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美しいもの好きのアートディレクター、noteはじめました

歯磨き粉を買いに薬局へ行くたびに絶望していた。欲しいと思うデザインのものがひとつもないからだ。

シャンプーや洗剤と違って、歯磨き粉は詰め替えられない。広告がそのままへばりついたような絶望的なデザインのものしか売っていないので、その中から選ぶしかなく、毎回鬱々とした気持ちになった。
「たかが歯磨き粉にそこまでこだわらなくてもw」と何度も言われてきたが、不快なのだからしょうがない。

そんな私は、15年前、イタリアで衝撃的なものに出会う。フィレンツェで3代続くルドヴィコ・マルテッリ社の歯磨き粉「MARVIS」である。格調高く、洗練された美しいデザインのそれは、フツーの薬局やフツーのスーパーで、フツーに売られていたのである。

キングオブ「ザ・生活感」とも言える歯磨き粉でさえ、イタリアの手にかかるとこんなにも美しくなるのか。私は衝撃と感動でしばらく動けなくなり、気づいた時には大量のMARVISを抱えて会計を済ませていた。
スーツケースの隙間という隙間にMARVISを詰めて帰国し、知人という知人に配りまくったことを、昨日の出来事のように覚えている。(最近は日本でも買えるようになったが、やたら高額なのは何故)

生きていく上で、自分は何に喜びを感じるかを自覚しておくことは大切だ。
自覚しておけば、喜びを再現できるからである。辛いことがあったり悲しい気持ちになったりしても、再び心を喜びで満たすことができる。

「美しいかどうか」は私にとって重要な価値基準であり、「美しいもの」は、私にとって喜びである。それを自覚させてくれたのが “たかが歯磨き粉” であるMARVISだった。

「美しさ」とは、モノだけにとどまらない。行動や態度にも当てはまると思う。「その行動は、人として美しいのだろうか」と考えることもできる。
効率や損得を追い求めるのも良いが、「美しいかどうか」という価値基準は、喜びにあふれる人生を歩む上で非常に重要だと思う。

もちろん、何を美しいと感じるかは人それぞれだし、私の基準を押しつける気もない。

ただ、このnoteは、
私の喜びのコレクションになる予定だ。

「私も、こういうの好きだな」「美しいかどうかって考えるのも、ありかもね」そう思ってくださる方がひとりでもいてくれたなら、この上なく幸せである。


■「MARVIS」日本公式サイト

カラバリも素敵だし、マウスウォッシュの美しさ半端ない。

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