは数年間の交渉の末にABAの吸収合併に成功し、インディアナ・ペイサーズ、デンバー・ナゲッツ、サンアントニオ・スパーズ、そして、ニューヨーク・ネッツがNBAに移籍する形となったのだが、その際にスラムダンクコンテストも吸収していた。

NBA初のスラムダンクコンテストは1976-77シーズンの締めの1977年6月(=NBAがABAを吸収合併した直後のシーズン)に開催された訳だが、実は直前の1975-76、ABAはNBAに先んじて1976年1月のオールスターゲームの"ハーフタイム中"に初のスラムダンクコンテストを開催していた。

ABA

ABAがダンクコンテストを開催した理由は「リーグのブランディング」と「開催地デンバー」が関係している。まず、当時、ABAは若い選手が多く、スリーポイントといったルール整備もあり、エキサイティングさを売りにしていた。一方、同年のオールスター開催地は高地として名高いデンバーだった。その結果、ABAはリーグのエキサイティングさを売り出せて、なお且つデンバーにちなんでいる名目としてダンクコンテストの開催を採用した。

そして、大会はジュリアス・アービングのレーンアップ等のおかげで大きな話題を呼んで大成功を収めた。

つまり、NBAはおそらくは先のABAのスラムダンクコンテストの成功から試験的に導入したのだろう。何故1976-77のオールスターゲーム中の開催では無かったのは不明だが、試合のハーフタイム中に行われる点はABAの初開催時と共通していることから、NBAがABAから多少は着想を得ていたのは間違いなさそうだ。

その後

2017年、ヒルマンは40年越しにスラムダンクコンテスのトロフィーを受け取った。

当時、NBAはダンクコンテスト優勝者にトロフィーを渡していなかったのだが、2017年にインディアナ・ペイサーズのグレン・ロビンソン三世がスラムダンクコンテスト王者に輝いた際、ペイサーズはホームゲームでの表彰式にヒルマンをトロフィーのプレゼンターとして呼び、その時にサプライズでヒルマンにもトロフィーを渡した。

ちなみに、2020年までヒルマンはペイサーズのスタッフとしても地域貢献や元選手との関係継続等に尽力していたとのことである。

参考

Darnell Hillman won the NBA dunk contest in 1977. He finally got a trophy 40 years later(sbnation.com)
Hillman was a Slam Dunk in the Front Office, Too(nba.com)

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