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情動・忌み・ホルモン|weekly vol.0120

今週は、うでパスタが書く。

私個人の質問箱に宛てて、こんなご質問をいただいていました。

「質問箱は“相談箱”ではないので…」ということはいつもお伝えしているのですが、あいかわらず質問の体をうまいこと装った相談が届きつづけています。とはいえなにもそこまで無碍にするものでもありませんので、今回はこの場を借りて“ご質問”にお答えしていきます。

人生もすでに半ばを過ぎているだろうというのに今だに若い女の子が好きです。たまにどうにもならない情動をコソコソと燃やしにいったりするのですが、そういったご経験はありますか。妄執は後世の妨げになるという認識があるものの、やるかたないサラリーマン渡世をしのいでいけるのは、よこしまな気持ちがあるからこそという気持ちもあります。

質問箱 - Peing.net

結論から申しあげますと、一般に男性が若い女性に性的な衝動をおぼえることは年齢にかかわらず自然なことなのであろうと私は思います。なぜならそれが男性の生理というものだからです。
こういうことを言うと主に女性から「気持ちが悪い」という反応を受けるのですが(私の妻もそうです)、あなたの気持ちが悪いから何だというのでしょう。「生理的に無理」と言ってなにかを退けることがそう簡単であると思ってもらっては困るというものです。
「気持ちが悪い」という気持ち自体を否定しようというつもりはもちろん私の方にもありません。しかし男性にも生理があるとすれば(生殖に必要なふたつの性の両方に「生理」があるのはむしろ当然のことではないでしょうか?)、気持ちが悪いといって蓋をして、果たしてよりよい社会をやっていくことができるものでしょうか。
ここではこのようなことを考えて、回答に代えたいと思っています。なお本稿は公開時において完結しておりませんが、日程の都合上、翌々週につづく「二部構成」としてお届けする予定をしております。

現在私たちの社会は女性の月経や妊娠・出産が要すること、または更年期障害などを女性の問題として片付けることをやめ、社会全体の課題として対応していこうという取組を(遅ればせながら)始めつつあります。なぜならそれが人間の「生理」であって当然に顧慮されるべきことだからですが、もう一方の性であるところの男性の「性」または「生理」について社会が光をあてて論じようとしないことについて、私は非常な危惧と問題意識を抱いています。

果たして女性は男性の生理についてどこまでどういった理解をしているでしょうか。また、男児の母親になった女性は息子の性徴とそれが心と身体におよぼす影響について、それがどのように男性のそれになっていくかについて、家族がその性にどのような配慮をしなければならないかについて、充分に知ろうとしているでしょうか。娘のそれをケアし、大人へと導いていくのとおなじだけのことが必要になったときにできるだけの知識を用意しているでしょうか。あるいは「それは女性には分からないので男親の仕事」なのでしょうか。シングルマザーであればどうでしょう。

男性はいま女性の生理について理解を深め、ともに社会を担うもう一方の性(あるいは女性とおなじぐらい人数の多い性)として社会の変革に取り組むことを求められています。「逆に女性の事情ばかりが偏重されている」という不満の声も男性からはあがりますが、これにはいわゆる「男性社会」がながくつづくあいだ女性の性が不当に扱われてきた歴史を巻き返すため、いま格別強力に、速やかにおこなわれなければならないという事情があります。歴史的に女性を不当にあつかってきたのは現代を生きる男性たちではないのですが、これからをともに生きるひとびとの権利を等しくするため、こうした男性にも努力が求められるのは仕方のないことです。

しかし男性社会が後退していくプロセスには、男性社会であるからこそ通用した暗黙の了解事項がもはや通用しなくなる、あるいは了解どころかそもそも不適切になるという現実が付随します。そこで本来社会はこれら暗黙の了解事項をいったん消去してしまうのではなく、「それはなぜ了解されていたのか」「今後も了解されるのが適切なことか」「もはや了解されない場合には何を考慮しなければならないか」について協議をしていかなければなりません。このときいままで「暗黙」であったことが災いし、「いやわざわざ公の場で下半身のことを議論しなくても…」という妙な雰囲気があるからこそ、男性も男性なりに自分たちの性を隠蔽することに加担してしまっている側面があります。つまり男性は男性軽視の加害者にもなっているということです。

このようなときに、「男性の性」に対する私やあなたのいまの態度は、家庭で、社会で、あるいは両性が共存するすべてのコミュニティにおいて自分の役割を果たすのに充分だと言えるでしょうか?

「男性はエロくて性的に放埒であり、性欲の前に自制心が働かないため性暴力の主な主体になる」というあきらかに性的なナラティブがさまざまなメディアに横行していますが、「なぜそうなのか」について理解を深める必要性が語られているのを私はほとんど聞いたことがありません。「男性は馬鹿だから」「下半身でしかものを考えられないから」、というような思考停止の産物が男性の生理に対する社会一般の判決であるとするならば、これが性差別でなくていったい何なのだろうかと私は首をかしげています。

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