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宇宙(そら)のランデブー

「さっむ…」
日本では冬、そろそろ日が暮れてもいいはずの時間だというのに、ここカザフスタンのバイコヌール宇宙基地は昼過ぎの冴えない曇り空だった。
「よくまぁ飛ばしたもんだ…。うちの会社も金持ってるねぇ…」
とある建物の中にいるはずの男性は、白い息を吐きながら熱湯で淹れたコーヒーを啜りつつ、襟を立てて深く首を沈めた。その男性、TCS社員報道局の佐久間は、続けてぶつぶつと呟いた。
「ここ本当に建物の中なのか?寒すぎだろ…」
佐久間の少し前を足速に歩く女性は、振り返ることもなく手元の書類に目を落としながら言った。
「文句ばかり言わないでください。周りの職員の人たちに聞こえますよ」
「日本語なんてわかるもんか…」
同じ部署の中野は、佐久間からの言葉に顔色を変えることもなく、冷たくなった眼鏡を整えた。「まったく…」いい飽きるほど繰り返した同じセリフをウンザリしながら、呟くように言い返す。
「不満そうな顔をしていれば、良くないこと言っているのくらい分かりますよ」
「へいへい、そんなもんですかねぇ…。いつになったら帰れんのやら…」
コーヒーを飲み終えた佐久間は先ほどよりさらに、首を引っ込めている亀、いや顔が埋もれたポメラニアンのように耳まで襟を伸ばした会社から供給された厚手の防寒コートに顔を沈めて、文句を繰り返した。

彼らは12月2日に打ち上げられる日本人初の宇宙飛行士、秋山宇宙特派員の所属するTCS社の社員であり、今まさに、秋山氏を乗せたソユーズ11号の打ち上げが終わったところだった。少なくともあと30〜40分後には中継が始まるだろう。
「俺たちの仕事は終わったと思うんだよ。もう帰らせてくれないかな」
「いいえ、私たちの仕事は始まったばかり。初めての中継も届けないといけないし、その後の準備もたくさん待っていますよ?ほら、本社からも今後の数日にわたる日程にも立ち会えって」
「うちはお金出せば終わりじゃないの?大体、営業局じゃなかったっけ?俺たち」
中野は、コロコロと気分で所属を変えようとする彼の、子供のような言い訳を聞き飽きていた。はいはい、報道記者たるものでしょ?と軽くあしらうと、大きく口を開いて息を吸い込んでから、深いため息を大袈裟に吐いた。そんな彼女をみながら佐久間は思う。あーあ、だいぶ幸せが逃げたな、と。
「そうそう」
思い出したように、佐久間が言った。
「そういえば話変わるけど。ここからドッキングって見えるんだっけ?」
「ミールとソユーズ11号のですか?少なくともツープ宇宙飛行管制センターの中継を見に行けばみられますが?そうではなくて?」
「肉眼で、だよ。に・く・が・ん・で」
中野は、見えるわけがないことを知っている癖にと思いつつ、彼のわがままに付き合うことにした。
「あの辺……あ、あそこですよ。あ・そ・こ」
小刻みにジャンプしながら、はしゃぐように窓の外の適当な空に指を突き上げる。
「ん??あー、あれか!!…って、どこだよ!!」
「今頃は日本の空なら…見えるかも、ですねぇ…」
彼女は、手を深く隠した袖口を口元に当てて、ふふふと、微笑んだ。
「しょうがないな、中継で我慢…いや仕事をするか。後どのくらいだっけ、中継開始まで」
「もうすぐです。あと20分ぐらい?」
「もうそんな時間!?まだ良くわかってないんだよ、どこだっけ?中継会場!」
佐久間の表情がひっくり返るように慌てふためいた。唐突に周りを見渡す。
「にしてもさ、宇宙って空気がないんだろう?重力もないんだろう?なんていうか、こういう…」
佐久間は先ほどの慌てた表情とは打って変わった面持ちでソワソワしながら言葉を選ぶ。視線も心許ない。
「いや、もういい。急ぐぞ!」軽くステップを踏んで走り出す。
「はい!」
(まぁ、日本人初の宇宙飛行士ですものね。男の子なら誰だってはしゃぎたくなりますよね)
中野はそんな佐久間をみて、まるで巣から飛び出すミーアキャットみたいと、再び微笑んで一緒に走り出した。

東京の空は地平線に陽が沈みかけていた。華やかな電飾。クリスマスの準備が始まりかけた駅前。赤いポスターやクリスマスセールの張り紙が壁中に貼られている某家電量販店の店頭ではちょっとした人だかりができていた。まだ雪は降っていないが、店頭のテレビを横目に白い息を吐きつつ、足速に帰宅する会社員もいた。
「みてみて!!」
寒さに震えながら肩を寄せ合う若いカップルが目を輝かせている。
『…えー、これ本番ですか?…こちらソユーズ11号に乗っています、秋山です…』
「おぉぉぉ!!!!」
人だかりから歓声が上がる。
赤く揺らぐ地平線の彼方、太陽の光を浴びたスノーダストのような煌めきの中で2つの輝きが寄り添うように、キスをした。

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